昨年の暮れ、NHKスペシャルで1941年(昭和16年)12月8日に真珠湾攻撃に参加した特殊潜航艇「甲標的」を題材とした「真珠湾の謎・悲劇の特殊潜航艇」が放送された。この放送に関連して、甲標的に搭載された無線機材についての問合わせが各方面より有り、これを機に、手持ち資料を基にその概要を纏めてみた。甲標的特殊潜航艇(特潜)「甲標的甲型」は艇長23.9m、動力は蓄電池駆動による600馬力電動機、武装は97式酸素魚雷2本、航続距離(真珠湾特別攻撃隊仕様)は大凡6ノットで80海里(150Km)、最高速度16ノット、乗員は艇長と艇付の二名であり、本艇の制式採用は1940年(昭和15年)11月である。甲標的は当初艦隊決戦時の前衛戦力として立案・開発されたが、航空機の発達によりこの計画は困難となり、泊地に対する潜入攻撃へと用途が変更された経緯があった。しかし、甲標的は大洋運用型のため小回りが効かず、狭い港湾での作戦には適さない構造的欠陥があった。昭和16年の後半、海軍は米国との戦争に備え、航空兵力による真珠湾への奇襲攻撃を立案するが、特潜開発部門よりの強い要望があり、最終的に甲標的も特別攻撃隊(第一次神亀隊)として参加する事が了承された。昭和16年12月8日の真珠湾攻撃作戦には甲標的5艇が投入されたが、搭載潜水艦及び甲標的搭乗員は以下であった。【伊号第16潜水艦】横山正治中尉・上田定二等兵曹、【伊号第18潜水艦】古野繁實中尉・横山薫範一等兵曹、【伊号第20潜水艦】廣尾彰少尉・片山義雄二等兵曹、【伊号第22潜水艦】岩佐直治大尉・佐々木直吉一等兵曹、【伊号第24潜水艦】酒巻和男少尉・稲垣清二等兵曹。なお、本作戦に参加した甲標的は真珠湾特別攻撃隊仕様であり、艇首前方に突出た特徴ある防潜網突破用のカッターを備えていた。このため、本形状が後に、消息を絶った真珠湾攻撃艇の発見、確定に役立つ事になった。また、攻撃に参加した全艇は未帰還であったが、唯一横山艇が奇襲成功を伝える電文を発信したと考えられている。NHKスペシャル現地日時、1941年(昭和16年)12月7日の00時40分から03時30分にかけ、真珠湾の沖合(5-13浬)に展開した5隻の伊号潜水艦より、甲標的5艇が真珠湾軍港に向け発進した。しかし、以後の各艇に関わる行動や戦闘状況、最期については必ずしもハッキリせず、今日もなお多くの研究者により諸説が述べられている。これら5艇の内、酒巻艇は座礁して鹵獲され、岩佐艇は湾内で撃沈されその後引揚げられた。残る3艇のうち2艇は後年湾口近くで発見され、未発見の甲標的は1艇であった。NHKスペシャル「真珠湾の謎・悲劇の特殊潜航艇」は、その、最後の1艇の発見を題材としたものであり、この甲標的は湾外で発見された。映像では、本特潜は艇首の形状から真珠湾攻撃型と考えられるが、艇体は三つに分解され、吊上用の鎖が巻かれており、明らかに海洋投棄(魚雷収容筒は空)された状態であった。番組では、当該甲標的は湾内への突入に成功した横山艇であり、何らかの理由により、回収の事実を伏せられたまま海洋投棄されたものである、と結論づけていた。しかし、肝心の、湾内での発見場所や投棄に至る経緯についてはまったく不明であり、私的には不満の残る内容であった。発信電文ところで、横山艇は唯一母艦である伊号第16潜水艦へ奇襲成功を伝える電文を発信した特潜とされ、このため、当初より湾内への潜入に成功したと考えられていた。この発信電文については「奇襲成功セリ」を伝えるセ・セ・セのセ連送や、トラ・トラ・トラ、航行不能を意味する指定符号等各種が伝えられている。