先般、国内のNet Auctionで、陸軍の戦車用無線電話機材である「車輌無線機丙」を構成する電源を入手した。当館は展示機材とは別に、電源が欠落した本装置を所蔵しており、この度の入手により2セットが揃う事となり誠に幸いである。 ところで、本機材には「車輌無線機丙(2号)」(掲示組写真4参照)と表記される無線装置が存在する。構造から車輌無線機丙の改良型とも考えられるが、所蔵資料が少なくその詳細は判然としない。以下では車輌無線機丙について概観を行ったが、参考資料として、併せ車輌無線機丙(2号)について若干の追記を行った。 なお、車輌無線機丙(2号)他の追加写真及び資料をFacebook「旧日本軍無線機etc.」に掲示した。https://www.facebook.com/groups/1687374128228449/車輌無線機丙導入の端緒 車輌無線機丙は第四次制式化作業(1939年より暫時実施)の後半になり、急遽審査の対象となった戦闘車輌用の超短波無線電話機材である。本機導入の目的は戦車相互間の、電話通信機能の向上であるが、その背景には帝国陸軍に於ける戦車運用方法の大転換があった。 1939年(昭和14年)夏、ノモンハン事件が勃発し陸軍戦車部隊は初めて本格的な戦車戦を体験した。この戦いにより、戦車が戦うべき敵は戦車であり、戦車部隊の存在意義は対戦車戦にあることが強く認識された。また、間もなくして第二次大戦が勃発し、ドイツ機甲部隊はその緒戦でポーランドを席巻し、世界の軍事関係者を驚かせた。 これらの経緯により、陸軍内部に於いても機甲部隊の研究が進められ、従来の歩兵直協や陣地攻略を目的とした戦車部隊の運用形態が、戦車群による電撃的な進撃や敵戦車群の壊滅へと、大きく方向転換されることになった。このため、戦車砲の装換や、徹甲弾の改良、新型戦車の開発等が急遽要請される事態となり、搭載無線装置についても、戦車相互間の電話通信機能に優れた機材の開発が急ぎ行われることになった。開発の経緯 1941年(昭和16年)4月、戦闘車輌用新型無線電話機の開発が第四次制式制定作業に於ける新たな研究項目として追加されると、陸軍通信学校研究部は直ちに研究・審査作業は着手した。この時期既に、各国に於ける戦闘車輌用無線電話機の運用周波数帯は、見通し内通信特性に優れ、周波数の多数分配が可能なVHF帯に移行していた。また、対戦車戦に於いては搭乗員相互の意志疎通が重要であり、車内通話装置の導入も不可避な課題であった。 本機の急速な導入は用兵側の強い要望であり、このため、開発に於ける試作作業に併行して、整備作業にも着手し、各部隊への配備が急速に行われた。 研究された新型車両無線機は20-30MHzのセミVHF帯を使用した短距離用の電話主用機材で、本機は車内通話機能を備え、搭乗員4名の相互通話及び、必要に応じ管制器を介し、二系統通信機材である車輌無線乙との統合運用が可能な構成であった。 この時期、我が国では超短波帯或いは、是に近い短波帯の受信には超再生方式を主に採用していたが、本式は狭小地域内に於ける多数機の使用には適さず、当然の事としてスーパーヘテロダイン方式が考慮された。しかし、この周波数帯域に於ける車輌用受信機の開発経験はなく、このため、研究課題として用兵側より提示された試作100機の内、半数を超再生方式に、他をスーパーヘテロダイン方式とすることで、応急整備の要請に対処する事になった。 1942年(昭和17年)6月、試作の二機種が完成し、以後二回の改修を行い、翌年2月に実用機の開発が完了した。本機は制式化作業に先行し200機が応急的に整備され、用兵側の要望を満たした。しかし、制式化作業の準備中に終戦となり、車輌無線丙が正式に兵器化されることはなかった。「車輌無線機丙」装置概要 本機は運用周波数が20-30MHzのセミVHF帯機材で、装置は送信機、受信機、管制器、電源及び空中線装置等により構成されている。