4. 鉱石スーパーヘテロダイン受信機



 2号2型電波探信儀のオートダイン方式の受信機は昭和18年12月に試作され、海芝浦実験所で性能試験が行われた。操作が複雑で調整は困難であったが、超再生方式よりは安定であるので、19年1月から試作と実験を重ね、3月には小型軽量化などの改良が加えられてオートダイン受信機が緊急量産された。そして6月から7月にかけて全艦船に装備されている2号2型電探の超再生受信機のすべてがオートダイン受信機に置き換えられた。しかし、その操作は相変わらず熟練した操作員でも容易でなく、不安定な感度には悩まされていた。一方、ドイツや英米のレーダーでは鉱石をミキサーとするスーパーヘテロダイン受信機が使われているという情報がはいっていた。


 私は昭和18年10月に鉱石検波器によるスーパーヘテロダイン受信の原理的実験に成功していたので、19年3月に、ありあわせの8MHzの増幅器を利用して、M60を局部発振器とする鉱石スーパーヘテロダイン受信機のバラックセットを作った。3月10日に10cm波の受信に成功し、意外なほど安定で感度がよいのに喜んだ。翌日すぐに中間周波増幅器に周波数弁別回路を付けて、局部発振器M60の自動周波数制御(AFC)を実験し、これも成功した。そこで3月13日から鉱石スーパー受信機用の導波管回路を設計製作した。そしてある電波探信儀の受信機を改造して、広帯域の中間周波数±4MHzの5段増幅器を組み立てて、AFC回路も付けた。回路を調整、修正して図5に示す回路図の受信機を4月7日に海芝浦実験所に運んだ。ここで2号2型の送信機と組み合わせて、目標のエコー(反射波)を受信できるかどうか、送信出力で鉱石検波器が焼損したり、送信パルスによって受信感度が抑制されたりしないかどうか試験するのである。


 4月8日の夜になってようやく受信用電磁ラッパの据え付けが終り、少し離れたところにある送信機に連絡して実験を始めたところ、まもなく本牧岬のエコーが受信できたが、手製の受信機は帯域幅も利得も不十分だった。そこでビデオ増幅器を1段増設し、4月12日には航空母艦のエコーを10kmの距離でもかなり良いS/Nで受信することができ、動作の安定性も満足なものであった。送信管M312と受信管M60の波長合わせができないときには、より波長可変な2分割マグネトロンを用いてみたが、出力不足や発振不安定に悩まされた。いずれにしても、鉱石スーパーは送信管と受信管の波長が合えば、受信機の調整は容易で再現性も良く、感度は超再生やオートダインで時たま得られる最高感度に劣らない感度を容易に得ることができた。そして6月末まで頻繁に海芝浦に通って、潜水艦の検出実験やゴムにカーボンブラックと磁性酸化鉄を混入した電波吸収体による反射防止効果の試験に参加したりして、鉱石スーパー受信機の実用的高性能を実証した。


 海軍技研では、3月の水上射撃用電探対策会議で6月末までに水上射撃用電探を開発することになり、桂井誠之助技術大佐がその計画を担当した。4月22日の打ち合わせによれば、この射撃用電波探信儀220号は送受共用のパラボラアンテナを用い、導波管は矩形断面のものにする。送信機にはマグネトロンM312を1桁以上高出力にしたものを用い、受信機は鉱石スーパーを採用しようとするものであった。鉱石検波器は熱に弱く、機械的に不安定で



図-5. 試作したセンチ波鉱石スーパー受信機の回路

 

変換利得も低いという理由での反論が強かったが、海芝浦における受信実験の成績が良かったので、鉱石スーパー方式の研究開発を推進することになった。


 この射撃用電探220号の送受共用のパラボラ反射鏡とそれに結合する導波管の研究は大阪大学の伊藤順吉助教授と山口省太郎助手が担当し、以後しばしば両先生と研究連絡するようになった。私は、射撃用電探220号の受信機だけでなく、送受切換放電管回路、導波管回路、マグネトロンをパルス発振させる高圧パルス発生器、発振パルスのスペクトル特性の研究などにも関与した。これらの研究は6月15日以後は、主として海軍技研の三鷹分室で鳩山道夫技師の指導で遂行された。


 前述のように、この頃海軍技術陣は超再生をオートダインに交換するのに追われていたので、鉱石スーパーは2号2型の受信機でなく、次期の高性能レーダーの受信機として計画、設計されることになったのである。そこで送受切換回路付きの鉱石スーパー受信機を設計するため、私は7月17日から10日あまり、日本無線の設計課に足繁く通って設計主任の津田清一氏らと打ち合わせを行った。新しい電探の受信機の各部品に至るまでの設計製図に2週間、工作に2週間、調整に1週間はかかるので、順調に行けば8月末に第1号機が出来上がることになった。しかし、実際には、資材の手配と入手、製造工程などで次々に遅れ、9月になっても完成しなかった。


