1942年の末、英国はマイクロ波帯(3,300MHz)レーダーH2S(地表探索、航法・爆撃用)の開発を完了し、直ちに爆撃機への配備を始めた。1943年1月にはH2S を搭載した航空機の先導によりハンブルグを夜間爆撃し、大きな成果を上げた。しかし、2月3日には本機を搭載していた爆撃機がオランダのロッテルダムで撃墜され、H2S はドイツ空軍に回収された。後にこのレーダーは枢軸国の間で、「ロッテルダム装置」と呼ばれることになるが、ドイツ空軍はその進んだ技術に驚愕し、直ちに模倣による同型のレーダー(コード名Berlin)、追跡用電波探知機(Naxos)、沿岸基地用探知機(Korfu)の開発及び、マイクロ波用高周波技術の早期確立を指示する。 しかし、当初「ロッテルダム装置」の情報はドイツ空軍が独占したため、RAFがマイクロ波式海上探索レーダーASV Mk.Vを導入すると、海軍はその対策を巡り混乱を極めることになった。探知機開発の契機 1943年の初頭よりUボートは搭載する電波探知機Metoxがレーダー波を感知しないにも関わらず、敵航空機の急襲を受けるようになる。損害の増加に伴いドイツ海軍潜水艦司令部は、敵が新たなUボートの発見方法を確立したとの結論を得るが、その原因については不明であった。しかし、状況は英軍がメートル波帯レーダーASV Mk.Uを導入し時期と類似しており、このため、潜水艦隊司令部は英軍が新たな周波数帯域での対潜用レーダーを開発したのではないかと考え、その可能性について海軍技術陣に打診した。しかし、不幸なことに、当時ドイツの技術陣はマイクロ波帯でのレーダー運用は有効とは考えておらず、敵がこの周波数帯のASVを導入したとは考えなかった。 奇襲の原因についてはハッキリしないが、電波兵器に関連しては敵がメートル波帯用電波探知機Metoxより輻射される局部発振波を探知している可能性があった。航空機を使って実測を行うと、高感度の受信機であれば、20km程度離れていても受信が可能な漏洩電波の輻射が確認された。都合の悪いことに、この時期ドイツ空軍は捕虜となった英軍パイロットから「潜水艦の電波探知機から出る微弱電波を探知する装置が出来ている。」との証言を得ていた。このため、デーニッツ提督は敵機奇襲の原因はMetoxにあると考え、1943年7月31日、本探知機の使用を全面的に禁止した。翌8月、ドイツ海軍は輻射に配慮した新型の電波探知機Wanzeの配備を始めるが、Metoxと同様に、敵レーダー波の感知が無いにも関わらず急襲は頻発し、11月5日にWanzeの使用も禁止された。 この時期に導入されたメートル波帯用電波探知機に、FuMB-10 Borkumがある。本機は鉱石検波・低周波増幅方式で当然局部発振回路は装置しておらず、電波の輻射とは無縁であった。しかし、Borkumもまた敵機の奇襲に対しては無力であった。ドイツ海軍は後にASV Mk.V対策として同型の電波探知機を開発するが、至近距離に於いてもBorkumはMk.Vのマイクロ波を探知することが出来なかった。Borkumの同調回路が高選択度であったとは考えられず、このため、装備した鉱石検波器がマイクロ波に対し感度がなかったものと推測される。 1943年12月、ドイツ海軍は漸く「ロッテルダム装置」の存在を知り、対抗用電波探知機の開発に着手した。当時ドイツでは、技術開発・生産に関わる統合的な施策を実施する国家科学研究局が設置されたが、この組織は官僚機構の弊害により十分に機能せず、新技術の開発部門は混乱していた。 開発が計画された探知機の多くは鉱石検波・低周波増幅方式であり、本式は構造が簡単なため、マイクロ波用鉱石検波器さえあれば製造は至って容易である。しかし、これら探知機の導入は1944年の8月近くであり、ドイツは研究部門の混乱もありマイクロ波用鉱石検波器の開発に手間取ったものと考えられる。 以下ではドイツ海軍・空軍が開発した主要マイクロ波帯用電波探知機について概観する。FuMB 7 /Naxos 本機はASV Mk.Vに対応するマイクロ波帯用電波探知機(2,500-3,700Mhz)で、Uボートに最も早く配備された装置と考えられる。詳細については不明であるが、空中線は放物線型反射器に蝶ネクタイ型の広帯域ダイポール素子を取付けた構造で、特段の同調回路は装置していなかった。空中線は非防水型で、潜水艦が浮上すると担務要員が艦橋の上部に設置し、回転は無線室より行える構造であった。受信機の構成は鉱石検波、低周波増幅方式で、以下で述べるFuMB 24に類似した機材であったと考えられる。鉱石検波器に問題があったのか、本機の性能は芳しくなくは、探知距離は5,000m程度であり、U-ボートは急速潜行を行っても安全深度には到達出来なかった。FuMB26 /Naxos、通称Tunis(追加資料009参照) 本機はSバンド(2,000-4,000MHz)用受信機FuMB 24の空中線部及び、Xバンド(8,000-10,000MHz)用受信機FuMB 25の空中線部により構成されたS・Xバンド両用の電波探知機で、信号増幅器は共用である。Sバンドを使用したASV Mk.V(3,300MHz)に対抗するマイクロ波用電波探知機を開発中の1944年初頭、ドイツ空軍は撃墜した米軍爆撃機より波長3cm(10,000MHz)のXバンドレーダーH2X(航法・爆撃用)を回収した。