先日、(株)KODENホールディングスの代表取締役社長である伊藤良昌氏が、見学及び資料調査のため社員の方々と来館されました。 KODENホールディングスの前身である光電製作所は、1947年(昭和22年)に元海軍技術研究所・電波研究部の伊藤庸二造兵大佐を中心に創設された電子機器メーカーで、伊藤良昌氏は伊藤元大佐のご次男です。伊藤大佐は我が国を代表するマグネトロンの研究家であり、帝国海軍に於けるマイクロ波レーダーの開発に主導的役割を果たし、また、大戦末期には「Z研究」、所謂怪力光線の実験を推進しました。 当日は伊藤氏より来館土産として、旧軍レーダー関連資料やワイン他多くを頂き誠に恐縮しましたが、この中にご自身が執筆された「技術の伝承」が含まれていました。本冊子は伊藤氏が防衛技術ジャーナルに2013年(平成25年)より二年間にわたり掲載した「連載コラム・技術の伝承」を纏めた物ですが、その内容は大戦期に於ける電子技術の開発及び、それらに携わった技術者、科学者の記録で、何れもが誠に興味深い読み物となっています。 ところで、「技術の伝承」の表紙はレーダーのスケッチですが、これはドイツ海軍(空軍)の陸上設置型対空監視用レーダーのFreya(フレイア)です。1941年(昭和16年)1月、帝国海軍は英国と熾烈な戦いを交えていたドイツに軍事視察団を派遣しましたが、団員であった伊藤庸二中佐(当時)は3月23日の夕刻、ロリアン軍港(フランス)近郊でドイツ海軍のレーダーを検分する機会を与えられ、このスケッチを描きました。 伊藤中佐が検分したレーダーについては諸説が有り、中には空軍の対空射撃管制レーダーであるWürzburg(ウルツブルグ)との記述も散見されます。しかし、当時のドイツ海軍が装備し、外部への開示が許可できる機材は、既にその存在が知られた対空監視用のX装置(Freya)以外にはなく、「技術の伝承」の表紙が、伊藤中佐が調査を行った機材について、明確な答えを提示しています。 当時帝国陸海軍は英独他各国に駐在する武官等よりの情報を基に、レーダーの研究を始めていましたが、肝心な電波形式が判然とせず、本格的開発には程遠い状況でした。しかし、伊藤中佐の調査により、発射電波はパルス変調方式である事が判明し、また、送受信用空中線や送受信機及び、波形表示方式等も明確となり、この情報は直ちに海軍本部に報告され、併せ、同時期にドイツに滞在していた陸軍の軍事使節団にも提供されました。 以後帝国陸海軍のレーダー開発は急速に進捗し、海軍は1号電波探信儀1型を、陸軍は電波警戒機乙を間もなくして完成させました。スケッチとFreya 掲示資料-1が「技術の伝承」の表紙及び、米軍TM-11-2192に記載されているドイツ海軍の地上設置式対空警戒レーダーFreyaです。両機材はほぼ同一構造で、伊藤庸二中佐が検分した装置が、Freyaであった事が分かります。 TM-11-2192に掲載の機材には空中線の最上部に敵味方識別装置(IFF)の空中線が取り付けられており、中佐のスケッチとは構造が若干異なります。レーダー用空中線の上段は受信空中線、下段は送信空中線で、受信空中線の背後には受信機のフロントエンド部が、送信空中線の背後には強制空冷式の送信機が装置されています。 伊藤中佐が作成したスケッチの下部には「電源車二台、本装置より50m距離をおく。其の間を太き二本のcableにてつなぐ。電話用電線二組あり、指揮所との連絡、砲側との連絡に用ふ。」と記されています。 なお、本スケッチは「海軍遣独逸軍事視察団調査報告書」に収録されており、現在は呉の大和ミュージアムが所蔵しています。伊藤庸二造兵大佐 伊藤庸二大佐は1901年(明治34年)、千葉県御宿に教育家伊藤鬼一郎の長男として生まれました。1924年(大正13年)、東京帝国大学工学部を卒業後、海軍造兵中尉に任官し、1927年(昭和2年)に海軍より独逸ドレスデン工科大学に留学しました。この折り、八木秀次博士の勧めでBK振動の発見者であるバルクハウゼン教授に師事し、特殊振動管の研究を行い、工学博士号を取得しました。 戦中は海軍技術研究所の造兵大佐としてマイクロ波レーダーの開発に携わると共に、マグネトロンの研究に没頭し、大戦末期には海軍技術研究所島田分室で大出力マグネトロン「Z装置(怪力光線)」の開発を指揮しました。 戦後は海軍技術者の救済を目的として光電製作所を立ち上げ、電波方向探知機の開発・製造を行うと共に、財団法人資料調査会の役員として帝国海軍に関わる資料の保存・研究に尽力しました。1955年(昭和30年)の春には防衛技術研究所の所長就任を要請されますが、残念ながらこの職に就くことなく、5月9日、54才で急逝されました。 なお、戦前日本無線で当時世界最高出力の水冷式マグネトロンを開発した中島茂技師は、伊藤大佐の実弟です。BK振動管とイースターエッグ 海軍遣独逸軍事視察団の一員として訪独した伊藤中佐は、滞在中にドレスデン工科大学に恩師バルクハウゼン教授を訪ね再会しました。教授宅に宿泊した翌朝は復活祭当日で、目覚めるとベッドの横にイースターエッグが置かれており、開封すると中にはバルクハウゼン・クルツ管(BK管)が入っていました。この球はバルクハウゼン教授がBK振動を確認した試験管の一本で、以下の付記が添えられていました。「私のもとで学んだ研究生伊藤庸二工学博士、第一次大戦の最中の1917年に、バルクハウゼン・クルツ振動を発見したBK真空管を心からの友情の印として贈る、ドレスデン、1941年、イースター、バルクハウゼン」 このBK管は日本に持ち帰られ、伊藤家の家宝となり、戦後は国立科学博物館や光電製作所で展示が行われていました。しかし、2016年にその将来を危惧した伊藤良昌氏は本管をミュンヘンの「ドイツ博物館」に寄贈し、BK管は75年ぶりに里帰りを果たすと共に、終の棲家を得ることになりました。 ところで、事務局員は当該BK管を是非検分させて頂きたいと考えておりました。このため、本管は「ドイツ博物館」へ寄贈済み、とのお話を伺い、誠に驚愕し、落胆致しました。KODENワイン 今般の来館に際し、伊藤氏より赤ワイン「KODEN」を頂きました。光電製作所がワインも生産か、と驚いたのですが、お話によると、スペインで光電製品を扱う業者が同じ名前のワインを見つけ、送り届けてくれたのだそうです。 KODENの意味はアズテック語(メキシコ先住民アステカ族)で「女性が最も輝いている時」を表す言葉だそうです。添付資料には「『女性の輝ける時』コーデンをどうぞお楽しみ下さい。」と記されていますが、このワインは勿体なくてとても飲めません。館内の展示物として保管するつもりです。