しかし、特潜発進後、伊号第16潜水艦の通信室で対向周波数の待受け受信を行った元海軍電信員の出羽吉次氏(横山艇の整備担当下士官)によると、雑音の中、受信出来た信号は現地日時7日18時11分に横山艇が発信したと思われる「キ・ラ」の二文字だけであった。本電文については、和文電信の「キ(一・一・・)」符号は「ト(・・一・・)」に似ており、このため特潜の上田定二等兵曹が突入成功を伝える「ト・ラ」をキ・ラと打損じたのではないかと考えられている。なお、甲標的の通信対向は発進潜水艦のみであり、他艦艇との通信は考慮されていなかった。特潜5艇に関わる若干の補足当日の真珠湾内外に於ける特潜の行動は、米国側の資料を基に推測も含め、多くの出版物で紹介されており、よって、本項ではその概要のみを簡単に紹介する。酒巻艇は攻撃日の翌日に真珠湾の東方、約75km離れたベローズ飛行場近くの海岸に座礁し鹵獲された。本艇はジャイロコンパスの故障を承知で強行出撃したが、艇位置を失い湾口に到達できず、予定された母艦の収容海域に移動中座礁したものと考えられている。酒巻艇はその後、米国民の戰意昂揚と戰時国債募集のため全米各地を引き回されたが、現在はテキサス州の戰争関連博物館に展示されているとの事である。岩佐艇は真珠湾突入に成功したがフォード島の西水道で駆逐艦の攻撃により撃沈され、その後発見され引揚げられた。しかし、本艇は損傷が激しく、このためか、丁重な慰霊の後、搭乗員2名を艇内に残したまま埋設された。この折発見された袖章(第一種軍裝)が海軍大尉のものであったことから、本艇は岩佐艇と確認され、袖章は戦後ご家族に返還された。残る3艇であるが、その内の1艇が1960年(昭和35年)年7月に現在のホノルル国際空港東岸近くの珊瑚礁外側、水深約40mの海底で発見され引揚げられた。この甲標的は魚雷を装填した状態で、艇尾には爆雷によるとみられる軽微な損傷があった。本艇のハッチは固定されておらず、艇内部には遺骨や搭乗員の確定につながる遺留品は残っていなかった。米国より返還され、現在江田島の海上自衛隊第一術科学校に展示されている甲標的が本艇と考えられている。近年になり、2002年(平成14年)8月にハワイ大学海底調査研究所[Hawai‘i Undersea Research Laboratory (HURL)]所属の深海潜水艇が真珠湾外5浬の水深約400mの海底で甲標的を発見した。本艇は魚雷2本を装備しており、艇首の形状から真珠湾攻撃型と確定された。発見艇の司令塔下部には直撃弾を受けたと考えられる穴が空いており、このため、真珠湾攻撃の当日、1941年12月7日(現地日時)の06時45分に駆逐艦ワードの砲撃により湾口近くで撃沈された一艇と考えられるが、何れの搭乗艇であるのかは不明である。以上の経緯により未発見の甲標的は1艇のみであったが、NHKスペシャル「真珠湾の謎・悲劇の特殊潜航艇」により、攻撃に参加した5艇の総てが発見されたことになる。なお、以下のURLにHURLが発見した甲標的の写真が掲載されている。http://www.soest.hawaii.edu/HURL/midget.html#images写真補足掲示は座礁し鹵獲された酒巻艇で、調査のため分解された状態である。司令塔上中央が特眼鏡(潜望鏡)で、その前部(右)が繰出式のロッド型空中線である。座礁時の写真では、酒巻艇の空中線は司令塔上部には出ておらず、後に調査のため展開されたものと考えられる。なお、司令塔より艇首・艇尾に伸びている太いワイヤーは対防潜網用の保護索で空中線ではない。写真出典: U.S. National Archives