幸いにも当館(横浜旧軍無線通信資料館)は、大戦後期に帝国海軍技術研究所が開発した対空監視用レーダー「3式1号電波探信儀3型(13号電探)」の主要構成機材を所蔵している。 この13号電探は、20年近く前に静岡県沼津市の山間にある茶農家の倉庫の奥から発見され、近所のアマチュア無線家が入手したものである。発見された13号電探は2セットあり、いずれも未使用の状態であったが、波形指示装置と自動電圧調整器が共に欠落していた。 話によると、この機器の経緯は、1945年(昭和20年)8月15日頃、駿河湾を見渡すその場所に海軍の兵隊がこれらの装置と共に現れ、設営を始めた。まもなく終戦を迎えると、兵隊は装置(13号電探)を残して引き揚げたという。しかし、茶畑の主は兵隊が装置を回収しに来ると思い、これらを倉庫の奥に保管したが、その後50年以上忘れ去られていた。 此れ等を入手したアマチュア無線家は、東海大学工学部に持ち込み、調査の結果、本機は海軍の対空監視用レーダー「3式1号電波探信儀3型」であることが判明した。戦中、沼津海軍工廠は13号電探を製造しており、このため、所蔵者は1台を沼津市明治史料館に寄贈し、他の1台を当館が入手する事となった。 さて、今回の本題はここからである。 先日、帝国陸海軍の電波兵器に関する調査のため、ある研究者が来館された。この方は、当館が所蔵する13号電探の受信機について、錆具合の違いから、本体と上蓋が一致していないと指摘された。 事務局員はその観察眼に驚いたが、事実、当館の受信機は本体と上蓋が別物である。実は、受信機の上蓋は沼津市明治史料館が展示している受信機の上蓋と、入れ替わっている。おそらく、元所蔵者が一台を沼津市明治史料館に寄贈する際、状態の良い上蓋を手元に残したため、両受信機の上蓋が入れ替わったのであろう。. この件については、以前沼津市明治史料館の学芸員とお話し、交換の了承は得ているものの、実際にはそのままで、今日に至っている。そろそろ交換の時期かも知れない。13号電探 本機は大戦中期に導入された海軍陸上部隊用の可搬式対空警戒用レーダーである。13号電探は前線への配備を考慮した小型、軽量機材で、設置、取扱が容易の為、陸上使用と併せ、装備の一部を変更し、航空母艦より潜水艦まで、殆ど総ての海軍艦艇にも装備された。このため、13号電探の生産台数は2,000台を越え、海軍で最も成功した対空警戒用レーダーとなった。13号電探の開発 1941年(昭和16年)12月、海軍技術研究所は開戦を目前にして11号電探の開発に成功したが、本機は重量過多で、設置には多くの労力と時間を要した。このため、前線への運搬、設置を考慮し、トレーラー式の12号電探が導入された。 しかし、戦局が緊張するに従い、一線の戦闘部隊より、更に小型で軽便な電探導入に対する強い要望が寄せられ、1943年(昭和18年)の初頭に運用周波数150MHzを使用した尖頭出力10kWの1号電波探信儀3型(13号電探)が開発された。. 13号電探は従来の機材に比べ遙かに小型で、単相100Vでの運用が可能であった。特に空輸及び人力により運搬を可能とする為、空中線を含む全構成機材は小さく分解でき、機動性には格別の配慮が為されていた。本機は構成真空管の数量を制限した戦時型機材ではあったが、その性能は11号、12号電探を凌駕し、以後対空警戒用電探の整備は13号が中心となった。13号電探概略(陸上設置型) 本電探は空中線装置、送信機、受信機、波形指示装置及び自動電圧調整器等により構成され、侵入する航空機の、距離、方位角の二諸元を測定した。13号電探は特段の探信室を備えておらず、設置場所は仮設テント、地下壕、防空壕、家屋等臨機応変に選定された。本機の諸元は以下の様なものである。13号電探緒元用途: 対空警戒設置場所: 陸上・艦艇・潜水艦有効距離: 編隊100km以上、単機50km以上周波数: 150MHz帯繰返周波数: 500Hzパルス幅: 10μs送信尖頭出力: 10kW空中線: 半波長ダイポール水平2列4段、反射器付、送受兼用送信機: 発振管T-311 x2(P.P.)変調方式: パルス変調、変調管T-307受信機: スーパーヘテロダイン方式(11球)、高周波2段(UN-954 x2)、混合(UN-954)、局発(UN-955)、中間周波5段(RH-2 x5)、検波(RH-2)、低周波増幅1段(RH-2)中間周波数: 14.5MHz帯域幅: ±100kHz総合利得は120db以上信号表示: Aスコープ方式測定方法: 最大感度方式測距精度:2-3km測角精度: 10゜電源: 単相110/220V交流電源式重量: 110kg製造: 東芝・安立、1,000台