この度、横浜在住のソリッドモデラー松崎幸治殿より、ロケット戦闘機「秋水」の模型を御寄贈頂きました。本ソリッドモデルは当館が所蔵する帝国海軍の高高度飛行用「予圧面」と併せ展示を行うため、数年前に製作を御願いしたものです。 松崎殿の御高配、御貢献に心より感謝申し上げます。 さて、松崎殿が製作される機体は朴(ほう)の木より削り出す伝統的なソリッドモデルで、その製作には驚く程の手間と根気が必用です。お作り頂いた「秋水」の縮尺は1/45で、主翼先端は実機と同様にねじり下げ構造に成っており、また、コックピット内部の再現や、機体各部の筋彫は誠に精密で、驚かされます。 プラモデルとは異なり、松崎殿にお作り頂いた「秋水」は、この世の中に一機しか存在せず、今般のご寄贈は誠感謝に堪えません。近日、本機は予圧面と併せ、館内に展示を行いたいと考えております。ロケット戦闘機秋水 秋水は帝国陸海軍がドイツのメッサーシュミットMe-163Bの設計図をもとに開発したロケット戦闘機で、高高度で飛来するB-29爆撃機に対し、効果的な迎撃を行う最終兵器として期待されました。 1944年(昭和19年)7月14日、ドイツ駐在監督官であった海軍の巌谷英一技術中佐は、ドイツ航空省よりロケット戦闘機 Me-163B及び、ジェット戦闘機Me-262の設計図面を受領し、第4次遣ドイツ潜水艦伊号第29でシンガポールに帰着しました。巌谷中佐は入手図面の内、両機の機体3面図他を携え、シンガポールより航空機で帰朝しましたが、伊29は呉に向かう途上、バシー海峡でアメリカ海軍の潜水艦に撃沈され、他の関連設計資料は失われました。 Me-163の国産化は海軍、陸軍、民間の協同により直ちに始められましたが、入手した設計資料が不十分であるため、不足の部分は日本側の技術により補完され、1945年(昭和20年)の6月頃、試作機が完成しました。7月7日、海軍横須賀追浜飛行場に於いて試作機の動力試験飛行が実施されましたが、不幸にも、本機は上昇途中でエンジンが停止し、着陸時に機体は失速して墜落、大破しました。この飛行での、試験機の動力上昇時間は約16秒、到達高度は大凡500mで、滞空時間は約40秒でした。その後も、機体の生産、搭乗員の育成に関わる業務は続行されましたが、間もなくして終戦となり、秋水の動力飛行はこの一回のみで終わりました。 なお、本機の離陸は投下式車輪にて行い、燃料消費後は滑空により帰投し、胴体より繰り出す橇(ソリ)で着陸を行います。秋水諸元推進装置: 高温式ワルター式KR10ロケットエンジン (推力1500kg)1基、燃料: 過酸化水素・ヒドラジン他、乗員: 1名,全幅: 9.50m,全長: 5.95m、全高: 2.70m、武装: 30mm機関砲2門、最大速度: 800km/H、上昇時間: 高度1万m約3分,動力航続時間: 約5分30秒 ワルターエンジン 秋水のロケットエンジンKR-10は、メッサーシュミットMe-163が搭載した高温式ワルター・ロケットエンジンHWK 109-509の国産型です。ワルターエンジンは戦前ドイツのヘルムート・ワルターが開発しましたが、本エンジンは高濃度の過酸化水素を分解し、発生する高圧の水蒸気や酸素ガスを利用する熱機関の総称です。 秋水が搭載したKR-10は推力を得る高温式及び、燃料を燃焼室に供給する低温式ワルターエンジンの二基により構成されています。 高温式ワルターエンジン部は燃料のT(甲)液(80%過酸化水素)とC(乙)液(メタノール及びヒドラジン系燃料)を燃焼室で混合させ、発生する爆発的燃焼反応により強力な推力を得る方式です。 一方、低温式ワルターエンジン部は、燃料ポンプを駆動する蒸気機関を構成しています。このエンジンは甲液の一部を蒸気発生器に装置した固形触媒(過マンガン酸カリウム・二酸化マンガン他)と反応(酸素と水蒸気に分解)させ、発生する強力な水蒸気で動力部のタービンを高速で回転させ、駆動する燃料ポンプにより圧縮した甲液、乙液を燃焼室に供給します。