このため、対抗措置として急遽FuMB 25が併せ開発されたと考えられる。 FuMB 24は放物線反射器付空中線に鉱石検波器を、FuMB 25は小型ホーン型空中線に鉱石検波器を取付けた構造で、検波信号増幅器は5極管RV12P2000の6段構成である。両空中線部分は木製ポールの先端に背中合わせで取付けられ、担務要員は潜水艦が浮上すると空中線部と共にハッチより飛び出し、ポールを回転し周囲を探索した。これはメートル波帯用電波探知機、Metoxが導入された際に行われた方式と同一である。FuMB-23・28/Naxos FuG350 (追加資料010参照) 本機はドイツ空軍の機上用電波探知機で、電波の到来方向をブラウン管(CRT)に表示する可視式の電波探知機ある。この型のNaxosは夜間戦闘機に搭載され、H2S系レーダーを装備する敵爆撃機の捕捉に大きな成果をあげた。 装置は回転式誘電体型空中線、鉱石検波器及び波形表示用CRTを装備した低周波増幅器により構成され、回転式空中線は捕捉電波の到来方向を探知する。受信周波数は空中線の共振周波数で確定され、特段の同調装置は装備していない。 Naxosを開発中の1944年初頭、ドイツ空軍は撃墜した米軍爆撃機より波長3cmのH2Xを回収した。このため、本式のXバンド型の開発が行われたが、戦争終了までに完成させることは出来なかった。 なお、本機の構造、動作については追加資料で概観した。FuMB- 11・15/ Korfu E-351 (追加資料011参照) E-351受信機は独逸空軍が開発した海岸局設置型の対空監視用電波探知機で、2,000―12,000MHzのマイクロ波帯をA-E型の5機種で受信する。構成は第一検波が鉱石のWスーパーヘテロダイン方式で、局部発振管にはテレフンケン社が開発した小型マグネトロンRd2Md2が使用されている。空中線は電磁ホーン型で、海岸局に設置された手動回転式ポールの上部に装備されたが、垂直・水平偏波に対応するため開口部が前面より見て、菱形となるように取付けられた。E-351は2,000―12,000MHzを受信する場合A-E型の5機種を用意する必要があり、取扱いに不便であった。このため、後にフロントエンドのみを差替式とした改良型が導入された。 1944年の末にドイツ空軍はPPI式のマイクロ波レーダーBerlinを完成させる。本レーダーは「ロッテルダム装置(H2S)」を手本に開発されたもので、送信用マグネトロンLMS10はH2SのCV-64を模倣して作られた。H2Sの局部発振回路には反射型クライストロンCV67が使用されていたが、本管の模倣は困難であったのか、局発には小型マグネトロンRd2Md2が使用された。テレフンケン社がRd2Md2を開発したのが1944年の10月頃であり、このため、BerlinやKorfuはRd2Md2の開発成功により完成したと考えられる。独逸のレーダー開発に関わる若干の補足 開戦当初、ドイツのレーダー技術は連合国に勝っており、対空警戒用フライア(Freya)、艦艇用ゼータクト(Seetakt)、対空射撃管制用ウルツブルグ(Wurzburg)、夜間戦闘機接敵用リヒタンシュタイン(Lichtenstein)等の基本型レーダーの開発、配備は完了していた。これらは何れもメートル波、デシメートル波を使用したものであるが、動作は安定し性能も満足のいくものであり、ドイツの研究者は自国のレーダー技術に自信を持っていた。 この時期、ドイツの技術陣は、マイクロ波は物体に照射しても反射波は細いビームとなり散乱し、戻ってくるエネルギーが小さすぎてレーダーに使用出来ないと考えており、本帯域のレーダー開発には消極的であった。加え、1940年にヒットラーは戦争の短期終結を図るため「一年以内に成果を期待できない研究及び開発の一時中止」を決定し、国民の総力を戦場、軍需生産に投入した。この結果、マイクロ波の研究は中止され、以後ドイツのレーダー研究は2年間も遅滞することになった。 1942年になり、漸くレーダーが戦局に決定的な役割を果たすことが認識され、各部門の総力を結集し開発を推進することになった。このため、15,000人の科学・電気・機械関連の技術者が兵役から解除され、1943年1月には米国の科学研究開発局に似た国家科学研究局が設置され、技術開発・生産に関わる統合的な施策が実施された。しかし、この新組織は官僚機構に阻まれ十分な成果を上げることが出来ず、ドイツは連合国側の目覚ましい高周波技術の発達に対し、その遅れを取返すことはできなかった。写真補足 掲示はドイツ空軍の航空機用電波探知機FuG350 Naxos で、下側が回転式誘電体型空中線、上部に置かれたのが増幅部・画像表示部である。 下記URLに本項に関連した追加資料を掲示した。http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011oct27.html写真提供: photo courtesy of Mr. Arhur O. Bauerhttp://www.cdvandt.org/naxos.htm