(本資料は2011年4月に掲示を行なったが、まもなくリンク切れとなる。このため記録を残すため再掲示を行なった。) 先般、幸運にも陸軍対空通信機材に関わる写真資料を入手する事が出来、その中には第4次制式制定機材である「地2号無線機」(原型)を構成する「地2号無線機・受信機」も含まれていた。事務局は入手写真により初めて原型受信機の完全な外観を確認したが、本受信機は第3次制式制定機材である「94式対空2号無線機二型」を構成する「94式対空2号無線機二型・受信機」を全面的に踏襲したものであると考えられる。事実、両機の構造や回路構成は非常に類似し、受信線輪には互換性がある。 しかし、写真の入手を機に、対空2号無線機二型・受信機及び地2号受信機各型を調査したところ、両機は回路構成、外観は相似するも、実際は似て非なる受信機であることが判明した。このため、参考として94式対空2号無線機、地2号無線機の概要及び構成受信機の系譜を、対空通信機材の制式制定に関わる経緯と併せ纏めてみた。1. 対空通信機材の開発、第一次制式制定 明治43年(1910年)、陸軍に於ける無線電信の利用を調査審議するため、無線電信調査委員会が組織され、翌年、ドイツのテレフンケン社から繋馬車載式の移動式無線電信機(火花式)を購入して具体的研究が始められた。大正2年(1913年)になると、本機を手本に国産の移動無線電信機が開発され、「乙種移動無線電信機」として制式制定された。(追加写真-001参照) この時期、飛行船・航空機部門では大正元年(1912年)にドイツから「パルセバール」式飛行船を輸入し、これにテレフンケン社製の火花式送信機を搭載、以後飛行船の試験飛行や演習参加に際し、対地通信が試験的に実施された。また、大正5年(1916年)頃になると航空機用無線機材の輸入が始まり、英国マルコニ一社製の機上用通信機を使用して、飛行機の無線装備に関する研究が始められた。第二次制式制定 第一次大戦中に実用化が進んだ真空管は、無線技術の画期的な発達を促進し、先進諸国に於いては本式の軍用無線機が実戦に投入された。しかし、我が国では未だ独自に真空管式軍用無線機器を開発する技術は確立しておらず、陸軍はイギリス、フランスの各種無線機を手本に第二次制式制定機材の研究審査を進めた。 この時期、航空機の発達は著しいものがあり、航空部隊用無線機器の研究審査の要求が高まった。しかし、研究審査に必要な十分な時間的余裕はなく、試験目的で購入した英国マルコニー社製の航空機用無線機材を制式化することになった。 これらは昭和2年(1927年)に概ね審査を完了し、無線電信委員会よりその研究審査業務を引き継いだ陸軍通信学校研究部により、87式、88式航空無線電信機として制式制定がなされ、航空部隊用無線機材の基本体系が確立した。航空部隊に関わる第二次制定機材は以下であるが、当時各機は主に長波帯を使用していた。・87式飛行機用1号無線電信機(中型機対地用、電信100Km)・87式飛行機用2号無線電信機(大型機対地用、電信300Km)・88式飛行機用3号無線電話機(戦闘機相互間用、電話5Km)・87式対空用1号無線電信機(電信100Km)・87式対空用2号無線電信機(電信300Km)第三次制式制定 第三次制式制定に向けての研究審査は昭和6年(1931年)度より開始された。研究目標は第二次制式制定機材である15年式及び87式無線電信機の欠陥を是正し、この時期急速に実用の域に達した短波帯を利用して通信距離の拡大を図ると共に、各兵科に用途を拡大することであった。研究対象は野戦部隊、車輌部隊、航空部隊等各兵科に関わる計26機材であり、これらの審査は概ね昭和10年(1935年)に完了し、11年11月の軍需審査議会に於いて23機種が可決され、制式制定が完了した。 本制式制定に於いて兵器化された航空部隊用機材は以下である。