横浜旧軍無線通信資料館掲示板


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    画像タイトル:img20250526165752.jpg -(288 KB)

    ドイツ軍センチ波帯検波器 ED704 名前: 事務局員 [2025/05/26,16:57:52] No.9579
     先般、オランダの大戦期ドイツ軍電子技術研究家である Erich Reist氏より、ドイツ軍のセンチ波帯検波器ED704をご寄贈いただいた。

     本検波器は、独逸テレフンケン社が英国空軍(RAF)のセンチ波帯(Sバンド・3,000MHz帯)機上レーダー「H2S(地表探索・航法・爆撃用)」や、海軍の機上レーダー「A.S.V. Mk.V(水上警戒用)」に対処するため、急遽開発を手がけ、1943年末に完成させたED700系シリコン検波器の一種である。当館(横浜旧軍無線通信資料館)は、大戦期におけるセンチ波帯レーダーの関連機材を収集しており、資料として本器はどうしても必要であった。

     この検波器は驚くほどに小さく、直径は4mm、長さは11mmである。検波器の両端はネジ式で、専用の容器に装着して使用する構成である。片側にはシリコン検波器に密着する接点の、圧力調整ネジが装置されている。

     ドイツ海軍は本検波器を使用して、A.S.V.MkVレーダー探知用の電波探知機を急遽開発し、潜水艦隊に配備した。また、空軍はH2Sを模倣し開発した機上レーダー「ベルリン」や、機上用電波探知機に使用した。

     ところで、大戦期、帝国海軍は 3,000MHz帯を使用したレーダー「2号電波探信儀2型(22号電探)」を開発したが、有効な検波器がなく、受信機のスーパーヘテロダイン化が遅れた。そのため、肝心な時期に安定した水上警戒・射撃管制レーダーを用兵側に提供することができなかった。

     この問題を解決したのが、当時東京帝国大学大学院の学生であった霜田光一先生である。先生は黄鉄鉱によりセンチ波帯検波器を開発し、海軍はこの検波器を使用して、22号電探のスーパーヘテロダイン化を実現させた。

     シリコン検波器について、霜田先生は「残念ながら、当時わが国には高純度のシリコンを精錬する技術はなかった」と述懐されていた。

    ED700系検波器の開発
    「History of Telefunken Semiconductors」によると、テレフンケン社におけるセンチ波帯用検波器の開発は以下のようなものである。
    https://sites.google.com/site/transistorhistory/Home/european-semiconductor-manufacturers/history-of-telefunken

     テレフンケン社はシリコン検波器の開発に際し、四塩化ケイ素を還元して改良シリコンを製造する方法を開発し、セラミック基板上にシリコン層を堆積させた。しかし、検波器を作成するにはシリコンを導体上に堆積させる必要があり、最初はモリブデンを試したが失敗(シリコンが剥がれ落ちた)し、その後グラファイトの使用により満足のいく結果を得た。

     1943年12月までに、センチ波帯用の ED700〜705 シリーズの検波器の設計が完了し、製造が始まった。シリコンは 1.4mm のグラファイト・ロッドに堆積され、これを折って真鍮キャップにはんだ付けを行った。検波接点は、シリコンの表面に押し付けられたモリブデン製のワイヤループで作られ、ループは調整可能なネジに固定され、検波器として完成した。

    H2S 系レーダーの導入
     1942年の末、R.A.F.はSバンド帯レーダー「H2S」の開発を完了し、1943年(昭和18年)1月のハンブルク夜間爆撃でその有効性を実証した。

     H2Sの運用周波数は3,300MHz(波長9.1cm)で、繰返周波数は670Hz、送信管は多分割マグネトロンCV64、尖頭出力は30〜55kWである。受信機はスーパーヘテロダイン方式で、第一周波数変換がシリコン検波器CV101、局部発振は反射型クライストロンCV67である。また、波形表示はP.P.I.方式で、表示範囲は360°である。

     H2Sに続き、類型の航空機搭載型水上警戒レーダーA.S.V. Mk.IIIが開発され、1943年3月18日にビスケー湾で発見したUボートに対する最初の攻撃が行われた。A.S.V. Mk.III の導入により、Uボートの発見率は劇的に改善し、この時期、英国艦船の損失は 1か月あたり約40万トンから約10万トンにまで減少した。一方、ドイツ海軍は原因不明の奇襲により、4月・5月の2か月間で 56隻の Uボートを失い、混乱状態に陥った。

    ドイツにおけるセンチ波帯電波探知機の開発
     1943年2月頃より、Uボートは搭載する電波探知機(メートル波帯)がレーダー波を感知しないにもかかわらず、対潜哨戒機の攻撃を頻繁に受けるようになった。損害の増加に伴い、ドイツ海軍潜水艦司令部は、敵が新たな Uボート発見方法を確立したとの結論に至るが、センチ波帯レーダーには考えが及ばず、原因究明は混乱を極めた。

     1943年2月3日に「ロッテルダム装置」が回収されるも、原因究明には8月頃まで時間を要した。その後、奇襲の原因がマイクロ波レーダーにあることが明らかになるが、この時期、ドイツでは電波兵器開発部門の大規模な組織変更が行われており、開発現場は混乱していた。このため、ドイツ海軍におけるセンチ波帯電波探知機の開発は遅れ、1号機である 「FuMB-7「Naxos」の配備が始まったのは 1944年1月頃であった。

     FuMB-7の導入により、英軍のセンチ波帯レーダーに対するドイツ海軍の対策はようやく確立され、潜水艦隊は小康を得た。また、ドイツ空軍は 1944年(昭和19年)9月に夜間戦闘機の接敵用電波探知機 FuG-350Zc を開発し、H2S 系レーダーを搭載する連合国軍爆撃機の迎撃に成果を上げ始めた。

     しかし、1944年になると連合国側では波長3cm(10,000MHz)の Xバンドレーダーの開発が完了し、その導入が始まった。早くも2月、ドイツ空軍は撃墜した米軍爆撃機より高高度爆撃用レーダー「APQ-13」を回収し、Xバンドレーダーの存在を確認した。

     本機は「Medow(メドウ)」と名付けられ、ドイツ海軍は同年11月に S・Xバンド両用の電波探知機「FuMB-26 Tunise」を開発し、配備を始めた。また、空軍は FuG-350Zc の Xバンド対応化を進めるが、戦争終結までに本機の開発を完了するには至らなかった。

     以上のように、ドイツ技術陣は大戦終了まで、センチ波帯レーダーに関して明白な劣勢を挽回することはできなかった。






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