先日、鎌倉市が所蔵する扇湖山荘(旧長尾美術館)が公開されましたので、4年ぶりに見学をしてきました。扇湖山荘が建造されたのは1934年(昭和9年)で、以来80年以上の歳月が過ぎ、このため、建物外周の劣化はかなりひどく、抜本的な修理が必要と思われました。 市の財政事情によりその対応は難しいと考えられますが、この場所に僅かですが縁を持つ私としては、扇湖山荘が庭園と合わせ修復され、一般に開放、利用されることを強く希望しております。扇湖山荘と私 私は昭和20年(1945年)7月に鎌倉市極楽寺の谷戸で生まれました。4-5歳の頃、毎日山の上にある「わかもと本舗」の創業者「長尾家」の別荘「扇湖山荘」(長尾美術館)を通り抜け、鎌倉山の幼稚園に通い、帰りはこの大庭園で遊び回っておりました。長尾家とは戦前・戦中に保健薬「わかもと」を製造販売して巨万の富を得た長尾欽弥・よね(米子)夫妻のことで、二人は一代でその全てを湯水のように使い切りました。 「わかもと」はビールの絞りかすより製薬した総合保険薬ですが、発売以来、宣伝の巧みさもあり、多くの人々が服用するところとなり、開発・製造・販売元である長尾欽弥・よね夫妻は巨万の富を得ることになりました。夫妻はその財力で、数寄者の理想を実現する本宅や別荘を次々と造築し、骨董を買い漁り、政界人・文化人のスポンサーとなり、各種団体への寄付を行い、また、各界の著名人を招き贅を尽くした大宴会を連夜催しました。しかし、敗戦により経済状況は激変し、結局、長尾家は富の全てを失い、時代の表舞台より消えていきました。扇湖山荘 本山荘は鎌倉山の頂上部に位置し、当初は周囲の山々を含め13万坪の大邸宅でした。建設は昭和6年(1931年)より始まり、昭和9年(1934年)に完成した。造園は近代的日本庭園を完成させた七代目小川治兵衛で、実質的作業はその甥岩城亘太郎が担当しました。 母屋は、木造2階、地下1階(鉄筋コンクリート造)で、上部構造物は安土桃山時代に造られた飛騨高山の民家を移築したもので、1階は囲炉裏を配した居間や洋間3室が並ぶ座敷、砕き陶器を敷き詰めたテラスなどがあり、2階はサロン及び寝室でした。また、戦後は税金対策として収蔵した美術品を展示する長尾美術館となり、地階を収蔵庫より展示室に改修し、年に数度の開放を行っていました。 なお、「扇湖山荘」の名称は木立を介し眺める鎌倉の海が、扇状の湖のように見えることに由来しています。HP「長尾資料館」 扇湖山荘は昭和40年代に売却され、以降不動産会社や銀行の所有となりましたが、幸いにも平成22年(2010年)10月に鎌倉市に寄贈されました。 僅かな縁ではありますが、私は現在もなお扇湖山荘に強い思い入れがあります。このため、破天荒に生きた長尾夫妻と扇湖山荘を多くの方々に知って頂きたく、一時期本山荘に住んだ医師、加藤映氏と共に、HP「長尾資料館」を立ち上げました。本項では当該HPのURLを張ることが出来ませんが、是非「長尾資料館」を検索し、お訪ね頂ければ幸いです。