先の大戦に於いて、帝国海軍は超長波が海面下数十メートルまで到達することに着目し、17.4KHzで対潜水艦用の片方向放送系通信を行った。送信装置には国策会社である「日本無線電信株式会社」が運営する依佐美送信所(現愛知県刈谷市)の対欧州通信用超長波送信施設を利用したが、この時期商業通信は既に短波帯に移行しており、巨額の費用を投入して建設された本装置は休眠状態にあった。 一方、この超長波受信用として、帝国海軍の汎用受信機であった92式特受信機の特別仕様が潜水艦に配備された。しかし、本機については資料が無く、その構成については不明であり、長年にわたり該当受信機の発見が、当館の懸案となっていた。 ところが、先般幸にも、知人の情報により、超長波用と思われる92式特受信機の特型を、youtubeの「大日本帝国海軍潜水艦乗務記録インド洋#7」(日本映画社)の中に発見する事が出来、漸くその一端が明らかになった。本映像は以下のURLで聴視出来るが、該当受信機が写るのは冒頭の数秒である。 https://www.youtube.com/watch?v=kA07thaVAmk発見超長波受信装置 今般発見した92式特受信機の特型には、本体右側面に、92式特受信機(改3以降)の短波帯空中線同調線輪収容筺に代え、大型で構造の異なる筺が装置されていた。また、その中央部分より出力されたコードが、本体の長波帯用空中線端子に接続されており、併せ、超長波受信機用空中線からの接線と思われるコードも、接続されていた。 超長波用受信機については、日本無線史(海軍編)に「水中受信用としては、高周波増幅二段を増し且つ同調回路のイムピーダンスを小とし、雑音発生を少くし、一七・四kcを受信し得るように改造したものがある。」との記述がある。また、1941年(昭和16年)12月8日、開戦日の真珠湾攻撃に際し、特殊潜行艇甲標的(特潜)横山艇の整備担当下士官として、伊16潜水艦に乗艦した元海軍電信員出羽吉次氏は、超長波用受信機について、「92式特受信機の右端に従来の同調筺に替え、弁当箱の様な筺が取付けられていた」と証言しておられた。 上記を勘案すると、今般発見した92式特受信機の右側面に確認された付加装置は、17.4KHz受信用の同調・増幅回路と考えられ、内部には同調線輪と併せ、高周波増幅管UZ-78二本が装置されていたと推測される。このため、92式特受信機の超長波受信型は、従来の長波帯受信部(高周波増幅2段、オートダイン検波、低周波増幅1段)に高周波増幅2段を付加した、4-V-1構成のストレート方式で、また、普及型92式特受信機の最低受信周波数が20KHzである事から、装備同調コイルは本型受信機専用の特別仕様であったと考えられる。 しかし、何れにせよ、超長波受信用92式特受信機の構造解明には実機の検分が必用であり、引き続きその発見に努めたいと考えている。空中線装置 超長波受信用の空中線については当初、T式(テレフンケン社製)方向探知機の枠型空中線を使用していた。しかし、大戦後期になると亜酸化鉄粉コアに巻線を施した超長波用特殊空中線が開発され、深度20メートル程度での受信が可能となった。 一方、短波用空中線は潜望鏡昇降装置を模倣した構造で、最上部にエボナイトで防水した1mの黄銅棒を取付け、その基部からキャブタイヤ電線を送信機に接続し、運用は水面上に本空中線部を露頂させ行った。超長波の運用 水中に於ける受信感度については、戸川幸太郎著「潜水艦伊16号通信兵の日誌」(精興社)に於いて、ハワイ攻撃に向かう1941年(昭和16年)12月1日の日記中に「その成果を期待されていた水中無線も、西経に入ってなお感5、水中深度18-20メートルにては感3-4にて、極めて良好に東京をキャッチ出来る。今の分ならハワイ近海にても十分だろう。」との記述がある。また、前述の出羽氏も水中受信感度については「太平洋はハワイ近辺、南はシンガポール付近までの受信は非常に良好で、まるで電信術修得訓練の様であつた。しかしインド洋は不良であった。」と証言されておられた。 なお、伊16系潜水艦の標準無線兵装は92式特型受信機3台、内1台は超長波受信専用、短波・長波兼用の特型送信機1台、T式(テレフンケン社製)長波・中波・短波用方向探知機1台、艦隊内通信用の90式無線電話機1台及び、停泊時の簡易連絡用機材であるTM式軽便無線電信機1台である。海軍「92式特受信機」 1926年に元号が大正より昭和に改まり暫くすると、艦隊通信は従来の長波帯に代え、小電力で遠達が可能な短波帯での運用が盛んになり、各種短波用送受信機の研究・開発が進んだ。 