今般、帝国海軍の特殊潜行艇(特潜)「甲標的」に搭載された特型無線機材「試製短波無線電信機」を入手した。この電信機は当館が収集資料他により甲標的搭載無線電信機と確定した機材で、長年に渡りその入手を切望していたが、漸く念願が叶い誠に幸である。 本機は沖電気製で、製造は1943年(昭和18年)3月である。電信機は構成真空管を含め完全に原状を維持し、また、驚いた事に前蓋、装置前面保護金物及び保管用の布覆いまで付属していた。状態から、本機は未配備品と考えられ、戦後間もなくして何処かに保管され、今日まで忘れ去られていたと推察される。 なお、当館が試製短波無線電信機を甲標的搭載無線機材であると確定した経緯については、次項の「その2・その3」に掲示した。試製短波無線電信機装置概要 本機は海軍航空技術廠(空技廠)が1936年(昭和11年)に開発した2座航空機用無線電信機である「96式空2号無線電信機(原型)」の改修型で、製造は沖電気である。装置は送信機と受信機が合体した構造の送受信機構成で、運用モードはA1(電信)、A2(変調電信)、A3(電話)である。本機材の筐体容積は39x27x23cmで、重量は20Kgある。 なお、以前より特潜搭載の無線機材は据置型と考えていたが、その装着方式が判然としなかった。しかし、今般の入手により、装着は装置両側面下部二箇所に取り付けられた蝶ネジにより、卓上に設置された緩衝マウントに固定する方式である事が判明した。試製短波無線電信機諸元送信周波数: 7,000-11,000KHz受信周波数: 7,000-11,000KHz(周波数置換表表示範囲)電波型式: A1(電信)、A2(変調電信)、A3(電話)送信機入力: 100W送信機構成: 水晶(2個装備可)又は自励発振UZ-510、電力増幅UZ-510二本並列使用、第3格子変調受信機構成: スーパーヘテロダイン方式、第1局部発振自励又は水晶制御(2波装備可)、高周波増幅1段UZ-6D6、周波数混合Ut-6L7G、第一局部発振UY-76、中間周波増幅1段UZ-6D6、検波・低周波増幅1段Ut-6B7、唸周波発振(BFO)UY-76、低周波増幅2段UZ-41、側音発振UY-76中間周波数: 635KHz送信電源: 回転式直流変圧器、出力1,000V受信電源: 振動式直流変圧器、出力250V空中線: ロッド型(約70cm)製造元: 沖電気試製短波無線電信機装置概観送信機(部) 本機は発振・電力増幅方式で、電波型式はA1(電信)、A2(変調電信),A3(電話)である。送信機入力はA1が約100Wで、運用周波数は短波帯7,000-11,000KHzの1バンドである。本機は発振・電力増幅段同調回路及び空中線同調回路を各二基装置し、転換器により事前に設定した2周波数の変更を一挙動にて行うことが出来る。 発振は五極管UZ-510によるハートレー回路の変形で、通常は水晶発振回路を構成するが、水晶片を取り外すと自励式発振回路として動作する。装着可能な水晶片の数は同調部に対応して2個である。発振段陽極同調回路にはネオン管が装置され、水晶の発振同調点が確認出来る。電力増幅回路はUZ-510二本の並列使用で陽極電圧は1,000V、同調回路は並列共振回路方式である。発振段と電力増幅段の同調用可変蓄電器は2連構造で、各段の同調は一挙動である。 空中線同調回路は可変式インダクタンス(バリオメータ)及び空中線電流計により構成され、出力は平衡型空中線方式であるが、片側は平衡用蓄電器を介し接地して使用する。この場合の空中線同調は1/4波長空中線接地構成であり、同調操作により全周波数帯を艇装備のロッド型空中線に電流饋電で同調させる。 電鍵・変調、側音回路 送信機の電鍵回路は継電器による発振管、電力増幅管の第二格子電圧制御方式で、送受信の転換は電鍵操作によるブレークイン方式である。また、変調回路は電力増幅管の第一格子変調方式である。 A2運用時の変調用信号及び、A1・A2運用時の側音用低周波発振回路は受信機に装置されており、電鍵回路により制御され発振する。A1・A2運用時、電鍵回路の動作により発振する低周波出力は受信機の中間周波増幅回路に加圧され、受話器回路に電信符号モニター用の側音として出力される。 A2運用時、電鍵回路により発振する低周波出力は、整合用変圧器を介し、電力増幅管の第一格子に変調用信号として加圧され、A2変調を行う。 A3運用時、低圧カーボン式送話器の出力は整合用変圧器を介し、電力増幅管の第一格子に加圧され変調を行うが、送受信の転換は送話器に装置されたボタンによるプレストーク方式である。受信機(部) 本機は高周波増幅1段、中間周波増幅1段、低周波増幅2段のスーパーヘテロダイン方式で、AGC、唸周波発振(BFO)機能を具え、運用周波数は送信機と同一の短波帯7,000-11,000KHzの1バンドである。 