霜田光一論文の掲示について

 先年事務局は東京大学名誉教授の霜田光一先生(文化功労者)を吉祥寺のご自宅にお訪ねし、先生が大戦中に開発されたマイクロ波用鉱石検波器の「開発に関わる経緯」をお伺いしました。この折、その概要を当館が編纂作業を進めている仮称「横浜旧軍無線通信資料館」にご寄稿頂きたくお願い申し上げ、快諾を頂きました。
 しかし、誠に恐縮ながら、当の編纂作業は調査対象項目が拡大する一方で、残念ながら現在の所、脱稿の目処が立たない状況に陥っています。このため、今般、先生の業績を広く皆様に知って頂くため、お預かりしている以下の2論文を編纂作業に先行して、当館HP上で発表させて頂くことに致しました。

            1.「電波探知機・電波探信儀用鉱石検波器の研究」
            2.「戦時中の米軍レーダーの調査」

 「電波探知機・電波探信儀用鉱石検波器の研究」は、当時東大理学部大学院生であった霜田光一先生が海軍技術研究所電波研究部の菊池技師門下として、昭和19年(1944年)の初めにマイクロ波用鉱石検波器を開発された経緯について纏められたものです。本鉱石検波器が海軍電波兵器の開発に果たした役割は非常に大きく、技術研究所電波研究部はこの検波器にてセンチ波用電波探知機を開発し、また、不振を極めていた22号系マイクロ波電探・受信機のスーパーヘテロダイン化が達成され、本電探はようやく安定しました。
 「戦時中の米軍レーダーの調査」は、1944年11月21日に有明海に墜落したB-29より回収したマイクロ波レーダー及び、同年10月24日、レイテに向かう日本艦隊を攻撃後、暗礁に乗り上げ放棄された米国潜水艦Darterより回収された水上警戒用レーダーに関わる調査記録です。
 何れの論文も霜田先生が当事者の一次資料であり、当時のマイクロ波技術を知る上で、誠に貴重な資料と考えます。


横浜旧軍無線通信資料館
土居隆




霜田光一先生簡易履歴


1920年生まれ。理学博士。1943年東京帝国大学理学部物理学科卒業。1948年東京大学理学部助教授。1959年同教授、1960年理化学研究所主任研究員兼任。1981年東京大学名誉教授、慶応義塾大学理工学部教授(1986年迄)。元レーザー学会会長、元日本物理教育学会会長。1974年東レ科学技術賞、1980年日本学士院賞、1990年勲二等瑞宝章、2008年文化功労者。研究分野はレーザー分光、量子エレクトロニクス、物理教育。