先般、米国のNet Auctionで、冷戦期にソビエト陸軍が開発、配備した携帯式対空監視用電波探知機「9S13」を入手した。本機は歩兵用対空警戒用電波探知機で、レーダーを搭載した攻撃機やヘリコプター等の敵航空機を探知、発見し、これを、併せ携行する小型の地対空ミサイルで殲滅しようとする、誠に劇画的な野戦用電波兵器である。入手機材概観 到着した「9S13」の状態は良好で、備品も全てが揃っていると考えられ、その内容は探知機本体(空中線装置、受話器、電池ケース付)、未開封予備検波器5個、スパナ類2個、空中線取付金具、収容キャンバスケース及び、備品点検簿である。また、装置の筐体容積は7X21x7cmで、重量はキャンバスケース込みで2.2Kgであった。 本機はマイクロ波帯用ホーン型空中線、マイクロ波検波器、半導体式低周波増幅器及び乾電池式電源により構成されているが、驚いたことに筐体は密封型で、残念ながら内部構造を確認することは出来ない。また、操作部は電源及びバンド切替用スイッチの二個だけで、音量調整機能は具えていない。ホーン型空中線は一本のコードで出力されているが、端末では二本に別れ、各コードは同軸コネクターで本体に接続されている。確認したところ、各コードは細い同軸構造であった。 入手前、マイクロ波用検波器はホーン型空中線の内部に組込まれていると推察したが、実際には検波器二個が、筐体上面の収容金物の中に装置されていた。本収容金物はキャビティ構造の同調回路を構成していると考えられ、付属の工具でシリンダー容積を可変する事が出来る。検波器は直径が4.2mm、長さが16mmの銀製の筒に収容された構造で、戦中に米軍のマイクロ波機材用として開発され、戦後各国で使用された検波器、1N23とは大分構造が異なっている。 「9S13」の運用周波数帯は判然としないが、空中線の構造から、6,000-10,000HMz近辺のXバンドを2バンドに分け受信する方式と考えられる。資料によると、本機の性能は、高度3000mの戦闘機に対し探知距離は20-25Km、高度300mでは10-15Kmとなっている。 「9S13」の使用方法は至って簡単で、ホーン型空中線を筐体上部又はヘルメットに取り付け、装置を首から吊し、受話器を装着し、前方空中を探索するのみである。 なお、補足資料として追加写真他を下記facebook「旧日本軍無線機etc.」に掲示した。 https://www.facebook.com/groups/1687374128228449/探知機の動作確認 「9S13」は筐体が開放できず、現状では内部構造を確認することは出来ない。しかし、このまま収蔵するのでは芸がなく、このため、動作確認を行うことにした。 電源スイッチのON・OFFで内部回路との接続及び抵抗値を確認した後、適正電圧は不明であるが、本体はトランジスター増幅器のため、とりあえず9Vを加圧してみた。しかし、受話器に反応が全く無いため、各端子をいじり回していると、突然増幅器の内部雑音が聞こえた。引き続き、各接線をいじり回し、漸く、受話器の付け根付近で、内部接線が半断線している事を発見した。このため、受話器を分解し、併せ付け根のゴム被覆を切開し、何とか原状を維持しつつ、修復を完了した。 状態が安定したので、次は動作確認試験であるが、当館はマイクロ波用の発振管は多数所蔵するも、発振器は備えていない。このため、代用として、増田屋の有名なRCバス(火花式送信機・コヒーラ式受信機)の送信機でB電波を発射した所、見事にブザー周波数で変調された雑音が受信でき、本探知機は生きていることが確認出来た。実地試験と米国海軍厚木基地 さて、探知機が動作状態である事が確認出来ると、実際のレーダー波を検知してみたい強い欲望駆られ、隣町の米国海軍厚木基地に急遽出向いた。冷戦期に、仮想敵国米国の航空機を感知するために開発されたソビエト製電波探知機の実地試験場としては、これほど相応しい場所はない。 厚木基地の滑走路南端の国道は、離発着する航空機の撮影には最適の場所で、いつも大型のカメラを携えた航空ファンで混雑しており、、当日も誠に盛況であった。とりあえず、滑走路に正対する場所に陣取り、探知の準備を整えた。 緊張して探知機のスイッチを入れると、「キッ・キッ・キッ」とパルス音が3回連続し、2秒毎に繰り返す信号が受信でき、探知は成功した様である。