電波形式は電信(A2)及び電話(A3)で、電信運用は手動による送受信切り替え方式であり、電話は送受話器に付加された押釦によるプレストーク方式である。 無線装置本体の容積は車輌無線機乙と同一の18.5x49.5x21.5cmで重量は25kg、車内への設置は装置をフレーム構造の緩衝式ラックに収容し固定した。 本機は車内通話装置を装置しており、管制器を介し搭乗員4名との相互通話が可能である。また、管制器を介し車輌無線機乙との接続が可能で、必要に応じ三系統の通信路を構成することが出来た。 なお、車輌用無線装置の運用は各機共通で、電信運用は通信担当が行うが、電話通信は車長が坦務した。車輌無線丙(超再生受信方式)諸元用途: 戦車相互間通話通信距離: 500m周波数:20-30MHz電波形式: A2(変調電信)、A3(電話)送信出力: 6W送信機: 発振Ut-6F7(五極部)、電力増幅UY-807A、音声増幅Ut-6F7(三極部)、陽極変調UY-807A、インターホン用低周波増幅1段兼較正用水晶発振Ut-6F7(三極部)、同2段Ut-6F7(五極部)、較正周波数21,24,27,30MHz(原発振3MHz)、受信機: 他励式超再生方式、高周波1段増幅、超再生検波、低周波2段増幅(Ut-6F7 x3)電源: 回転式直流変圧器、入力24V、出力400V(送受信機兼用)空中線: 垂直型2m自動起倒式、地線は車体接地方式車輌無線丙各部概観 送信機 本機の運用周波数は20-30MHzで、装置はビーム管UY-807A二本及び、三極(T)・五極(P)複合管Ut-6F7二本の計四本により構成されている。内部には送信回路とは別に、搭乗員用のインターホン回路及び、同調ダイアル較正用の水晶発振回路が装置されている。 送信部は主発振・電力増幅方式で出力は6W、変調は電力増幅管の陽極変調(ハイシング変調)方式である。 発振回路はUt-6F7(P)の三極管接続によるハートレー発振回路で、電力増幅部はUY-807Aにより構成され、陽極同調回路は並列共振回路方式である。発振・電力増幅部の同調用蓄電器は二連構成で、同調ダイアル機構は大型のバーニア式であるが、本機材は珍しく周波数直読式である。 タンク回路出力側コイルは空中線同調回路を兼用し、同調回路は固定式蓄電器、同調用可変式蓄電器及び空中線電流計(3A)により構成されている。固定式空中線装置との整合は可変蓄電器の調整により行うが、同調構成は電流饋電による1/4波長接地型空中線同調方式である。 変調はUY-807Aによるハイシング変調方式で、低圧カーボン式送話器の出力をUt-6F7(T)で一段増幅を行い、変調管に入力している。電信運用時、変調管回路は低周波発振器としも動作し、可聴電信音を側音として受信機の受話器回路に出力する。A2電鍵回路は継電器による変調管のカソード回路制御方式である。 インターホン回路 搭乗員相互の通話用として、送信機にはUt-6F7の三極、五極部を使用した二段構成の低周波増幅回路が装置されている。本インターホン回路は外部に設置される管制器と併せ構成されるが、接続送受話器は4器である。送受話器には送話用押釦が付加されており、スイッチの操作により、送話器音声出力が増幅器に入力され、増幅後、各受話器回路に出力される。 受信機 本機は他励式の超再生式受信機で、受信周波数は送信機と同一の20-30MHzである。受信機の構成は高周波増幅一段、超再生検波、修調発振、低周波増幅二段で、構成真空管は複合管Ut-6F7三本である。 高周波増幅はUt-6F7(P)による一段増幅、検波回路はUt-6F7(P)の三極管接続による三点回路方式で、超再生状態を誘起させる修調回路(クエンチング周波数発生回路)は独立した他励式である。高周波増幅部と検波回路を構成する同調用蓄電器は二連式で、操作を行う同調ダイアル機構は大型のバーニア式であり、周波数は直読式である。 修調周波数発振回路はUt-6F7(T)で構成され、発生するクエンチング周波数は大凡60KHz、超再生検波状態の調整は検波管の陽極電圧可変方式である。 