昨今、零式艦上戦闘機に搭載された無線装置に関わる問い合わせを受けることが多い。このため、2012年に掲示した初期型零式艦上戦闘機に搭載された「96式空1号無線電話機」について再掲示を行った。 なお、本機材は96式艦上戦闘機の導入に合わせ開発された海軍航空部隊の、初期型無線電話機であり、大戦中期以降は「3式空1号無線電話機」が開発・導入され、零戦を含む海軍の各種単座戦闘機に搭載された。*************海軍零式艦上戦闘機搭載「96式空1号無線電話機」其の1 この度、零戦21型他に搭載された海軍の単座戦闘機用無線電話機、「96式空1号無線電話機改1」を構成する送信機及び受信機を入手した。両機は米国からの里帰りで、製造は沖電気(昭和18年)、送受信機には共通の運用周波数4,790KHzの水晶片が装備されていた。 ご存じの様に、96式空1号無線電話機は坂井三郎氏の著書「大空のサムライ」の影響が大きく、現在もなお紋切型に、不良・不達無線電話機として語られることが多い。しかし、状況からしてその原因は、エンジンより発生するイグニッションノイズにより受信機が受信不能状態になった為と考えられる。勝戦の緒戦では、手間の掛かる発動機の点火系電磁シールド作業に熱心でない整備部門もあり、発生するイグニッションノイズにより、通信に支障を来す部隊が多くあった。坂井三郎氏が所属した部隊も、それらの一つであったと考えられる。 一方、海軍のエースであった岩本徹三氏が所属した部隊は、著書「零戦撃墜王」(光人社)にもある様に、機上無線機を活用して効果的な戦いを行なったが、これは、本装置に不都合の無かった事の証である。 上記を踏まえ、96式空1号無線電話機を正しく理解、評価するため、装置各部の調査及び性能確認試験を行い、併せ、同時代の英米独の戦闘機用無線電話機について概観してみた。「96式空1号無線電話機改1」概要 本無線電話装置は送信機、受信機、電源装置他より構成されている。送信機、受信機の容積は共通しており、横幅が24cm、縦20cm、奥行が11cmと非常に小型で、重量は送信機が4Kg、受信機が3Kgである。96式空1号無線電話機は96式艦上戦闘機用に開発されたため、送受信機の背後上部は機体の形状に合わせ丸みを帯び作られており、また、送信機の裏蓋には放熱を考慮し多くのスリットが切込まれている。送受信機の左右上部には二箇所、下部には一箇所装置固定用の金具が装置され、両機は緩衝用ゴム紐により上下が固定され、宙づりの状態で機体に装備された。 空中線(零戦装備)は操縦席後部に機首方向に若干傾斜して取付けられた1.5mの木製マストより垂直尾翼頂部に固定された水平部約4m、引込部分を含め約7mの逆L式であり、マスト内を通し機体内に引込まれた。また、無線電話機と合わせ無線帰投方位測定機を搭載する場合、本空中線は帰投装置本来の垂直型空中線の代用として使用した。このため、必要に応じ、空中線を無線電話機、帰投装置へと切替える必要があった。 なお、96式空1号無線電話機の原型は電源一次入力が6Vで、送信機の発振・変調管にはUX-47Aが使用され、受信機の構成管は電池管であったが、間もなくして改1型が導入された。送信機概観 本送信機は発振管UY-503及び変調管UY-503により構成され、電波形式は電信(A1)及び電話(A3)である。UY-503はマツダ製の直熱式五極送信管で、線條電圧は10Vである。発振は陽極同調型発振回路であるが、本機ではUY-503一本が水晶発振、電力増幅を兼用する構成である。陽極電圧は500Vで電信運用時の入力電力は大凡30Wであり、通常であれば15W程度の出力を期待出来るが、本回路の場合は多くが水晶発振に消費され、出力は7W程度と効率が悪い。電鍵回路は送信管の陰極回路接断方式で、この回路は高圧が掛かるため、制御は継電器を介し行っている。 陽極同調回路は並列タンク回路方式で、発振表示用にネオン管が装着されている。出力側コイルはプラグ切替方式のインダクタンス可変構造となっており、本来は平衡型空中線を使用する構成である。本機を機上で使用する場合、出力側コイルは空中線延長線輪(地線側装備)及び、出力監視用熱電対型高周波電流計と共に接地型空中線同調回路を構成し、調整により機体空中線に1/4波長で同調させる。通常地線側は機体に直接接続されるが、地上等別形態の運用で使用空中線長が1/4波長を越える恐れがある場合は、その間に空中線短縮用として装備の平衡蓄電器を挿入する。 