周囲をサーチすると、受信波は滑走路方向から発信されている模様で、信号の状況から、この電波はレーダー波ではなく、着陸誘導用電波の可能性もあると考えられた。既に夕暮れ時で、多くのことは出来なかったが、とにかく、ソビエト製電波探知機で、米軍航空機に関連したパルス信号を受信する事が出来、誠に幸であった。「9S13」と独逸マイクロ波用電波探知機 第二次大戦後期、ドイツ潜水艦隊はマイクロ波レーダーを装備した英国空軍(RAF)の対潜哨戒機に苦戦し、大きな被害を出したが、その対抗手段として開発された機材は、「9S13」と同一原理の鉱石検波式電波探知機であった。大戦終了後、ソビエトは旧ドイツの電子技術を全面的に取り入れ、その影響は1960年近くまで続いたが、「9S13」も又、旧ドイツ海軍のマイクロ波帯用電波探知機の技術を参考に、開発されたものと考えられる。 このため、以下でドイツ海軍に於けるマイクロ波帯用電波探知機の開発及び、併せ、帝国海軍との関わりについてその若干を掲示した。ドイツ海軍マイクロ波帯用電波探知機の開発 1942年(昭和17年)の末、RAFはSバンド帯マイクロ波(3,300MHz)レーダーであるH2S(地表探索、航法・爆撃用)の開発を完了し、直ちに爆撃機への配備を始めると共に、対潜哨戒機への転用を進めた。しかし、翌年2月に本機を搭載した爆撃機がオランダのロッテルダムで撃墜され、早くもH2S はドイツ空軍の手にするところと成った。後にこのレーダーは枢軸国側で「ロッテルダム装置」と呼ばれる事になるが、当時マイクロ波帯レーダーを未開発であったドイツ技術陣にとり、本機の発見は誠に衝撃的であった。 一方、ドイツ海軍では1943年の初頭より、Uボートに搭載するVHF帯の電波探知機Metoxが、レーダー波を感知しないにも関わらず、敵航空機の急襲を受けるようになり、その被害は甚大で、大混乱に陥っていた。 「ロッテルダム装置」の入手によりマイクロ波帯レーダーの存在が明らかになると、独逸海軍は直ちに、この周波数帯の電波探知機の開発を始めた。しかし、電波兵器行政の混乱によりその開発は遅れ、配備は1943年(昭和18年)の後半となり、この間ドイツ潜水艦隊は、非常に困難な状況下での作戦を強いられる事になった。ドイツ海軍マイクロ波帯用主要電波探知機 FuMB-7 Naxos ドイツ海軍が潜水艦用に開発した主要電波探知機の多くは、鉱石検波・低周波増幅方式である。この時期の実用的探知機は波長8-12cmに対応するFuMB-7 Naxosで、本機は鉱石検波器を内蔵した親指型空中線及び、低周波増幅回路により構成されていた。Naxosの探索は受聴式であったが、低周波増幅回路にはスケルチ機能が付加され、入力信号強度が設定レベルを超えると、ランプにより警報を発した。 担務要員は潜水艦が浮上すると空中線部と共にハッチより飛び出し、木製ポールの先端に装着した空中線を回転させ周囲を探索した。本式は、メートル波帯用電波探知機Metoxが導入された当初に行われた探知方法と同一である FuMB-26 Tunis 1944年(昭和19年)初頭、FuMB-7 Naxosに続き、Sバンドを使用した英空軍の海上探索用レーダーASV(Air to Surface Vessel) Mk.V(3,300MHz)に対抗するマイクロ波用電波探知機の研究中、ドイツ空軍は撃墜した米爆撃機より波長3cm(10,000MHz)のXバンドレーダーH2Xを回収した。この時期、ドイツ海軍は反射器付きダイポール型空中線を装備したSバンド(2,000-4,000MHz)用電波探知機機FuMB- 24を開発していた。しかし、Xバンドレーダーの出現により、急遽ホーン型空中線を装備したXバンド(8,000-10,000MHz)用探知機FuMB -25を開発した。 FuMB- 24、FuMB-25は共に、空中線装置に鉱石検波器を取付けた構造で、検波信号増幅器は5極管RV12P2000の6段構成であり、探知は受聴式である。しかし、この二機材を個別に運用するのは好ましくなく、このため、両機の空中線を背中併せに統合し、低周波増幅部を兼用するFuMB-26 Tunisが開発された。本機の空中線部分は木製ポールの先端に取付けられ、FuMB-7と同様に、担務要員は潜水艦が浮上すると空中線部と共にハッチより飛び出し、ポールを回転させ周囲を探索した。