先般、偶然にも同時期に海外の収集家複数より帝国海軍の「試製携帯式無線電話機」についての問い合わせを受けた。本無線装置は米国陸軍の携帯式無線電話機(Walk-talkie)SCR-536/BC-611に外観が類似した誠にユニークな機材であるが、実態は双三極管31MC一本で構成されたVHF帯の簡易無線電話機であり、送受信が水晶制御方式のBC-611とは比ぶべくもない。しかし、その開発と顛末は誠に興味深く、このため、これを機に、海軍携帯無線電話機の概要を纏めてみた。 なお、下記facebookに関連機材の回路図を掲示した。https://www.facebook.com/groups/1687374128228449/海軍携帯式無線電話機の開発「97式軽便無線電話機」 1936年(昭和11年)、陸軍通信学校研究部は第三次制式制定に向け研究を進めていた歩兵用の無線電話機「13号丁無線電信機」を、研究完了時期の1934年(昭和9年)に遡り、94式6号無線として制式化(兵器化)した。本機は兵1〜2名での歩行運用が可能な超短波帯の携帯無線機で、構造は双三極管30MC一本で自励発振、超再生検波を行う簡易無線装置であった。この時期、帝国陸海軍には歩兵が移動しながら運用が可能な携帯無線装置は存在せず、このため、6号無線機は導入以後、短期間で陸軍の各部門に浸透した。 一方、同時期、上海で戦闘行動を拡大していた海軍陸戦隊にとって、94式6号無線機は是非必要な兵器であり、このため、その供与を陸軍に依頼し相当数を使用したが、1937年(昭和12年)になり、類型の「97式軽便無線電話機」(以下97式軽便)を開発した。 97式軽便は運用周波数が23,000〜31,000KHzの簡易無線電話機で、外観は若干異なるが、諸元、回路構成は陸軍の94式6号無線機に相似していた。しかし、構成真空管には6号と異なり、UZ-31MCが使用された。本管は海軍が開発した電力増幅用の直熱式双三極管で、構造はUZ-30MCと同一であるが、ヒーター電流が30MCの2V/120mAに対し2V/240mAと倍になっている。何れの球を使用しても、本式の無線装置にあっては性能に大きな違いはないが、海軍のメンツが31MCを選択させたものと考えられる。97式軽便装置概要 本機は双3極管31MC一本により構成される簡易無線機材で、送信時は自励発振・陽極変調、受信時は超再生検波・低周波増幅一段構成の無線装置として動作し、電波形態は電話(A3)及び変調電信(A2)である。運用周波数は23,000〜31,000KHzで、本機は発振・検波回路が兼用のため、送受信周波数は同一である。97式軽便は94式6号無線機を模倣し開発された機材のため、電源方式や空中線装置の構造は異なるが、回路構成は殆ど同一で、使用部品も共通した物が多い。97式軽便無線電話機緒元用途: 陸戦隊用通信距離: 約2km運用周波数(送受信同一): 23,000〜31,000KHz電波形式: A2(変調電信)、A3(電話)機材構成: 双三極管UZ-31MC一本による自励発振、超再生検波方式送信: 出力(A2・A3)0.5w、発振31MC(1/2)、陽極変調31MC(1/2)受信: 超再生検波31MC(1/2)、低周波増幅31MC(1/2)電源: 乾電池(3V、120V)、蓄電池(4V、150V)、手回発電機空中線: L型、垂直部123cm、カウンターポイズ水平60cm製造: 仙台日電電波工業「試製携帯無線電話機」 1944年(昭和19年)の初頭、海軍技術研究所は97式軽便の後継機とも考えられる「試製携帯無線電話機」(以下試製携帯)を開発した。本機は97式軽便を踏襲した31MC単球による簡易無線機材であるが、電源の乾電池は内蔵式で、筐体は角形の縦長構造であり、前面パネルには送受話器及び伸縮ロッド式空中線が装置され、外観は米国陸軍のWalk-talkie(ウォークトーキー)であるBC-611に類似している。97式軽便と試製携帯の筐体構造は全く異なるが、内部の組立方法に特段の違いはなく、構成部品は共通のものが使用され、回路構成も空中線回路を除き同一である。 なお、現在本機には原型、第一次改造型及び第二次改造型の三形態が確認されているが、構造から、一次、二次改造型は新たに製造された機材ではなく、既設の試製携帯「原型」を工場で改造した物と考えられる。試製携帯無線電話機緒元用途: 陸戦隊用通信距離: 約1km運用周波数(送受信同一): 23,000〜31,000KHz機材構成: 双三極管UZ-31MC一本による自励発振、超再生検波方式送信構成: 出力(A2・A3)0.5w、発振31MC(1/2)、陽極変調31MC(1/2)受信構成: 超再生検波31MC(1/2)、低周波増幅31MC(1/2)電源: 原型-乾電池内蔵(3V、120V)、改造型-外部蓄電池(4V、150V)空中線: 120cm伸縮ロッド式、ワイヤー式(二次改造型)製造: 仙台日本電気試製携帯(原型)装置概要 本機の筐体は幅が9.5cm、奥行きが10cm、縦が32cmの長方形で、重量は内蔵乾電池を除き2.5Kgである。