・94式飛2号無線機(中型機用、電信600km)・96式飛3号無線機(戦闘機用、電話10km)・94式対空1号無線機(電信1,000Km)・94式対空2号無線機(電信500Km)研究・制定機材に関わる若干の補足(追加写真-002・3参照) 94式対空1号無線機は通達距離1,000Kmの遠距離用通信機材で、爆撃部隊基地用及び固定無線隊用として開発されたが、本機は鈍重で、また、電源が複雑で、取扱いも煩雑であった。当時対空1号に要求された最大通信距離は1,000Kmであったが、この距離は対空2号無線機で代用出来ることが判明し、このため、航空部隊用機材としては3台のみで不整備となった。しかし、満州事変に対応するため、軍通信隊の固定通信隊用としては引き続き整備が行われ、相当数が配備された。 大型航空機用としては対空1号無線機と対向して、1,000kmの対地通信を実現するために14号無線電信機(飛1号無線機)が研究・開発されたが、本機は重量及び容積が過大であった。このため、上記通達距離は周波数の選定により飛2号無線機でも可能であったことから、14号無線機は不採用となった。第四次制式制定 本制式制定に向けた本格的研究は昭和13年度(1938年)よりに着手された。研究の主目標はブレークイン方式の採用による通信の簡素化、高速通信・秘密通信・テクタイプ・ファックス等通信の高級化、移動中に於ける通信の実用化、移動式電源の改良他であったが、昭和15年(1940年)以降になると電波兵器の開発が優先され、野戦用機材に関わる研究の殆どは頓挫した。しかし、昭和12年(1937年)に陸軍通信学校研究部より航空用無線機材の研究審査業務の移管を受けた陸軍航空技術研究所は、航空機の急速な発達に対処するため、航空機搭載機材である「飛」各型、対空通信機材である「地」各型等相当数の開発を完了させ、これらの制式化が行われた。本制定により兵器化された主な航空部隊用機材は以下である。・99式飛1号無線機(大型機用、電信1,000km)・99式飛2号無線機(中型機用、電信500km)・99式飛3号無線機(戦闘機用、電話100km)・99式飛4号無線機(編隊内通信用、電話50km)・99式飛5号無線機(二系統通信用、電信500km)・地1号無線機、長距離用(電信1,000Km)・地2号無線機、中距離用(電信500Km)・地3号無線機、短距離用(電信100Km)・地4号無線機、空輸挺進隊用(電信1,500Km)・地5号無線機、超遠距離用(電信2,000km)、詳細不明制式制定について 軍需品は各部隊における作戦上の要求に基づき企画(立案)され、研究審査機関に於いて開発、試験が行われ、妥当であれば、兵器として制式制定(採用)される。 陸軍に於いては、軍需品に関する作戦上の要求が決定されると、参謀総長はこれを陸軍大臣に移し、大臣は軍需審議会に諮問する。審議会々長は関係委員を招集して審議し、通常「研究方針」として大臣に答申し、大臣は当該軍需品の所轄研究審査機関長にその研究を命じ、これに要する予算を令達する。 この研究方針は自他を区別するため通常「陸軍通信学校無線通信機研究方針」等研究審査機関の名称が付与され、研究方針は軍事機密として取扱われる。研究審査は設計、試作、試験、部隊での実用試験等を経て終了し、機関長は制式制定を大臣に上申する。大臣はこれを軍需審議会に諮問し、審議会長は関係委員を招集して上申案を審議し、可否を大臣に答申する。答申可の場合大臣は当該軍需品を制式兵器とし、通達により陸軍一般に布告する。 大臣は併せ制式兵器の整備(生産)数量を決定し、その整備を整備機関に命令する。整備機関は造兵廠又は民間会社により当該兵器を製作し、採用検査を経て完成品を補給機関に交付し、必要各部隊に配備する。写真補足 掲示は地2号受信機の原型である。地2号無線機は制定後間もなくして二型が導入され、このため、原型機材は非常に少ない。 なお、下記URLに本文に関連した追加写真及び資料を掲示した。http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011apr01.html