先般、ネットオークションで、水戸陸軍飛行学校に関わる写真を複数枚入手した。この中には、機上用通信機材「94式飛2号無線機」の地上運用実習や、模擬銃による対機射撃訓練などの写真が含まれており、誠に興味深い。このため、参考資料として、その一枚を掲示した。 陸軍航空隊における通信担務要員の育成 陸軍における本格的な航空無線教育は、1919年(大正8年)に開始された「航空術練習委員」による教育に端を発する。 その後、1925年(大正14年)に下志津陸軍飛行学校として独立すると、同校は偵察学生に対する無線通信教育および無線通信を専修する将校・下士官の養成を担うなど、陸軍航空部隊における航空無線教育の中心的機関となった。 1930年代に入ると、航空部隊における通信任務は空対地通信にとどまらず、部隊間の地上通信にも拡大し、航空通信聯隊や航空情報隊などの地上勤務部隊が新設された。これに伴い通信要員の需要が増加したため、1937年(昭和12年)には無線通信教育を主目的とする水戸陸軍飛行学校が設立され、1939年(昭和14年)には、その内部に通信教育を専門とする航空通信学校が設置された。 太平洋戦争の勃発後は、通信担務要員の大量養成が急務となり、航空通信聯隊、航空情報聯隊、航測聯隊、気象聯隊などが補充要員の教育・養成を担った。特に航測聯隊は、方向探知機による航空機の航路誘導を専門とし、短期間の教育・養成を経た部隊が大陸および南方戦線へ派遣された。 さらに1944年(昭和19年)には、航空部隊用レーダーに関する教育を統合的に行う電波兵器講習部が創設され、地上用および機上用の電波警戒機・電波標定機に関する教育が開始された。 このように陸軍の航空通信教育は、下志津における航空無線教育を起点として、通信・情報・航法・気象、さらにレーダーへと教育分野を拡大し、戦争の拡大に伴って 大規模な通信要員養成体制へと発展した。しかし、戦局の悪化により教育機関自体も次第に作戦部隊化され、1945年(昭和20年)の終戦を迎えた。「94式飛2号無線機」補足 本機は、陸軍が1936年(昭和11年)に実施した第三次制式制定作業において兵器化した、機上用通信機材である。 当初、94式飛2号無線機は、対地通達距離600km(電信)の中型航空機用機材として開発された。しかし、通達距離1,000kmの大型航空機用機材である「14号無線電信機(94式飛1号無線機予定)」は、重量および容積が過大となり、制式化の上申を行うことができなかった。 このため、94式飛2号無線機は中型・大型航空機に搭載されることとなり、通達距離1,000kmの問題については、運用周波数の選定によって解決することとなった。以後、94式飛2号無線機は、第三次制式制定における唯一の中・長距離通信用機材として、単座戦闘機を除くすべての航空機に搭載された。94式飛2号無線機諸元用途: 中・大型航空機用通信距離: 600〜1,000km(電信)運用周波数: 送信1,500〜7,500kHz、受信1,500〜7,500kHz電波形式: 電信(A1)、電話(A3)送信機: 出力電信20W、電話10W、水晶又は主発振UX-865、電力増幅UX-865 x2並列使用変調機: 音声増幅UZ-89、陽極変調UZ-79(三極部P.P.)受信機: スーパーヘテロダイン方式、高周波増幅1段(UZ-77)、周波数変換(Ut-6A7)、中間周波1段(UZ-78)、オートダイン検波(UY-37)、低周波増幅1段(UZ-41)電源装置(送受兼用): 入力24V、回転式直流変圧器、当初は風車発電式空中線装置: 固定逆L型、又は40m垂下式、地線は機体接地構成