横浜旧軍無線通信資料館掲示板


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    画像タイトル:img20091231150238.jpg -(29 KB)

    双発機用模型エンジンと鈴木金蔵氏 名前: 事務局員 [2009/12/31,15:02:38] No.6120
    掲示は当館が所蔵する双発機用の60級模型エンジンで、戦前に鈴木金蔵と云う技巧家が製作されたと伝えられています。本機は幾人かの著名な蒐集家の手を経た後に、縁あり当館の所蔵するところとなりましたが、70年代後半に模型雑誌「シー&スカイ」で紹介された経緯も有り、入手時には既に、マニアの間では知られた存在のエンジンでした。
    しかし、鈴木氏やエンジンの製作に関わる経緯についてはハッキリせず、現在当館はこれらについての調査を進めております。
    つきましては、皆様の中に、鈴木金蔵氏と本エンジンに関わる情報をお持ちの方がおられましたら、ご教示の程をお願い申し上げます。

    入手に関わる経緯
    現在事務局員の関心は無線機器にあるが、生立ちは模型少年であり、当時はゴム動力機を数多く作り、UコンやRCに強い憧れをもって育った。このため、模型航空に対する思入れから、一時期、戦前・戦中の国産模型エンジンや、初期のRCプロポ等の収集を行っていた。この折、かつて日本有数のRC飛行機の競技者であり、後に我が国のRCヘリコプターの礎を築いたカルト産業社長の故沖宏之氏より関連エンジン各種を譲り受けたが、これらの中に写真の60級エンジン2基が含まれていた。沖氏はこのエンジンを有名な蒐集家より入手されたが、鈴木氏の経歴や製作目的等については引継がなされておらず、作者名以外の来歴は既に失われていた。

    また、沖氏より引継いだエンジンの中には戦前・戦中に模型飛行機の権威として活躍した故三島通隆氏の有名なRC機、MM-13に搭載されていたOK-TWINも含まれていた。
沖氏は三島氏を人生の師と仰ぎ尊敬し、この関係でMM-13は後に沖氏に贈られた経緯があった。
その後沖氏のご厚意で、三島氏のRC機に関わる写真アルバムも入手する事が出来、これらは現在、当館の大切な収蔵物となっている。

    鈴木金蔵氏関連資料
    戦前・戦中に活躍した作家・脚本家で「燃ゆる大空」の著者であり、また、三島通隆氏と共に模型航空界の権威であった故北村小松氏が、1942年(昭和17年)9月発行の「模型航空」(9月号)に「ガソリン・エンジン機物語」を寄稿しているが、この中に鈴木氏に関わる記述がある。現在知る限り、氏に関わる記録は本編のみであり、参考として該当部分を以下に抜粋した。
    「・・・中岡氏は昭和10年10月5日、代々木において当時の我が陸軍の新鋭機、91式戦闘機のスケールモデルに、米国製ブラウン・エンジンを装備して飛行させた。これが恐らく我が国の成功したエンジン機のさきがけとなったと思う。・・・・ところが、これと同時に日本にも、優秀な小型エンジンが出来上がっていたことを、われわれは忘れてはならない。それは鈴木金蔵氏の制作したエンジンのことである。鈴木氏は、模型でない、その道の専門の技術家ではあるが、氏はエンジンからプラグまで手製で作り上げ、模型飛行機を飛ばすことに成功しているのである。もっとも、話によると、コイルはフォード自動車用のものを用いたということであるが、早くも鈴木氏は、そのエンジンの点火栓製作法すら「航空時代」に公開しているのである。昭和12年1月17日、鈴木氏は市川国府東練兵場でその愛機SK1型を飛ばし、実に35分フラットという滞空記録を作った。・・・・」

    上記によると鈴木金蔵氏は航空実機に関係した技術者であったとも推測され、また、「シー&スカイ」(発行年月不明)に掲載された本エンジンの紹介記事「男のロマンを呼ぶ!珠玉のモデルエンジン、シリーズ14、Tow Brightest Stars」にもそれを裏付ける様な以下の記述がある。
    「右回転と左回転で対となっている双発専用エンジン。スパークイグニッション形式の60クラス。昭和12年に三菱重工業で零戦を作っていた技術屋さんが、ひまをみて1組だけ手造りしたもの。・・・・」

    しかし、鈴木氏は「東京瓦斯電(注)」に関係した人物であったとの情報も有り、氏が本当に三菱重工業航空機生産部門の技術者であったのかは現在のところハッキリしない。
    なお、先般日野自動車の技術資料館「日野オートプラザ」に鈴木氏に関わる問い合わせを行ったところ、以下の丁重な返信を頂いた。
    「1925年(大正14年)5月〜1934年(昭和9年)および1937年に東京自動車工業移行時の全社員名簿を確認しましたが、鈴木金蔵様のお名前はありませんでした。」

    写真補足
    鈴木金蔵氏が製作したとされる60級エンジン二基。エンジン本体、プラグ、プロペラ等総てが手作りである。エンジンヘッドは鉄製、シリンダーフィンは削出しでキャブレターは排気管と一体の構造となっている。大型の3翅プロペラの材質はジュラルミン、二基のエンジンは回転方向が異なる為、1枚のプロペラは逆ピッチとなっている。

    参考資料
    下記URLに北村小松氏が製作した有名なUコン機「ブタ号」掲示されている。本機はブタ(機体)に包丁が二本(主翼・尾翼)刺さった構図となっており、誠に滑稽である。
    http://www.plib.net.pref.aomori.jp/top/museum/meihin_21.html



    (注) 日野自動車の前身である東京瓦斯電機工業は、1910年(明治43年)にガス関連器具の製造販売を行う東京瓦斯工業として創設され、1913年(大正2年)に電気器具の製造を兼業するため東京瓦斯電機工業と改称し、1917年(大正6年)には自動車製造に進出する。1927年(昭和2年)になると航空機用エンジンの設計を始め、「神風」、「天風」を開発する一方、1934年(昭和9年)には東京大学航空研究所が設計した航研機の製作を担当するなど航空機への関与を深め、1939年(昭和14年)に航空機部門は日立航空機として独立した。戦後、1949年(昭和24年)に日立航空機は東京瓦斯電機工業に改称し、1953年に富士自動車と合併し、富士自動車となった。
    自動車部は1937年(昭和12年)に瓦斯電、石川島自動車製作所、ダット自動車製造の三社合併が行われ東京自動車工業となった。東京自動車工業は1941年(昭和16年)にディーゼル自動車工業となり、戦後はいすゞ自動車と改称された。1942年(昭和17年)には瓦斯電出身者が東京自動車工業より復帰して日野製造所を設立し、後に日野重工業として分社し、戦後になり日野自動車と改称した。

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