遣ドイツ潜水艦と電波探知機 帝国海軍の田丸直吉造兵(電波)少佐は1943年(昭和18年)12月、駐ドイツ大使館付武官として、第4次遣ドイツ潜水艦伊29に便乗しドイツに派遣されたが、戦後その記録を「竜宮紀行」(注-1)として自費出版した。 本書によると、当初、伊29は呉海軍工廠製のメートル波帯(VHF)用電波探知機及び、回転式ラケット型空中線を装備していた。しかし、シンガポールに於いて、丁度ドイツより帰還した第2次遣ドイツ潜水艦伊8が、往路途上にドイツ補給潜水艦より受領したMetox(VHF電波探知機)及びルンド型空中線(ラケット型の円形無指向性型)を装備していたため、急遽本装置を伊29に移設した。 1943年12月17日、伊29はドイツ占領下のフランス・ロリアン軍港に向けシンガポール出航、翌年の2月14日、アゾレス諸島の南方300浬、北緯28度00分、西経39度05分でドイツ補給潜水艦と会合し、電波探知機を受領、併せ連絡士官1名、操作担当下士官1名及び兵1名が乗艦した。 「竜宮紀行」の記述から、この折り伊29がドイツ潜水艦より受領した電波探知機は、マイクロ波帯用のFuMB-7 Naxos及び、メートル波帯用のFuMB-8 Wanz3型で、空中線装置はFuMB-7が「親指型」、FuMB-8は「ルンド型」であったことが判る。また、文章からは、マイクロ波電波探知機Naxosの受聴音だけを頼りに、RAFの対潜哨戒機を回避しつつ航海を続ける伊29の過酷な状況が偲ばれ、この時期の枢軸国潜水艦にとり、鉱石式電波探知機が如何に重要な兵器であったのかが理解できる。 1944年(昭和19年)3月15日、伊29は無事ロリアン軍港に到着し、休養、物資の搭載を済ませた後、4月16日にシンガポールに向け帰途に就いたが、この際、波長1.2-12cmのFuMB-26 Tunisと推察される試作電波探知機を受領した。7月12日、伊29は無事シンガポールに到着、乗組員を除く便乗者全員が離艦し、その後、新たに士官候補生10名を乗せ呉に向け出航したが、途上バリタン海峡で米海軍潜水艦の雷撃を受け沈没した。帝国海軍とマイクロ波用電波探知機 1941年(昭和16年)10月、海軍技術研究所は3,000MHz帯を使用した水上警戒用マイクロ波レーダー「2号電波探信儀2型(22号電探)」の開発に成功した。しかし、3,000MHz帯は未経験な技術分野であり、特に受信機の安定化に手間取り、用兵側が最も必要な時期に、本機の発展型である水上射撃管制用レーダーを提供することが出来なかった。 当初技術研究所が開発した22号電探の受信機は他励式超再生検波方式であり、その後オートダイン検波方式に改良されたが、何れの動作も芳しくなく、このため、射撃管制レーダーへの転用は望むべくもなかった。しかし、1943年(昭和18年)の末に、技術研究所電波研究部の菊池正士技師(注-2)の指導の下、22号系電探の研究に携わっていた東京帝国大学大学院学生の霜田光一研究生(注-3)が、マイクロ波用鉱石検波器の開発に成功し、22号電探のスーパーヘテロダイン化及び、マイクロ波帯電波探知機開発の懸案が一挙に解決することになった。鉱石検波器の開発 1943年9月(昭和18年)上旬、電波研究部菊池技師の指示により、霜田研究生はマイクロ波検波用鉱石の研究を始めるが、海軍側から提供された機材は信号源発生用の小型磁電管M-60及び、励磁用の永久磁石だけであった。霜田研究生は各種鉱石の検波特性を調査し、黄鉄鉱とシリコンがマイクロ波に対し優れた検波特性を示す事を発見し、黄鉄鉱の結晶で検波器を作ることに成功した。 当時海軍技術研究所の技術者達は、鉱石検波器は過去の遺物であり、感度も低く、また、振動や衝撃に弱く、戦闘艦に装備する無線装置には使用できないと考えていた。実際、当時使われていた鉱石検波器は振動に弱く、その対策として、太い接触針を用いて検波器が作られていた。しかし、霜田研究生は物理学的に考え、衝撃による加速度に対しいては、太い針先よりも細く短い針が有利であり、鉱石の摩擦力で接触点が動きにくい筈であるとし、この方式により鉱石検波器を開発した。事実、完成した鉱石検波器は従来の製品に比べ衝撃に対して格段の耐震性があり、戦闘艦搭載装置の使用になんら問題の無いものであった。