帝国海軍「予圧面」 本来、海軍に於いて予圧面とは、高高度飛行時に使用する酸素マスクを指す言葉です。当館が所蔵する「予圧面」は海軍の高々度飛行用与圧ヘルメットで、大戦後期の試製品であると考えられます。本「予圧面」は従来の顔面装着式酸素マスクの代わりに、密閉構造のヘルメット内部に予圧酸素ガスを供給します。「予圧面」の開発には諸説がありますが、定説はロケット機秋水用に開発されたとされるものです。しかし、大戦後期、高々度用航空機、飛行装備の開発は時代の要請であり、その一環とし研究、製作され、秋水の飛行にも使用が予定されたと考えるのが妥当と思われます。 本「予圧面」は海軍航空医学部に於いて研究・開発が行われ、150個ほどが製作されたとの事ですが、開発の経緯については判然としません。開発後、実戦航空隊に於いて使用試験が行われましたが、本ヘルメットは圧迫感が強く、視野が狭く感じ、周囲確認の動作が制約される等、操縦員には不評であったと伝えられています。軽量な革製の飛行帽に慣れた一線の操縦員にとっては、時代を先取りした予圧ヘルメットに対する拒否反応は、至極当然であったと考えられます。 なお、当館の所蔵物を含め、現在我が国には3個の「予圧面」が確認されています。「予圧面」の構造 本「予圧面」はヘルメット構造の予圧酸素装置及び、酸素ガスの供給補助を行う腹帯(当館未所蔵)により構成されています。海軍航空医学部に於いて、腹帯は1941(昭和16年)年頃、「予圧面」本体は1944年(昭和19年)の後半に開発されたと考えられます。 腹帯は供給酸素ガスを一次蓄える空気嚢です。既存の酸素マスクの場合、酸素ガスの流入量は一定です。しかし、人の呼吸は飛行高度で変化するため、腹帯は高度に応じ変化する腹部の動きを利用し、適量な酸素ガスを酸素マスク又はヘルメットに供給します。つまり、腹帯は呼吸補助装置と考える事が出来ます。 「予圧面」本体はゴムの成形物で、頭部背後及び顎(アゴ)部には装着用のスリットが施され、使用時両箇所は余長部を合わせ、上部よりゴムバンドで圧着・閉塞します。頭部にはインナーが装置され、各自に合わせ設定を行います。ヘルメットの前面は二重構造の有機ガラスで、呼吸の湿気により内面が曇るのを防ぐため、電熱用のニクロム線が埋め込まれています。また、必要に応じ前面には遮光板を取り付ける事が出来ます。 ヘルメット背後頭部には、酸素ガス供給用の直径35mmの蛇腹状ゴムホースが腹帯より接続され、眉毛の上部二カ所より吹き出します。右側面上部には内部気圧測定用と考えられる直径12mmのゴムホースが、また、下部顎部には、呼吸補助用として腹帯より接続されると考えられる、同サイズのホースが接続され、併せ、受話器及び電熱線電源供給用のコードが装置されています。一方、左側面の上部にはヘルメット内の予圧調整用のバルブが、また、顎部には呼吸排気用バルブが装置され、各自の呼吸状態に合わせ、適切な設定が行えます。酸素マスクに関わる若干の補足 高高度に在っても、人間は体内の酸素分圧を、地上レベルに保つ必用があります。日本人の成人男子は、地上1気圧では約10リットル(L)/分の空気を吸入しますが、その中には約2Lの酸素が含まれています。また、高度と共に気圧が低下しても、地上換算で2L/分の酸素が必要です。このため、完全予圧機能の無い航空機の場合、パイロットは3000m以上では常に酸素マスクを装着し、外気圧に反比例した予圧酸素ガスを吸入する必用があります。 通常、必用酸素の供給は酸素レギュレターにより行われますが、本器は高度上昇に伴う気圧の低下を検知し、酸素と空気の混合ガスの割合を、高度の上昇に合わせ自動調整し、マスクに供給します。本式は自動加圧呼吸要求型酸素レギュレターと呼ばれ、大戦期の我が軍も同様の方式を採用していました。 なお、高度10,000mでは、マスクへの供給酸素濃度は大凡100%と成ります。