先般、陸軍航空部隊で使用された明電舎製の水晶発振片箱入り5個を知人より入手した。航空部隊用水晶発振片は希少で、また、筺入りは珍しく、当館の展示用資料として必要であった。 本水晶片は「ヒ号発振具」と標記され、ヒ号とは「99式飛1号無線機」等の陸軍航空機用無線機材を表すが、併せ、地上用対空通信機材にも使用された。 入手した「ヒ号発振具」の筺には「公称温度係数± 2/1,000.000以内、古賀Rカット式水晶振動子」と標記され、本発振片の水晶板が陸軍の野戦機材用「3号型水晶片」と同様に、Rカットで有る事が分かる。帝国陸軍水晶発振子とRカット 1931年(昭和6年)、陸軍通信学校研究部は第三次制式制定に向けた次期機材の研究審査に着手し、超短波帯以下の送信機は水晶発振方式とする事を決定した。 之より先、1920年(大正9年)の後半より短波帯に於ける商業通信が盛んになり、発振周波数の安定度について国際的な取り決めが必要な状況となっていた。このため、1932年(昭和7年)になり、国際電気通信条約により、その偏差値は2× 10-4(10のマイナス4乗)以下に確定したが、この時期、短波帯の発振用水晶片にはX板の厚み振動子を使うことが一般的であつた。 水晶発振子の周波数変動要因は周囲の温度変化だけであるが、X板の温度係数は-2× 10-5もあり、また、GEのエリスが1926年(大正15年)に開発したY板は発振が容易で好評であったが、温度係数はさらに大きく+8× 10-5もあった。この場合、何れの水晶板も温度が10℃ 変化すると国際通信条約の許容値を越えてしまうため、当時水晶発振子は一定の温度を維持する恒温槽に収容し使用する事が多く、陸軍通信学校研究部もこれらを念頭に発振回路の設計を始めたと考えられる。 しかし、幸いにも研究部が作業を開始した翌年の1932年(昭和7年)、東京工業大学の古賀逸策教授がXカットに比べ周波数の安定度が各段に優れたRカットを発見した。本カットとはX軸に平行で、Z軸から35°15′近辺に位置する温度係数が殆ど零となる切断角度で、発振周波数が周囲の温度による影響を殆ど受けず、「公称温度係数± 2/1,000.000」以内を実現することが出来た。この発見を受け、陸軍は明電舎にRカットの軍用水晶発振子の開発を依頼し、3号型水晶振片が誕生した。 なお、諸般の事情により、現在古賀教授が発見したRカットはATカットと呼ばれている。陸軍3号型水晶片 本水晶片はアルミ合金と考えられる接触金具二枚で水晶板を挟み、その外周を絹製のテープで3回ほど巻き、接着剤で固定した後、コルク板二枚でこれを挟みケースに収容した構造である。水晶板及び接触金具の大きさは20x20mmで、金属の厚さは1.5mmである。水晶板を挟む金具の接触側は内部が円周に極浅く削られ、残った四隅で水晶板を挟み込み、接触金具の片隅に埋め込まれた砲金部より引き出された接線が、筺の両側面に装置された金具に半田付けされている。 Rカットにより3号型水晶片の発振周波数は非常に安定しているが、暫く使用しないと接触金具が酸化し発振不良を起こす構造的欠陥があった。このため、水晶片には「発振不良ノ時ハ机上ニ軽打スルコト」と表記されており、3号型水晶振動子の発振不良が恒常的で有った事が分かる。「ヒ号発振具」 本水晶発振片の構造は3号型水晶片とは全くことなり、海軍型水晶発振片に相似し、筺の裏表に装置されたアルミ製の蓋が発振片の接触部となっている。発振部は20x20mmで、厚さ1.5mmのアルミ合金製接触金具二枚で水晶板を挟み、各金具から接線が引き出されている。接触金具の材質、構造は3号型水晶片に類似し、接触側は内部が円周に極浅く削られ、残った四隅で水晶板を挟み込む構造である。発振部の裏側接触金具から伸びた接線は水晶筺の裏蓋にハンダ付けされ、表側接線は上蓋と併せネジで固定するための端子に接続されている。上側接触金具の上面には湾曲した薄手のスプリング板二枚が交叉して載せられ、これを上蓋で抑え発振部圧着固定する構造である。 野戦機材用の3号型水晶片は二枚の接触金具で水晶板を挟み、之を絹テープで巻き固定した構造であった。このため、水晶板と金具との圧着力に欠け、接触部に発生した酸化皮膜により、発振不良が多発したと考えられる。このため、「ヒ号発振具」では其の轍を踏まず、発振部をスプリング板で押しつけ、圧着により接触不良を防ぐ構成を採用したと考えられる。 なお、「94式対空2号無線機」を構成した送信機にも「ヒ号発振具」が使用されており、このため、本発振子の導入時期は「3号型水晶片」と大差はなかったと考えられる。掲示資料補足 組写真@は今般入手した「ヒ号発振具」で筺には「公称温度係数± 2/1,000.000以内、古賀Rカット式水晶振動子」と記されている。水晶片は何れも未使用品である。 写真Aは「ヒ号発振具」の内部で、写真Cの「3号型水晶片」の内部構造とは全く異なっている。接触金具で水晶板を挟み、上部より二枚のスプリング板で圧着固定する。 資料Bは天然水晶に於ける発振用水晶片のカット構成である。X軸に平行で、Z軸から35°15′の板がATカット(Rカット)である。 写真Cは「3号型水晶片」の構成部品である。発振部は水晶板を接触金具で挟み、絹テープで3回ほど巻いた構造で、これをコルク板で挟みケースに収めている。このため、大きな圧着力は期待できない。