低周波増幅回路はUt-6F7三極部・五極部構成による二段増幅方式で、各段は利得の向上を考慮したトランス結合方式であり、出力インピーダンスは4KΩである。 なお、本受信機の構成真空管はUt-6F7三本であるが、上記の回路構成により、三極部が一つ未使用となっている。また、装置前面左側には高圧400V、低圧24V測定用の電圧計一個が装置されている。 他励式超再生検波方式 本受信機は他励式超再生検波方式を採用している。他励式とは自励式超再生検波方式とは異なり、超再生状態を誘起させる修調(クエンチング)周波数を、検波管より独立した発振回路により発生させる方式である。修調回路の構成は振幅変調回路と相似し、出力により検波管の陽極電圧を振幅し、超再生状態を誘起させる。 自励式では空中線回路が周囲の事物により影響を受け、クエンチング発振が不安定となり、受信動作が安定しない。しかし、他励式ではクエンチン発振回路が独立しているため、周囲の影響を受けずに、安定した超再生検波を行うことが出来る。電源装置 本無線装置の電源は送・受信機兼用の回転式直流変圧器方式で、入力は24V、出力は400Vである。受信機用高圧の250Vは、受信機内部に装置した降圧回路により発生させている。線條用他の低圧24Vは電源入力電圧を、濾波器を介し供給している。空中線装置 空中線装置は車体に設置された金属エレメント構造の垂直自動起倒式で、全長は2m、地線は車体接地方式である。送信調整 まず、装置に電源接線、空中線、地線、電鍵及び送受話器を接続し、動作状態とする。送信機の転換器を「電話」として、同調器、空中線調整器を調整表に従い、運用送信周波数に該当する位置に設定する。送受話器の押釦スイッチを操作し送信状態とし、空中線同調器の操作により、空中線電流計の指示が最大となる様に調整する。 次に電信動作確認のため、転換器を「電信」に切替え送信状態とする。電鍵を操作し、空中線電流が変化し、受話器に可聴電信音が出力されることを確認する。周波数較正機能 送信機の内部には送・受信機の同調ダイアル(周波数)較正用として水晶発振回路が装置され、回路はインターホン音声増幅回路一段目との兼用である。装備水晶発振子の原発振周波数は3MHzで、発振は無調回路であり、出力は空中線切替回路に結合されている。送・受信機の同調ダイアル較正は高調波により行うが、較正点は21、24、27、30MHzである。 較正は先ず送・受信機共に同調ダイアルを運用周波数に近い較正点に設定する。較正スイッチを「較正」に切替えると、較正用水晶発振回路及び送信機発振回路が動作する。送信機の同調ダイアルを微調整し、較正発振器の高調波に発振周波数を合致させ、零ビートを得る。同調点に大きな狂いがある場合は、送・受信機の各同調補正蓄電器により補正を行う。 ところで、本線無線装置の送信機は自励発振方式のため、1所多系の通信を行う場合は、通信対向各機の送受信周波数は一致していなければならない。このため、各局(車)は統制局(指揮官車)の発信電波に自無線装置の送受信周波数を合致させ、周波数の統一を図る必要がある。操作は統制局の電波を正確に受信しつつ、較正回路動作させ、送信機の同調ダイアルを操作し、受信信号に自発振波を合致させ、零ビートを得る。本作業により各車の運用周波数は一致する。運用操作 本無線機の運用操作は変則で、送信機の運用はプレストーク方式であるが、電信に於ける送受信の転換は手動操作方式である。電話運用の場合、送信機の運用転換器(車内・電信・電話)を「電話」に設定すると受信状態となり、送受話器に付加された押釦スイッチにより、プレストーク通信を行うことが出来る。 電信運用の場合は、転換器を「電信」に切替えると送信状態となり、搬送波が発射され、電鍵の操作によりA2変調が行われる。送信終了後、転換器を「電話」に切替えると受信状態に復帰する。 また、転換器を「車内」に設定すると、送信回路及び受信機の高圧が断となり、インターホン回路のみが動作する。