一方、潜水艦隊に於いても短波帯への移行が進んでいたが、水上艦艇と比べ驚くほど狭小な電信室に、長波、短波用送受信機を各機複数台設置するのには限界があり、長波と短波帯が兼用可能な特型送受信機の開発が強く要請された。これら潜水艦隊の要望に応え、1931年(昭和6年)にはYT式特3号・5号送信機が明昭電機により開発され、1932年(昭和7年)には92式特受信機が導入された。本受信機は長波帯と短波帯の受信を一台で行うが、短波帯は長波帯のストレート式受信部に、短波用コンバーターを付加したスーパーヘテロダイン構成である。短波帯受信時、長波部は中間周波増幅部として動作するが、中間周波数となる長波部の受信周波数は、短波運用周波数帯に応じ変更する。 92式特受信機は動作の安定を確保するため、導入以来多くの改修が行われたが、1935年(昭和10年)の後半になり漸く完成の域に近づいた。本受信機は潜水艦隊への配備を目的として開発されたが、改良型(3型以降)は使い勝手が良く、また、小型であることから海軍各部で重用され、艦隊の主要受信機として大戦終了まで使用された。 なお、本受信機には波及型である2型や、特殊用途のため周波数範囲を25,000KHzまで拡張したもの、水中受信用として17.4KHzの受信専用型等が少量製造された。92式特受信機改4型諸元用途: 艦艇用長波受信周波数: 20-1,500kHz(コイル差替式5バンド)短波受信周波数: 1,300-20,000KHz(コイル差替式5バンド)長波帯受信構成: ストレート方式、高周波増幅2段(UZ-78 x2)、オートダイン検波(UZ-77)、低周波増幅1段(UY-238A)短波帯受信構成: 長波部に周波数変換部付加のスーパーヘテロダイン方式、高周波増幅2段(UZ-78 x2)、周波数変換(Ut-6A7)、中間周波増幅2段、オートダイン検波、低周波増幅1段電源: 直流100/220V、直流/交流6V空中線装置: 艦艇装備固定式超長波送信施設「依佐美送信所」 1914年(大正3年)に第一次世界大戦が勃発すると我が国の貿易は空前の活況を呈し、外国電報は激増した。しかし、既設の対外電信設備は貧弱であり、電報の滞留が顕著となった。また、海外有線電信業務の大半はデンマークの大北電信会社及び、米国の商業太平洋海底電線会社の所有する施設に依存するため、電報料金に占める両社への支払額は非常に大きなものであった。このため、我が国は対外通信機能を強化するため、民間の資金により日米間に海底電線を敷設すべく日米海底電信会社の創立計画を1919年(大正8年)5月に発表するが、米国は国益を優先し外国法人による海底電線の陸揚げを認めなかった。 一方この時期、第一次大戦の影響もあり無線通信技術は飛躍的に発達し、列強各国では公衆通信に於ける無線電信の導入が進み、当時長距離通信に適しているか考えられた長波帯の周波数は、これら先進国が独占しつつあった。このため、財界を中心に「我が国も海底電線の敷設計画に代え、無線により対外通信の拡大を図るべき」との機運が生まれた。 しかし、当時我が国の財政は第1次大戦終結による経済の停滞及び、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災により窮乏しており、巨額の費用が掛かる対外無線施設の建設には問題があった。このため、政府は対外大無線局の建設に民間資金を活用する事を決定し、1925年(大正14年)に日本無線電信株式会社法を成立させた。これを受け、同年、国策会社「日本無線電信株式会社」が誕生し、以後、民間資金による対外向け無線電信局の新設及び改修が推し進められる事になった。 なお、我が国に於ける電気通信業務は、1900年(明治33年)に公布された電信法第1条に「電信及ビ電話ハ政府之ヲ管掌ス」と規定されており、通信業務自体は政府が行うものと定められていた。このため、日本無線電信株式会社の業務は、民間資金により自社が製造・建設・管理する外国通信用無線電信設備を政府に提供し、通信量に応じた設備の使用代金を収入源とし、これより借入金の返済を行うものであった。依佐美無線電信局の建設 1927年(昭和2年)、日本無線電信株式会社は対欧無線通信設備として依佐美無線電信局の建設を開始した。当初は使用周波数帯に短波帯を使用すべきとの意見もあつたが、この時代は短波通信への信頼は未だ低く、結局長波帯により計画を実行する事になった。依佐美送信所の建設予算は当時としては巨額な550万円で、費用の一部(約150万円)は、独逸からの戦時賠償金(現物支給)があてられた。この経緯により、送信機及び電源装置には独逸テレフンケン社の製品が使用される事になった。