 ところが太平洋の戦局は私たちの予想していたものより遥かに厳しいものになっていた。6月11日に始まったマリアナ海域の戦争では、航空戦で大敗して、海上戦闘でも一方的に損害を重ね、7月6日にはサイパン島が占領された。そして超重爆撃機B29が日本本土を爆撃する発進基地の建設が始まるのである。そこで、私たちの新しい電波探信儀が完成する頃には、それを装備する軍艦がほとんど無くなっていると考えられるようになった。現用の2号2型の送信機などはそのままにして、受信機だけを改造すれば、差し迫った最後の海上決戦(捷1号作戦)に間に合うだろうというので、8月28日に三鷹分室でオートダイン受信機を鉱石スーパーに改造してみることになった。鳩山技師をはじめ高木行大技手と工員2名にも手伝ってもらい、オートダインの導波管部分を改造して鉱石ミキサーの同軸部を付けて早速試験してみた。その結果、鉱石スーパーとして正常に動作するが、そのままでは中間周波増幅器の利得が不足している。そこで、局部発振器マグネトロンM60の傍らに中間周波初段増幅器を増設し、20dB近く総合利得を上げても安定に動作するように調整した。


 このオートダイン改造鉱石スーパー受信機には、8月初句から実験していたレーボック(Rehbock)も付けられた。レーボックとはドイツで開発されてX装置とも呼ばれた疑似目標発生装置であって、目標物が全くないときに電波探信儀を最大感度になるように調整するための補助装置である。レーボック素子は水晶遅延棒にピエゾ板を接着したものであって、電探の送信パルスによってピエゾ板で発生した超音波パルスが遅延棒を伝搬して他端で反射し、ピエゾ板に帰ってきて疑似エコーを発生するのである。そこで、レーボックがあれば、船も陸地もない海上でも、疑似エコーを見ながら受信機を調整して電探を最大感度になるようにすることができる。さらに、逆探を避けるために電波を外部に発射しないで電探を調整することも可能になる。海軍技研がオートダイン受信機に組み込む目的で金石舎に試作させていたレーボックができたので、オートダインより先にそれを鉱石スーパーに入れたのである。


 この改造鉱石スーパーは9月1日に海芝浦で2号2型電波探信儀の受信機として試験した結果、オートダインよりもかなり感度が高く、遥かに使いやすいことが確かめられた。そこで9月2日には桂井技術少佐の主宰で日本無線の設計課とオートダイン改造装置の設計を打ち合わせた(9月7日には海芝浦で艦政本部による鉱石スーパーの立会実験が行なわれ、主任の北川金光大佐が「これなら何も知らない俺にもエコーが出せる」と喜んだということである)。そして日木無線にオートダインを鉱石スーパーに改造する部品60台分を大至急製造するように発注された。
 これを製造中の9月11日から、三鷹分室でもその設計による改造装置を作って、導波管や同軸部などの最終調整を行なった。そして、改造用の部品60台分は日本無線で出来上がって調整されるとすぐに、その取扱説明書と共に飛行機でシンガポールのセレター軍港内の海軍工廠に急送された。


 シンガポール方面に集結していた全艦艇に対して2号2型電探の受信機を改造部品によって鉱石スーパー受信機に改造する工事は大仕事であった。岡村総吾技術大尉がその責任者となり、部下2名を伴って9月26日に飛行機で東京を発ち、大阪、福岡、那覇、台北、サイゴンを経由して10月1日シンガポールに着いた。そして現地の工作部とともに全艦艇の受信機の換装と、電探射撃に必要な装置を取り付ける工事を実施し、岡村技術大尉は実施部隊に対して2号2型電探の取扱いや修理法の講習を行なった。出撃間近になって戦艦5艦(大和、武蔵、長門、金剛、榛名)と巡洋艦9艦(愛宕、矢矧、妙高、羽黒、能代、熊野、利根、干曲、鈴谷)では作業がほぼ完了したが、新装した重巡「青葉」以下の7艦の電探は故障続出の状態であったということである。


 それでも、改造された2号2型の大部分は10月17日に始まったフィリッピンのレーテ湾サマール島付近の海戦(捷1号作戦)で満足に動作し、索敵や測距に使われて、夜間でも電探射撃で戦うことができた。これより先、鉱石スーパーに改造された2号2型電探を装備した潜水艦では、敵の空母を雷撃するのにはじめて電探が役に立った、という報告を私は10月11日に受けている。それまでは見張り警戒や衝突回避にしか使われていなかった日本の電探が、ようやく実際の戦闘で使えるようになったのである。