本機の変調は陽極変調の一種であるハイシング変調方式である。振幅変調方式には各種があるが、戦闘機用電話機材の事もあり、電力消費は大きいが、変調特性に優れた本式が採用されたものと考えられる。変調管は送信管と同一のUY-503で、十分な変調能力を備えている。使用する送話器はカーボン式で出力が大きいため、音声信号は変圧器を介し直接変調管の第一格子に加圧されるが、変調度は良好である。 電信運用時、変調回路は電信符号確認用の低周波発振器として動作し、電鍵操作により発する低周波音(大凡2,000Hz)は接続回路を介し側音(モニター音)として受信機の受話器回路に出力される。電信操作を行う操縦員はこのモニター音により、打電を正確に行うことが出来る。受信機概観 本機は高周波増幅1段、中間周波増幅1段、低周波増幅1段のスーパーヘテロダイン方式で、局部発振が水晶制御の1CH(チャンネル)専用受信機であり、運用中同調に関わる操作は無い。本機は非常に小型に作られており、装備真空管の間隔は殆ど無く、このためシールドケースは使用出来ず遮蔽板で代用している。高周波部は厳重にシールドされた狭小な隔壁内に配置され、内部を明確に把握する事が困難なほどである。 受信機のフロントエンドは高周波増幅管UZ-6C6、周波数変換(第一検波)管Ut-6A7により構成されている。局部発振が水晶制御方式のため、同調用可変蓄電器は高周波部、周波数変換部の同調回路を構成する二連式で容量は約70pF、各蓄電器には同調補正用のトリマーが付加されている。局発用の水晶発振回路は周波数変換管Ut-6A7の三極部により構成され、無調整発振方式のため同調回路は無い。本受信機の中間周波数は450KHzであり、局部発振用水晶片には中間周波数450KHz用を表すA表示の物を使用する。混合は上側ヘテロダイン方式である。 中間周波増幅部はUZ-6C6による1段増幅方式で、中間周波トランスを構成する可変蓄電器の同調調整は前面パネル側より行う。 第二検波回路は三極管UY-76Aで構成される再生検波方式である。本式は高利得、高選択度を得る事ができ、スーパーヘテロダイン式受信機に採用した場合は電信(A1)復調用のビート発振器(BFO)が不要となり、真空管を一本節約する事が出来る。 本検波回路の再生方式は帰還容量可変方式で、陽極回路に装置された電信・電話帰還調整用半固定蓄電器2個により最良状態に設定する。電話受信の場合は切替器を電話に設定し、電話用半固定蓄電器により検波回路が発振直前の最高感度点となる様に設定する。電信に切替えると電話用蓄電器に電信用蓄電器が付加され、回路の帰還量が増大し発振状態となる。調整は半固定蓄電器により軽い発振状態に設定するが、この状態はオートダイン検波である。 通常オートダイン検波方式の場合、復調ビート音の可変は受信同調を微調整して行う。しかし、本機は局部発振が水晶制御方式のため、ビートの可変は検波回路の同調(発振)周波数を微調用蓄電器で可変して行っている。 なお、本受信機はAGC機能を備えていない。 低周波増幅部は三極管UY-76Aによる一段構成で、回路はトランス結合方式である。音量調整は制御格子回路に、50KΩの抵抗器をスイッチで付加する方式である。出力トランスの二次側には送信機よりの側音回路が接続されており、電信運用時は低周波発振音により打電符号をモニターする事が出来る。電源装置 96式空1号無線電話機改1型の電源装置は出力が500Vの送信機用回転式発電機及び、出力150Vの受信機用回転式発電機により構成され、入力は直流12V、重量は約7kgである。起動と運用操作 96式空1号無線電話機はブレークイン方式を採用しておらず、送受信の切替えは送信機の「送受話転換器」の操作により行う。 機体配電盤の無線電源スイッチを接にすると、電源装置を介し受信機に真空管線條点灯用として直流12Vが供給される。これは、構成真空管が傍熱型のため直熱型とは異なり、線條電圧を加圧しても直ぐには動作状態とならないためである。転換器を「受信」に切替えると電源装置の高圧150V発生用回転式発電機が瞬時に立上り高圧が給電され、受信機の「電源」スイッチを接にすると受信状態になる。 転換器を「送信」にすると電源より送信機に線条電圧10Vが供給され、UY-503は直熱管であるため即点灯する。