今般、幸にも国内のNet Auctionに於いて、帝国陸軍の「車輌無線機乙」を構成する電源装置を入手する事が出来た。「車輌無線機乙」は陸軍の第4次制式制定に向け研究、開発が行われた戦闘車輛(戦車)用の二系統通信機材であるが、太平洋戦争の勃発により、その開発、生産が滞り、導入台数が極僅かの特殊機材である。 当館は本機の送受信機や空中線同調器を所蔵しており、今般の入手により、漸くその主要構成機材を揃える事が出来、誠に幸である。「車輌無線機乙」電源装置 入手電源は構成部品に欠品は無く、回転式直量変圧器の程度も良好で、また、機材設置用の緩衝式マウントも付属していた。しかし、二点、電源装置の前面、後面の取外式パネル二枚及び、「軍事秘密」の指示板が欠損していた。 なお、本電源装置は送受信機兼用である。「車輌無線機乙」の開発 本機材の研究審査は第3次制式制定作業が完了して間もない、1938年(昭和13年)より開始された。研究の主要課題は第3次制式化作業により兵器化された94式4号乙、4号丙、96式4号戊無線機を統合し、戦車及び他の装軌車輌用汎用無線装置を開発すると共に、部隊の要望が強かった二系統通信機能を実現することであつた。 戦場における中間指揮官は上級指揮官、下級指揮官との通信を維持する必要があり、このため、野戦部隊では異なる通信坦務要員が、異なる通信機材により、二系統の通信を行った。一方、機甲部隊の場合は各級の指揮官は共に戦闘車輌に搭乗するため、二系統の通信を確保するためには、二種の無線機材を車内に装置する必要がある。しかし、狭小な機甲車輌内にこれらの無線設備を搭載することは不可能に近く、このため、一機材に二系統の通信機能を持たせるべく研究が行われ、「車輌無線機乙」が開発された。 一機種による二系統通信方式には各種があるが、本機は、送信装置に二周波数の機械式プリセット方式を採用し、受信機はフロントエンド(高周波増幅部及び周波数変換部)部を二回路併設し、一系統との通信を行いつつ、他系統の呼び出しを受信出来るような構成を採用した。また、煩雑な同調操作を軽減するため、受信機は局部発振回路を水晶制御方式とし、事前セットにより、一切の同調操作無しに二周波数を受信する事が出来る。車輌無線機乙諸元用途: 装甲装軌車、中間指揮官車用2系統通信機材電波形式: 電信(A1)、変調電信(A2)、電話(A3)通信距離: 行動時A1-10Km、A2・A3-4km、停止時 A1-30Km、A2・A3-8km周波数: 送信機3,500-5,500KHz、受信機1,500-5,500KHz送信機: A1出力15W、A2・A3出力10W、水晶又は主発振UY-807A、電力増幅UY-807A、陽極変調UY-807A、2周波数プリセット機能装備受信機: スーパーヘテロダイン方式(高周波増幅、周波数変換、第1局部発振まで2系統)、高周波増幅1段、第1局部発振水晶制御、中間周波増幅1段、低周波増幅2段、構成真空管は三極・五極複合管Ut-6F7 六本中間周波数: 400KHz通信方式: ブレークイン(電信)、プレストーク(電話)方式電源装置(送受信共用): 直流回転式変圧器、入力24V、出力低圧24V、高圧400V空中線装置: 車輌装備垂直型2m、地線は車体接地方式車輌無線機乙装置概要装置構造 車輌無線機乙は送信機、受信機、送受信機兼用電源、空中線同調器及び空中線装置等により構成され、電波形式は電信(A1)、変調電信(A2)、電話(A3)で、運用形態はA1・A2がブレークイン、A3がプレストーク方式である。本機は二系統通信機材であり、送受信機は共に二周波数の運用機能を備えており、各機は必要に応じ一挙動で周波数の転換を行い、二系統に対応する。 送信機及び受信機は鉄製アングルに前面パネル、シャーシ用パネルを取り付けた構造で、各機は独立したアルミ板金製ケースに収容され、受信機の容積は18x27.5x20cmで、重量は7.5kg、送信機は18x22x20cmで、重量は5.5kgである。車体への装着は、送受信機をフレーム構造の緩衝式ラックに収容し行う。 なお、車輌用無線装置の運用は各機共通で、電信運用は通信担当が行うが、電話通信は車長が担当した。