電波探知機3型、47号受信機の開発 霜田研究生は早速この検波器と高利得増幅器を組み合わせ、試験装置を作り上げた。実験の結果、出力20mWの磁電管M60の発振パルスを45m離れた位置で、S/N2程度で受信出来ることを確認した。引き続き、本装置に電磁ラッパを取付け本格的な野外実験が行われ、芝浦の実験所に設置された22号電探の電波を、23km離れた千葉県富津海岸でS/N2.5〜8.9で受信し、以後の実験結果も良好で、マイクロ波用電波探知機の目処が立った。この結果を基に、電波研究部はマイクロ波帯用電波探知機を設計し、早速七欧無線に試作機の製造を発注した。併せ、受信空中線の広帯域化や低雑音高利得増幅器の研究が進められ、本機は47号受信機として完成した。 本マイクロ波用電波探知機47号受信機の運用周波数は400-10,000MHz(注-4)で、構成は鉱石検波・低周波増幅方式である。本機は空中線部と同調用立体回路(キャビティ)が合体した構造で、組込まれた鉱石検波器の出力を低雑音増幅(110db)する方式であり、空中線には広帯域ダイポール型、電磁ラッパ型等各種が開発された。47号受信機は構造が簡単で製造も容易なため、直ちに量産化され、「仮称電波探知機3型・47号受信機」として1944年(昭和19年)4月から各艦への配備が始められた。仮称電波探知機3型・47号受信機緒元用途: レーダー波探知装置場所: 水上艦艇運用周波数: 400-10,000MHz受信方式: 鉱石検波・低雑音増幅方式(110db)電源: 交流110V空中線: 電磁ラッパ、ラケット型潜水艦用48号A型受信機の開発 この時期、マイクロ波帯用電波探知機を最も必要としていたのは、米海軍駆逐艦や対潜哨戒機が搭載する水上警戒用マイクロ波レーダーの脅威に直面していた潜水艦隊であった。しかし、未だに潜水艦へのメートル波帯用空中線の艤装方法も十分には確立されておらず、開発されたマイクロ波帯用空中線の取付けは技術的に困難であった。このため、潜水艦用として、空中線を可搬式のパラボラ型とした「48号A型受信機」が開発された。 本パラボラ型空中線は、中央に背後よりハンドルの回転で同調周波数を可変出来る筒状のキャビティが装置され、その先端内部には鉱石検波器が組み込まれ、両側面に楕円形の広帯域ダイポールが取り付けられた構造で、検波信号は接続ケーブルを介し受信機本体(低雑音増幅器)に出力された。電測員は受信機に延長コードで接続した受話器を装着し、潜水艦が浮上すると空中線部と共にハッチから飛び出して四方を探索し、敵レーダー波の探知を行ったが、この方法は前述したドイツ潜水艦隊が行った方式と同一である。写真補足 掲示組写真@が今般入手したソビエト製のマイクロ波用電波探知機である。各部は黄色@がバンド切り替え器、Aが電源スイッチ、Bが検波ダイオード収容器で、本器は同調用キャビティを構成していると考えられる。Cはホーン型空中線、Dは片耳式受話器接続端子、Eは空中線入力端子、Fは電池ケースである。 掲示資料Aの左は、ドイツ海軍が大戦後期に開発した実用的マイクロ波用電波探知機FuMB-7 Naxosである。右はマイクロ波用空中線のイラストで、左がFuMB-24探知機用のダイポール型空中線、右がFuMB-7用の親指型空中線である。Uボートで本空中線を使用する場合は、空中線を木の棒の先端に取り付け、坦務要員が回転させ探索を行った。 掲示写真BはFuMB-26 Tunisの空中線装置で、構造はFuMB-24用のダイポール型空中線及び、FuMB-25用のホーン型空中線を、後ろ合わせで統合した構造である。Uボートで使用する場合の操作は、FuMB-7と同一である。 掲示写真Cは帝国海軍の400型潜水艦に配備されたマイクロ波用電波探知機「48号A型受信機」のパラボラ型空中線である。担当が右手で同調用ハンドルを操作している。パラボラ中央の筒はキャビティで、先端の両側に取り付けられた楕円の羽根は広帯域ダイポールであり、その中間内部に鉱石検波器が装置されている。(注-1) 今日「竜宮紀行」の入手困難であるが、その全編は文庫本「伊号潜水艦訪欧記」(光人社)に収録されている。(注-2) 菊池正士(1902-1974)、物理学者、文化勲章受章(注-3) 霜田光一、現東京大学名誉教授、文化功労者(注-4) 最高対応周波数については当時測定方法が無く、10,000MHzは必ずしも正確ではない。