送信所の建設用地としては、逓信省より愛知県碧海郡依佐美村の広大な土地の現物支給を受け、また、受信所は三重県二重郡海蔵村(後に四日市市に編入)に決定した。 受信設備は1928年(昭和3年)2月21日に竣工し、受信装置はテレフンケン製のダブルゴニオ式長波受信機4台を基幹とするものであった。また、送信所は1929年(昭和4年)12月7日に竣工し、送信設備は空中線電力550Kwのテレフンケン社製高周波発電機を主発振装置とし、空中線は高さ250米の鉄塔八基を、各4基2列に配置した構造で、架設された空中線装置は逆L型ダブレット構成であった。対潜水艦通信設備への転用 依佐美送信所の超長波通信設備は巨額の資金を投入し建設されたが、間もなくして長距離通信は短波帯に移行し、施設は自然休上の状態となった。しかし、1939年(昭和14年)頃になり、国際情勢の緊迫により戦争の機運が高まると、帝国海軍は海面下十数メートルに到達する超長波に着目し、対潜水艦通信の送信施設として活用することを企画した。 1940年(昭和15年)の中頃、海軍の艦艇用受信機である92式特受信機を改造し、依佐美送信所が発信する超長波17.4KHzの受信実験が行われ、水中10-15m近辺まで良好に受信が可能である事が確認された。このため、依佐美送信所を対潜水艦用の一方向送信を行う放送系送信所に指定し、運用は東京の海軍通信隊により行うことになった。本送信所の超長波送信施設は1941年(昭和16年)12月8日の開戦通報以降終戦に至るまで、海軍の対潜水艦通信施設として重要な役割を果たしたが、敗戦によりその業務を停止した。依佐美送信所設備概要 本施設の送信装置は電源及び制御装置、5.814KHzを発振するテレフンケン社製の高周波発電機、原発振周波数を三逓倍して送信周波数17.442kH z(波長17.2km)を発生させる逓倍器、電信符号により送信出力の低減を行う信号装置、空中線同調回路及び空中線装置等により構成されている。送信装置諸元用途: 対欧州通信周波数: 17.442KH z(波長17.2km)電波型式: 電信(A1)高周波発電機: 誘導子型高周波発電機(原発振5.814KHz)出力: 500Kw(最大550Kw)電鍵装置: 送信電力低減方式通信速度: 500字/分高周波発電機駆動構成装置: 一次入力三相3,300V交流電動機・直流発電機・直流電動機(高周波発電機駆動用)発振周波数調整: ワード・レオナード速度制御方式空中線装置: 逆L型フラットトップ式(1,440m)、各8条二列素子、250m三角鉄塔各4基二列、地線装置: 多重接地方式、縦1,760m・横x880m網目構造、埋設60cm電源装置 送信施設が大電力を必要とするため、建設時に東邦電力株式会社(中部電力会社)が新たに依佐美変電所を新設して、三相3,300V、最大1,000kWの電力を供給した。 無線装置を構成する電源装置は920Kwの交流電動機(入力3,300V三相)及び、860KWの直流発電機(出力800V)により構成され、発電機出力は730Kwの直流電動機に供給され、本電動機が700Kwの高周波発電機を駆動した。 高周波発電機は直流電動機により駆動されるため、直流発電機の出力電圧を制御することにより、高周波発電機の発電周波数を微調整する事が可能であり、この方式はワード・レオナード速度制御方式と呼ばれた。高周波発電機の定格回転数は毎分1,360回転であり、この時発電機は8.814KHzを発振した。また、交流電動機から高周波発電機に至る各機の運転制御を遠隔で行うため、監視計、制御用抵抗器等は制御室の配電盤に集約されていた。 本送信装置は電源装置より高周波発電装置までが二系列となっており、送信装置を構成する主要部分は定期的に、点検、整備を行うことが出来た。高周波発電機 本機はテレフンケン社製の誘導子型高周波発電機で、装置の外枠は鋳鉄構造で、内部に装置された固定子はU字型である。励磁巻線及び出力巻線はU字型の電気鉄板に巻かれているが、二個のコイルは若干離れて装置され、磁気回路を構成している。固定子の内側には256個の磁極を持つ回転子が収められており、回転子と固定子との隙間は1mmである。回転子が回転すると磁極の通過により磁気抵抗が変化し、出力巻線に5.814KHzの高周波電力が誘起される。 回転子の直径は1.83m、幅は1.1m、磁極の溝の深さは2cm、重量は21.2t、発電機の全重量は38tである。本機は真空管式の速度制御装置を備えており、回転数を自動的に制御する事が出来た。高周波一次回路 高周波発電機より出力された高周波電力は、17.44KHzを発生させるため3逓倍器に入力される。