管制器 本機は送受話器接続端子、無線機丙接続端子、無線機乙接続端子、通話回路転換器、送話器整合用変圧器等により構成されている。接続される送話器は4器で、この内2器はインターホン専用であり、他の二器は無線装置運用機能を備えている。無線装置用の内、1器はプレストーク方式による無線機丙の運用及び、切替えにより無線機乙(接続した場合)の受信を行う。他の1器は無線機乙の運用及び、切替えにより無線機丙の受信を行う。 本管制器に接続する送受話器はインターホン専用及び、無線装置兼用の二種類である。インターホン専用型は送受話器及び送話器制御用の押釦スイッチで構成され、送信機制御機能は無く、兼用型はインターホン型に送受信転換用押釦スイッチを付加したスイッチ二段構造である。 インターホン型の使用は、送話時に押釦スイッチを押すと送話器回路が動作し、通話が可能となる。兼用型では、インターホン使用時の動作は同一であるが、プレストーク方式による無線装置の運用は送受信転換用押釦スイッチのみで行う。三系統通信機能 車輌無線機丙は管制器を介し、二系統通信機材である車輌無線機乙と統合した通信装置を構成し、必要に応じ三系統の通信を行うことが出来る。本通信装置は大掛かりのため97式中戦車への装置は難しいと考えられるが、以後開発された1式中戦車や自走砲等の中間指揮官車には搭載された可能性がある。車輌無線機丙(2号) 前述の如く、「車輌無線丙」(以下、丙原型と表記)には外観構造及び内部構造の異なる「車輌無線機丙(2号)」(以下、丙2号型と表記)が存在する。車輌無線丙の開発に際しては、試作100機の内、受信機は半数を超再生方式に、他をスーパーヘテロダイン方式とすることで、応急の整備が行われた。このため、丙2号型は受信機がスーパーへテロダイン構成の機材とも推測されるが、之までに現物を確認したことが無く、事の真偽は不明である。丙2号型機材概要 所蔵する写真他より推察して、丙2号型の容積は丙原型と同一で、その機能、性能も同一と考えられる。しかし、現在内部写真を入手出来たのは送信機のみで、受信機の構造は判然としない。 両機の外観上の顕著な違いは同調ダイアル機構で、丙原型がバーニアダイアル機構であるのに対し、丙2号型は扇型ダイアル機構を装置している。同調機構の前面には覆板が装置され、同調ダイアルツマミを操作する場合は、この板を手前に開き操作部を開放する。また、受信機は電圧測定用計器を備えておらず、送信機には高周波電流計に加え、陽極電流計が装置されている。 送信機は丙原型とは異なり構成真空管は3本で、原型送信機が装置した周波数較正用発振回路、インターホン用増幅回路が本機では削除されていると考えられる。しかし、送信、変調回路は同一で、構成は発振がUt-6F7(五極部)、電力増幅がUY-807A、音声増幅はUt-6F7(三極部)、陽極変調がUY-807Aである。 表示及び外観構造から丙2号型も丙原型と同様に周波数較正機能及びインターホン機能は具えており、このため、該当回路を構成するUt-6F7一本分の機能は受信機に移設されたものと考えられる。 受信機については資料が無く、その構造については不明であるが、前面には同調器を除き、音量調整器を含め操作部が何も装置されていない。 なお、電源装置、管制器他は両機材共通と考えられる。写真補足 掲示組写真@が今般入手した車輌無線機丙用の電源装置である。程度は非常に良好で、未使用品と考えられる。写真Aは入手電源装置と所蔵構成機材との集合写真で、左が受信機、中央が送信機である。写真Bは車輌無線機丙の、現在の展示状況である。 写真Cは車輌無線機丙(2号)の外観で、左が受信機、中央が送信機、右端が電源である。同調ダイアル機構が丙原型とは大きく異なり、受信機より電圧測定用計器が削除され、送信機には高周波電流計に加え、陽極電流計が追加されている。受信機には周波数同調器を除き、音量調整器を含め操作器が何も装置されていない。