フロントエンドは五極管UZ-6D6による高周波増幅1段、七極管Ut-6L7Gによる周波数混合回路(第一検波)及び、三極管UY-76による局部発振回路で構成されている。局部発振回路は陽極同調発振方式の変形で、固定周波数受信用として水晶片2個を装置する事が出来るが、水晶片を取り外すと自励発振回路として動作し、連続受信が可能となる。発振出力は周波数混合管の第3格子に注入しているが、混合は上側ヘテロダイン方式である。各部の同調回路は3連式可変蓄電器により構成され、同調機構はバーニアダイアル方式で、周波数は添付の置換表により読取る。 中間周波増幅回路はUZ-6D6による1段増幅方式で中間周波数は635KHz、第二検波は双二極・五極複合管Ut-6B7の二極部一極で行う整流検波方式である。本受信機はAGC機能を備えており、他の二極部一極でAGC電圧発生回路を構成し、出力を高周波増幅管、周波数混合管及び中間周波増幅管の第一格子に加圧している。 A1信号復調用のBFO回路はUY-76で構成されるハートレー発振回路で、出力を中間周増幅管に注入している。低周波回路はUt-6B7の五極部による1段及び五極管UZ-41による二段増幅方式で、出力はハイインピーダンス構成である。本受信機の手動利得調整は高周波増幅管及び中間周波増幅管のカソード電圧可変方式である。 受信機にはUY-76で構成される送信機のA2変調及び側音用の低周波発振回路が装置され、電鍵操作により発振する。電源装置 試製短波無線電信機の電源装置は96式空2号無線電信機と同一で、送信機用高圧電源及び、受信機用高圧電源の二基により構成されている。送信機用電源は回転式直流変圧器構成で、入力電圧は12V、出力は1,000Vである。受信機用電源は振動式変圧器(バイブレター式)構成で、入力は12V、出力は250Vである。線條等の低圧用12Vは濾波器を介し艇内電源を使用する。空中線装置 当初、帝国海軍に於ける潜水艦の短波通信は起倒式のケージ型空中線や、防潜網除去索に沿わせた空中線により行われていたが、後に潜望鏡昇降装置を応用した短波檣(ほばしら-マスト)なる空中線が開発された。本装置は昇降装置の先端露頂部に1mの黄銅棒をエボナイトで防水した空中線素子を取り付け、これを送信機に接続するもので、潜行中は空中線部だけを水面上に露出し通信を行うことができた。この構造を応用して、甲標的にも類似の空中線が開発されたが、Navy Office Melbourneの報告書によると、本空中線は太さが約6cm、長さが約70cmの被覆ロッドで、通常は司令塔内前部に収容され、使用時は手動ハンドルで繰出す構造となっている。 本空中線については海軍電気技術史に、「この短波檣は艦政本部第3部に於いて最も苦労したものの一つで5-60浬の通信能力の要求に対し、空中線高と使用波長の関係上殆ど自信のないものであった」と記されている。 なお、ロッド型空中線の構造及び取付位置については分解された酒巻艇の写真(その2・組写真A)により知る事が出来る。96式空2号原型と試製短波無線電信機 96式空2号無線電信機には原型、改1型及び改2型の3種類があるが、構成真空管が試製短波無線電信機と同一の機材は原型のみである。 試製短波無線電信機の運用周波数は送受信機共に7,000-11,000KHzの短波帯のみとなっており、96式空2号原型が送受信機共に長波帯300-500KHz及び、短波帯5,000-10,000KHzであるのとは大きく異なっている。また、試製短波無線電信機は水晶片による2固定周波数の受信機能を具えているが、96式空2号各型に2固定周波数受信機能を具えた機材は無い(空2号改-1は4固定周波数受信機能有り)。 運用周波数については、通常短波帯を使用する軍用無線機は昼夜を問わず、常時一定の通信距離を確保するため適切に運用周波数を選定する機能を具えており、帝國海軍航空部隊では昼間時は7,000KHz付近を、夜間帯には5,000KHz近辺を使用した。しかし、試製短波無線電信機の運用周波数は7,000-11,000KHzで、夜間通信には不向きな周波数帯となっており、その選択に疑問が残る。 なお、後述するが、上記の試製短波無線電信機の特長有る運用周波数と受信機の2固定周波数受信機能が、甲標的搭載無線機材の確定に大きな手掛かりとなった。掲示資料補足 掲示組写真@が今般入手した試製短波無線電信機で、装置の左側が受信機、右側が送信機である。構成各部はオリジナルの状態で欠品は無い。 写真Aは装置本体に付属していた前面保護金物を装着した状態である。本金物は誤操作防止用と考えられ、陸軍の戦車用機材である車輌無線機乙にも同様の保護金物が付属している。 写真Bは試製短波無線電信機の内部で、左が送信機、右が受信機である。装備真空管の全てはオリジナルで、錨マークが印されていた。 写真Cは試製短波無線電信機の雛形である96式空2号無線電信機の原型である。細部は異なるが、水晶片の装置構成を除くと両機は相似している。