無線機本体は前面パネル及び板状のフレームにより構成され、パネルは四方が9本の留ネジでケースに固定される。パネル前面左側には上部より受話器、同調器、超再生調整器、送受信転換器、送話器及び電鍵が装置され、右側には全長120cmの4段伸縮式ロッド型空中線が装置されている。また、パネル裏面には31MC及び構成部品がアルミ板を介し取付けられている。 収容ケースの内部は、前面パネルに取付けられた構成部品部及び、電源の乾電池を収容するため、遮蔽板により二区画に分割された構造となっている。電池区画は既製品のA・B乾電池を収容するには狭すぎ、このため、両電池は本機専用の特殊仕様であったと考えられる。 送信構成 送信部は双三極管31MCの1/2を使用した自励発振回路及び、1/2を使用した陽極変調回路により構成され、発振回路は三点回路と称されるコルピッツ発振回路の変形である。当初同調機構はバーニアダイアル方式であったが、その後小型ツマミの角が180°展開で、100分割目盛りのダイアル板を指す構造に変更された。何れのダイアル機構も周波数の読取は、本体に添付された置換表により行う。 本機材の電波形式は97式軽便と同様の変調電信(A2) 及び電話(A3)で、送話器は低インピーダンスのカーボン型である。A2用低周波発振回路は変調回路との兼用であり、本体組込式の電鍵操作により約1,000Hzで発振し、一部は送信モニター用として受話器回路に出力される。 受信構成 受信部は超再生検波、低周波増幅1段方式で、各部は送信部との兼用である。超再生検波回路は自励式で、クエンチング周波数は大凡30KHzである。陽極回路にはブロッキング発振を発生させるための間歇発振コイルが装置され、発生するクエンチング周波数により検波管の陽極電圧を振幅し、超再生検波を行う。超再生検波状態の調整は、再生調整器により検波管のグリッドバイアスを可変して行う。 受話器のインピーダンスは約4kΩで、本器は低周波増幅回路の陽極側に挿入され、負荷抵抗を兼ねる回路構成となっている。 空中線装置 試製携帯が装備する空中線は4段収縮式のロッド型空中線で、全長は120cmである。本空中線は、前面パネル右側上部に取付けられたベークライト製の空中線基台にロッドを通した構造で、不使用時はロッド下部をパネル下部の空中線収容金物に差込固定し、収容する。運用時は空中線製基台に、ロッド下部をねじ込み固定し、空中線を伸長する。展開した本ロッドアンテナの構造は如何にも脆弱で、空中線装置は97式軽便にも増して、壊れやすかったと考えられる。 電源装置 本機の電源は高圧が120V、低圧が3Vの乾電池で、交換はBC-611と同様に、装置底部のパネルを取り外し行う。両電池は収容部の形状から専用の特殊仕様であったと推察され、このため、物資枯渇の時局、その製造、補給には大いに問題があったと考えられる。また、本機の構成真空管31MCの線條電流は、陸軍が6号で使用した30MCの二倍の240mAであり、付加装置を介しA電源に蓄電池の使用が可能な97式軽便とは異なり、電池の消費が大きく、不都合であったと考えられる。運用操作 本無線装置は米国陸軍のウォークトーキー、BC-611の運用形態を参考に開発されたと考えられる。このため、運用操作は類似し、無線機本体を持ち受話器部分を片耳に当て行う。ただし、本機はBC-611とは比較にならない簡易機材であり、自励発振・超再生検波方式のため動作は不安定で、操作箇所も多く、使い勝手は非常に悪かったと考えられる。また、鉄帽を被った坦務要員が本機を使用すると、鉄帽の縁と空中線が接触し、運用が困難であったと考えられる。試製携帯の改造 97式軽便を基に開発された試製携帯の原型は、此までの帝国陸海軍の携帯無線機材と比べ、誠に斬新な構造であった。しかし、運用操作方式や空中線構造他、実戦使用には不都合な事柄が多々あったと考えられ、導入間もなくして、既設機に対する数次の改造が施された。 第一次改造型 送受話器が無線装置本体から取り外され、外部接続式となった。間もなくして、時局を反映し、供給に問題があったと考えられる内部乾電池電源も、外部接続方式に変更された。これらの改修により、試製携帯は従来の97式軽便と同様の操作性を回復したと考えられるが、ウォークトーキー式携帯無線機としての特長は失われた。 