高周波発電機と逓倍器の間には、逓倍器が発生する高調波成分が、発電機に影響を与える事を防ぐため、高周波チョークが装置されている。併せ、高周波発電機出力より不要波を除去するため、可変インダクタンス(バリオメーター)及び蓄電器で構成される5.814KHzの同調回路が装置されている。 3逓倍器は円形の鉄心により構成される水冷式の高周波変圧器で、12Kwの電動発電機により一次側コイルに大電流を流し、磁気飽和により発生する第3高調波17.44KHzを、二次側コイルの中間点より取り出している。高周波二次回路 逓倍器より出力された17.4KHzは、バリオメーターで構成される同調回路により、不要高調波成分を除去する。同調回路出力は空中線同調回路に入力されるが、本回路は空中線結合可変コイル、空中線同調用バリオメーター、固定式延長線輪及び、同調監視用として地線側に装置された1,000Aの空中線電流計により構成され、操作により、17.4KHzを固定空中線装置に同調させる。空中線回路の同調は、同調用バリオメーターを可変操作し、空中線電流計の指示が最大となる様に調整するが、空中線出力の調整は空中線結合コイルの結合度を可変して行う。信号(電鍵)回路 通信符号を発報するには符号により送信出力の接・断操作を行う必要があるが、本装置では逓倍器と同一構造の高周波変圧器の磁気飽和を利用した信号線輪により行う。本線輪は地線側に装置されており、電信符号により一次コイルに電流を流し鉄心を磁気飽和させると、インダクタンスが変化し、空中線同調回路が非同調となる。結果、空中線出力は電信符号に応じ1/100程度に減少し、受信機側では断続する電信符号として復調する事が出来る。 本送信装置が国際通信に活用された時期は、電鍵回路は国際電報局により遠隔操作された。大戦期となり、帝国海軍が依佐美送信所の超長波施設を対潜水艦放送通信用として使用していた期間は、前期が東京の連合艦隊通信隊、後期は呉鎮守府通信隊が運用を担当した。また、戦後になり、本施設が米軍に接収された後は、横須賀の在日米軍海軍司令部通信隊が運用を行った。 空中線設備 依佐美送信所の超長波送信装置を構成する空中線は逆L型フラットトップ式であり、空中線素子は各8条二列の16条構成で、各素子は60本の撚燐青銅撚線により構成された。空中線素子は高さ250mの支線式三角鉄塔各4基の2列配列で展開したが、鉄塔を支える撚線構造の支線は、現地で治具を使い、鋼素線を人力により束ね製造した。 地線は多重接地法で構成され、空中線直下の縦1,760m、横880mを地下60cmに掘下げ、縦は55m間隔で直径4mmの硬銅線を、横は10m間隔で直径約2.6mmの硬鋼線を網状に敷きつめ、地下網の各所より地表へ引出し、当初は架空線で、後には地下ケーブル方式で送信室に引込んだ。超長波施設のその後 1948年(昭和23年)、GHQの財閥解体令により日本無線電信株式会社は解散となり、国際電信電話業務に関わる設備・要員は逓信省に移管された。1948年(昭和25年)、GHQは本施設接収し、超長波送信装置を米国海軍の対潜水艦通信施設として利用したが、1994年(平成6年)になり、日本側に返還された。しかし、建物が老朽化し危険なため、同時期に本施設は解体され、現在、設備の一部が依佐美送信所記念館に展示されている。組写真補足 写真@には左右に2台の92式特受信機が写っている。左側の92式特受信機の右側面に17.4KHz受信用と考えられる付加装置が取り付けられている。付加装置の容積は、既設92式特(改3以降)の右側に装置された短波帯空中線入力線輪収容筺と比べ大分大きい。付加装置の中央より出力されたコードが、本体の長波空中線端子に接続されているのが確認出来る。付加装置下部に接続されたワイヤーは、方向探知機の枠型空中線より取り込んだ超長波用空中線の接線と考えられる。 写真Aは92式特受信機の普及型である改4で、右側側面の突起物が短波帯用空中線同調線輪収容筺である。各操作部は上段右から左へ、短波空中線端子、高―同調蓄電器、短波空中線蓄電器、繊條電流計、長波空中線端子、長波―短波空中線切換、長波空中線蓄電器、音量調整器、再生蓄電器である。 中段は右から、短波同調蓄電器、長波細密同調器、周波数割当表、長波同調蓄電器。下段右から、100V/200V繊條、翼板電圧、6V繊條、各々の接・断切換器、長―短波電源切換、繊條抵抗、受聴器端子2個である。 組写真Bは依佐美送信所内部で、左が高周波発電機で5.814KHzを発生する。右は高周波発電機を駆動する直流電動機である。 写真Cは依佐美送信所構成装置の概念図である。