併せ500V発生用の回転式発電機が瞬時に立上り、高圧が供給され送信機は動作状態となる。一方、受信機は高圧発生用発電機が停止し、休止状態となるが、送信を終了し転換器を「「受信」に切替えることにより、受信状態に復帰する。機体設置 零式艦上戦闘機に於ける96式空1号無線電話機の設置場所は操作の関係から操縦席の右側で、第2隔壁と第3隔壁の間に受信機が、第3隔壁と第4隔壁の間に送信機が装置される。送受信機の機体装置は隔壁に取付けられ懸垂金物に緩衝ゴム紐を介し宙づり状態で固定される。電源装置の設置場所は操縦席背後で、基台を介し機体に固定された。(追加資料参照)96式空1号無線電話機改-1緒元通達距離: 対地電話通信、約70Km周波数: 3,800-5,800KHz電波形式: A1(電信)、A3(電話)送信出力: 7W送信機: 水晶発振・輻射UY-503、陽極変調UY-503受信機: スーパーへテロダイン方式、局部発振水晶制御方式、高周波増幅UZ-6C6、周波数混合・局部水晶発振Ut-6A7、中間周波増幅UZ-6C6、再生・オートダイン検波UY-76、低周波増幅UY-76、AGC機能無し中間周波数: 450KHz電源: 送受信機各回転式直流変圧器(入力12V)空中線: 固定式(逆L型)「動作確認試験」 入手送受信機の程度は非常に良好で、各部に欠品・改修箇所はなかったが、残念ながら変調管UY-503(五極管)の線條が断線していた。点検、回路調査の後、まず受信機の動作確認を試みたが、これはいとも簡単に働いた。本機は局部発振が水晶制御方式のスポット周波数受信方式(1チャンネル)で、受信周波数は微調以外に可変する事は出来ない。このため、テストオシレータにて信号を加え動作確認を行ったところ、予測通り、第二検波が再生方式のこともあり、本機の感度は非常に良好との感触を得た。また、電話モードに於ける再生検波、電信復調時のオートダイン検波は動作が非常に安定しており、申し分の無いものであった。手持ち水晶片より6,160KHzを選び装着し「局部発振周波数(6,160KHz)+中間周波数(450KHz)=受信周波数(6,610KHz)」の関係から5KHz上のラジオジャパン(6,615KHz)を受信したが、その感度は非常に良好であった。 受信機にひき続き送信機の動作確認試験を行った。本機の規定高圧電圧は500Vであるが蓄電器類の破壊・ショートが怖く、150Vの加圧で行ったところ、こちらも簡単に発振した。水晶制御方式であるため安定度は良好で、また、電信復調音も非常に澄んだものであった。 問題は電話の変調試験である。UY-503は非常に稀少な球で、多くの真空管収集家の中でも本管を所蔵している者は極僅かと考えられ、入手は不可能である。しかし、幸いにもP-503Aを数本所蔵していたので、これを代用することにした。P-503A(UY構成)はUY-503とほぼ同一規格と考えられ、その形状はUY-807Aに相似している。 本管を代用しての変調動作確認試験も良好で、海軍の機上用手持式送話器による送話試験では、変調度も十分との確証を得た。また、電信運用時、変調回路は側音(電信符号確認用)用の低周波発振器として動作するが、その発信音も非常に澄んだものであった。「性能評価試験」 簡易ではあるが受入試験により、96式空1号無線電話機の動作は極めて良好との感触を得た。しかし、本装置を正しく評価するためには、その性能を定量的に把握する必要がある。このため、先般掲示の「地1号受信機」に引き続き、測定試験を元JRCエンジニアリング社長の山田忠之殿にお願いした。 測定結果より覗える96式空1号無線電話機の性能は従来推測されたもので、当時にあっては、本機が高性能の無線電話機であったことが定量的に確認された。 以下のURLに、山田殿より御寄稿頂いた96式空1号無線電話機の試験測定結果及び評価を掲示した。http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2012aug05.07.html なお、以下に本項に関わる追加資料を掲示した。http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2012aug05.01.html掲示写真補足 掲示は館内に展示した96式空1号無線電話機改1、中央左が受信機、右が送信機、右側のケースより取出した機材は96式空1号無線電話機原型の送信機である。