先般「ヤフオク!」に米国Hallicrafters社製の受信機R-274/FRRが出品され、最近にない高値で落札された。R-274/FRRはHallicrafters社の高級受信機SX-73の軍仕様であるが、そのパネル構成及び内部構造は誠に魅力的で、落札価格よりして、今日でも多くの収集家を惹きつけている事が理解できる。 事務局員は高校3年生の折、SX-73と衝撃的な出会いがあり、以降本受信機に出会うと何故か過剰な反応をしてしまい、誠に困った事である。https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s824246502徘徊とSX-73 事務局員には子供の頃より徘徊癖があり、以降治る事なく現在に至っている。この為、高校生時代も、登校時横浜駅に至ると虫が騒ぎ出し、時折学校をサボり、学生服のまま徘徊に出かけたが、これは1962年(昭和37年)頃の事である。 横浜には見て回る場所は幾らでもあるが、当時事務局員が特に好んだ場所は新山下界隈で、この場所は横浜港に接した山下公園の南3kmほどに位置した埋立地であり、物資運搬用の運河沿いに零細な造船所が数多くあった。これら造船所の何もが小型の外洋ヨットやモーターボートを造っていたが、今日とは異なり、建造材料の全てはティークやヒノキ、耐水合板等の木材で、25フィート(7.5m)前後の船一隻の完成に数ヶ月を要していた。船大工は屋大工とは異なり、作業は誠に緻密で、まるで寄木細工の製作を見ている様で飽きる事がなかった。 15年程の後、その造船所の一つ東京ヨットで、探検家で、海軍の万能五極管ソラを開発した西堀栄三郎氏が自身の外洋ヨット「ヤルンカン」号を建造し、これを見学するため足繁く通った事があった。尤も、事務局員が西堀氏にお会いしたのはヤルンカン号が三浦半島の油壺に係留された後の事である。 ところで、これら造船所通りの先端は海で、そこにヨットハーバーがあった。このハーバーは横浜市民ハーバーと呼ばれたが、半分は米軍関係者や外国人が専用し、残りを日本人が使用していた。しかし、日本人の大半は大学のヨット部員であった。当時学生達の乗艇はA級ディンギーで、レースに向け一年を通し練習に励んでいたが、この艇は非常に転覆しやすく、ちょっと風の強い日にはあちこちでひっくり返り、大騒ぎであった。 さて、とある日、外国人ハーバーの敷地内に米国陸軍通信隊の小型トレーラー式無線車が置かれている事に気づいた。碍子を介しロングワイヤー式空中線が引き込まれており、無線機機材の搭載を予感させた。周囲に人目もなかった事から、ドアハンドルを引いてみると簡単に開いた。そっと中を覗くと、狭い車内には陸軍の軍用送信機BC-610がフル装備で設置され、その横の机にSX-73が置かれていた。この時期、事務局員は既に米軍ジャンクには目覚めており、雑誌や関連資料で両機の概要は知っていたが、実物を見るのは初めてで、その光景に思わず息を呑み、構成機材は脳裏に強く擦り込まれた。 この無線車は所属する大型外洋ヨットや大型モーターボートに搭載された無線機の基地局であったと考えられるが、空中線は貧弱で、状況からして、ほとんど使われる事のなかった無線装置と推察された。以降数多くの軍無線機に出会ってきたが、新山下ハーバーでの出会を越える出来事はなく、その後興味は外洋ヨット、帝国陸海軍無線機材に向き、結局今日まで、BC-610やSX-73を所蔵する事は無かった。 新山下のヨットハーバーは1968年(昭和43年)頃埋め立てられ、コンテナ埠頭となり、ハーバーは磯子に移転した。また、運河沿いの零細造船所もFRP製ヨット、ボートの発展で淘汰され、いつの間にか無くなってしまった。 西堀栄三郎氏のヨット「ヤルンカン」号は氏の亡き後、滋賀県東近江市にある「西堀栄三郎記念探検の殿堂」に寄贈され、陸上展示が行われていたが、老朽化が激しく2003年に解体された。32フィート程の良く出来たロングキールのケッチ(二本マスト)で、手入れを怠らなければ、優に50年は現役を保てたと考えられるが、僅か20年程の船命で、誠に残念な事であった。写真補足 組み写真@は今般「ヤフオク!」に出品された米国Hallicrafters社製の受信機R-274/FRR(SX-73)である。元来SX-73は民需用の通信型受信機であるため、軍用無線機としては誠に美しいパネル構成である。また、内部も素晴らしい造りである。 写真Aは米国陸軍通信隊の野戦用送信機BC-610で、本送信機は大戦の勃発に際しHallicrafters社製のアマチュア無線用高出力送信機を軍用に改修し、調達したものである。送信機の上に置かれているのは空中線同調器である。BC-610は受信機BC-342等と共に各種の車載用、固定用無線装置を構成した。 写真Bは西堀栄三郎氏のヨット「ヤルンカン」号の模型で、実艇に替え「西堀栄三郎記念探検の殿堂」に展示されている。