第二次改造型 改造型試製携帯の形態では、必ずしも取扱いが不便なロッド型空中線を本体に装置しておく合理的な理由は既に無く、このため、間もなくして本空中線も撤去され、空中線は外部のワイヤー式を接続するターミナル一個に変更された。本型が試製携帯の最終型であるが、結果、米国陸軍のBC-611を彷彿させた海軍の試製携帯無線電話機は、長方形のアルミ筐体に収容された、なんの特長もない、簡易無線電話装置となってしまった。米国陸軍「SCR-536/BC-611」 BC-611は戦前に米国のGalvin社(1947年にモトローラに社名変更)が開発した民需用の携帯無線電話機で、此を米国陸軍が開戦に際し調達したものである。本機は大戦中各製造会社により数十万台が生産され、戦後も世界各国で使用された傑作機である。 BC-611は3,500-6,000KHz内の1波を、水晶制御方式により送受信する短波帯機材で、送信部は水晶発振・電力増幅・陽極変調構成、受信部は高周波増幅1段・局部発振水晶制御・中間周波増幅1段・低周波増幅2段構成のスーパーへテロダイン方式である。 構成真空管は送受兼用で電池管(MT管)5本(3S4 x2、1R5、1T4、1S5)を使用し、通信距離は大凡1.5kmである。本機の操作は至って簡単で、ロッド式空中線を引出すと電源が投入され受信状態となり、送信はプレス式スイッチを押すだけである。 BC-611は開戦後間もなくにして、帝国海軍によりフィリピンで鹵獲された。旧財団法人「資料調査会」が所蔵した海軍無線技術関連資料の中に「米国海軍より鹵獲せるGaluir製造会社製携帯用無線送受話器BC-611Aに就いて」(昭和18年1月)と題した調査報告書がある。当時我が国では実用に耐えるMT型電池管は未だ開発が完了しておらず、また、その構造からBC-611の模倣は適うべくもなかった。しかし、試製携帯の開発に際しては、その開発要員の中に、BC-611についての知識を持った者がおり、簡易型ではあるが、ウォークトーキー構造での開発を試みたと考えられる。SCR-536/BC-611緒元用途: 歩兵携帯用通信距離: 約1.5km周波数: 3,500-6,000KHz(1波、送受信水晶制御)送信出力: 約0.5W構成真空管: 5本(3S4 x2,1R5,1T4,1S5)、送受信兼用送信構成: 水晶発振1R5、電力増幅3S4、変調用音声増幅1S5、陽極変調3S4受信構成: スーパーへテロダイン方式、高周波増幅3S4、周波数変換1R5、中間周波増幅1T4、検波・低周波増幅1S5、出力増幅3S4電源: 乾電池、高圧103.5V、低圧1.5V空中線: 1.1m伸縮ロッド式製造数: 数十万台(大戦中)「試製5式軽便無線電話機」 1945年(昭和20年)になると戦況は緊迫し、本土決戦は避けられない状況となり、各種兵器の整備もそれを予定して行われ、試製5式軽便無線電話機(以下5式軽便)もこの時局に合わせ開発された。本機は試製携帯の最終型をそのまま木箱に組込んだ簡易無線電話機であり、電源、空中線他は該当部隊が適当に用意し、使用する構成であったと考えられる。 試製携帯最終型と5式軽便の相違は、高圧電圧が120Vから150Vに変更され、地線用にターミナルが一個追加された事のみである。高圧電圧が150Vに昇圧されたのは、通達距離の延長を考慮した結果と考えられる。 本機は陸海軍を通じ「5式」と表記された唯一の無線機材であるが、正に本土決戦に向けた最終兵器であったと考えられる。 写真補足 掲示組写真@は陸軍の94式6号無線機の基本構成機材である。 掲示Aは陸軍の94式6号無線機を参考に開発された海軍の97式携帯無線電話機である。本機は6号無線機とは異なり、電源の乾電池と手回し式発電機を共用することは出来ない。空中線は6号の鋼鉄製ロッドとは異なり、軽金属製のパイプ構造である。 掲示写真Bは海軍の試製携帯無線電話機で、右側の機材が原型で、送受話器が本体の前面に装置されている。同調ダイアルはバーニャ式であるが本機では欠損している。左は第一次改造型で、送受話器が撤去され、外部よりの接続式となっている。掲示写真Cは試制携帯とBC-611の対比である。左が試制携帯第一次改造型、中央がBC-611、右側が試制携帯の最終型である。最終型はロッド型空中線が撤去され、ワイヤーアンテナ接続用のターミナルに変更されている。各機の前に置かれたのが外部筐体より取り出した試制携帯及びBC-611である。両機は技術的にあまりにもかけ離れており、比較にならない。 掲示写真Dは海軍の末期型携帯無線電話機「試製5式軽便無線電話機」である。前面パネルはアルミ製であるが、収容ケースは木製である。回路構成は試製携帯の最終型と同一であるが、本機は正に本土決戦に於ける、ゲリラ戦用機材である。