送信機 本機は発振・電力増幅方式で、変調は陽極変調方式である。各回路はビーム管UY-807Aにより構成され、送信出力はA1で15W、A3が10Wである。運用周波数は3,500-5,500KHzで、構成同調コイルは装置内蔵式である。送信機は二系統機材のため、甲・乙二周波数を装備するが、周波数の登録・選択は機械式プリセット機構により行う。 発振回路はハートレーの陸軍方式で、通常は水晶発振子により発振を行うが、水晶片を取外すと自励式発振器として動作する。電力増幅段の陽極側同調は並列共振回路方式であり、発振及び増幅段の同調回路を構成する各可変式蓄電器は連動式で、各段の同調操作は一挙動により行われる。タンク回路出力は結合回路を介し空中線端子に供給されるが、空中線との同調は外部設置の空中線同調器により行う。 本送信機の電鍵回路は継電器による発振段高圧及び、電力増幅段第一格子電圧制御方式である。 変調回路はUY-807Aによる陽極変調(ハイシング変調)方式で、低圧カーボン式送話器の出力を整合変圧器を介し、変調管の第一格子に加圧している。A1・A2運用時、変調回路は低周波発振器として動作し、電信音は側音として受信機の受話器回路に出力される。空中線及び同調器 本同調器は端子切替式空中線延長線輪、直結した可変式インダクタンス(バリオメーター)及び同調蓄電器、空中線電流計により構成され、木製のケースに収容されている。送信機が二系機材のため、空中線同調器も送信機と類似した二周波数プリセット機構を装備し、必要に応じ甲、乙周波数を選択する。本器により構成される空中線同調回路は1/4波長空中線接地方式であり、延長線輪、バリオメーター、同調蓄電器の操作により、空中線に同調させる。 空中線装置は車体に設置された金属エレメント構造の垂直型で全長は2m、地線は車体接地方式である。二周波数プリセット機構(写真C参照) 本送信機は二系統用機材のため、二周波数を機械式にプリセットし、必要に応じ甲、乙周波数を一挙動にて選択する構成である。運用周波数のプリセットは、予め調整した同調点にストッパーを設定し、転換器で甲・乙周波数の切替を行うと、設定箇所で同調用蓄電器に直結した指示器が停止する構造である。 甲・乙周波数の機械式登録は、周波数の高い乙周波数より行う。操作は先ず、同調器で乙周波数に同調させ、空中線同調器を操作し、発振が安定し、空中線電流が最大となり、陽極電流が規定内となるように各部を調整する。調整後、乙プリセット用ストッパーを、同調ダイアルに取付られた指示器が、設定点以上に回転しないよう固定する。 上記と同様に各部を調整し、甲周波数を設定する。調整後、甲プリセット用ストッパーを、同調指示器が設定点以下に回転しないように固定する。 甲・乙周波数設定作業終了後、周波数転換器を乙に切替えると、同調蓄電器(指示器)は途中乙周波数の同調点でストッパーにより停止し、甲に切替えると、同様に甲周波数の同調点で停止する。しかし、転換器は同調点で停止することなく、廻りきる構造となっている。 空中線同調器の甲・乙周波数の設定方式も、送信機と同一であるが、本器の周波数切替機構は簡易型で、転換器は装置していない。このため、周波数の転換は、指示器を手動にて動作させる必要がある。上記により、周波数の転換は一挙動とは言え、送信機の場合は、甲・乙周波数の選択は、送信機及び空中線同調器を共に切替る必要がある。 受信機 車輌無線機乙を構成する受信機は高周波増幅1段、中間周波増幅1段、低周波増幅2段のスーパーヘテロダイン方式である。本無線装置は二系統通信機材のため、受信機は甲・乙の二周波数を受信する機能を備えている。構成は二系統のフロントエンドを装置し、必要に応じその中間周波出力を切替選択する。周波数の選択操作はスイッチによる一挙動方式であるが、常時は二周波数を同時に受信し、両通信系よりの呼出しに備える。 受信機は3極(T)・5極(P)複合管Ut-6F7六本により構成され、対応周波数は1,500-5,500KHzで、この周波数帯を差替え式線輪3本で受信する。本機は局部発振回路が水晶制御方式の、単一周波数受信機能を備えているが、水晶片を取外すと自励発振に切替わり、連続可変式受信が可能となる。 回路構成 各フロントエンドはUt-6F7(P)による高周波増幅1段、Ut-6F7(P)による周波数混合回路(第一検波)及び、Ut-6F7(T)による局部発振回路で構成されている。局部発振回路は陽極同調回路により構成される水晶発振方式で、使用水晶片は陸軍三型であるが、水晶片を取外すと自励発振器として動作する。各段の同調回路は3連式可変蓄電器により構成され、同調機構はバーニアダイヤル方式で、周波数は装置に添付の置換表により読み取る。 甲・乙二周波数の混合は、各周波数変換管の出力を同一の中間周波トランスに巻き込み行っている。また、甲・乙周波数の選択は、受信しない何れかの周波数を構成する周波数変換回路、局部発振回路の高圧を断とし、動作を停止させる方式である。 中間周波増幅回路はUt-6F7(P)による1段増幅方式で、中間周波数は400KHzである。 第二検波回路はUt-6F7(T)の三極部で構成され、検波は格子・陰極間で行う二極管検波方式であるが、本回路はAGC電圧発生回路を兼ねている。AGC回路は三極管部とバイアス電圧回路により構成され、電圧回路は検波出力電圧により制御され、変化するバイアス電圧をAVC電圧として、各高周波増幅管及び、中間周波増幅管の第一格子に加圧している。 BFO回路はUT-6F7(T)により構成されるハートレー発振回路で、出力を検波回路の入力側中間周波トランスと結合させている。 低周波増幅回路はUt-6F7(P)による1段及び、Ut-6F7(T)二部を使用したプツシュプル回路による二段増幅方式で、各段は変圧器により結合され、受話器出力インピーダンスは約2KΩである。 本受信機の利得調整(入力調整)は高周波増幅管、中間周波増幅管の第一格子電圧可変方式である。音量調整(出力調整)は低周波出力回路の2次巻線に抵抗器を並列に装置し、この可変により行う方式である。また、A1運用時(BFO動作時)に於けるAGCの動作変更機能は具えていない。電源装置 車輌無線機乙の電源は直流回転式変圧器構成で、送受信機兼用である。筐体は鉄製ケースの内部にシャーシ一枚を取付けた構造で、上面・下面、前後・左右に取外式パネルが装置され、下部には車体設置用の緩衝式マウントが取付られている。電源の容積は18x23x18cmで、重量は約11kgである。変圧器の入力は直流24V、高圧出力は400Vで、線條電圧等の低圧は入力24Vを濾波し供給する。送受信機周波数較正 車輌無線機乙は送・受信機の周波数較正(鳴合わせ)機能を備えている。しかし、本操作は受信機の局部発振回路が自励式の場合には必要であるが、水晶制御方式では必ずしも必要ではない。較正は以下の様にして行う。 受信時に送信機の「測定」押釦を押すと発振回路が動作し、発振波の受信が可能となる。受信機の波形切替器を「電信」に設定し、BFOの音調調整器を零(400KHz)の位置に設定する。同調操作により発振波を受信し、零ビートに設定する。本操作により送信機と受信機の周波数が一致する。 写真補足 掲示組写真@が今般入手した車輌無線機乙の電源装置である。製造は昭和18年でメーカーは山洋電機株式会社である。 写真Aが電源装置裏面で、内部の程度も良好である。緩衝用マウントは電源本体に取り付けられ、分離は出来ない。 写真Bは当館が所蔵する車輌無線機乙の構成機材で、下部左が受信機、右が送信機、上部に載っているのが空中線同調器である。受信機の上に載っているのは「車輌無線機甲」の受信機である。 写真Cが送信機の同調機構である。中央のダイアル装置が甲・乙二周波数の同調・プリセット機構で、下部が周波数転換器である。同調調整は中央の指示器(同調蓄電器)に取り付けられたツマミを操作して行う。 プリセットは指示器(同調蓄電器)を操作し同調を行った後、ストッパーを指示器の動作を停止させる位置に固定する。掲示写真で、甲側で指示器を止めているのが、甲周波数プリセット用のストッパーである。乙側に転換を行うと指示器(同調蓄電器)はストッパーが固定された位置で停止する。プリセットは運用周波数の高い乙周波数を最初に行う。