先般、FB「旧日本軍無線機材etc.」にメンバーの横山祐一氏が帝国陸軍飛行第五連隊の除隊記念写真帖(大正14年制作)に掲載された無線機材の写真を投稿され、その中に真空管時代以前の鉱石式受信機を発見し、誠に驚くことになった。https://www.facebook.com/groups/1687374128228449/ この受信機は米国陸軍通信隊の受信装置SCR-54を構成する鉱石式受信機BC-14Aに相似しており、当初は帝国陸軍が米軍機材を模倣したものかと考えた。しかし、之を機にBC-14Aについて若干の調査を行うと、本機は第一次大戦時にフランス陸軍砲兵部隊の対空通信装置を構成した、A-1型鉱石式受信機を基に開発された事が判明した。 資料によると、第一次大戦当時、フランス陸軍の無線装置はアメリカ軍のそれより優れており、1917年(大正6年)に米国陸軍はA-1型鉱石式受信機を基にAR-4型受信機を開発し、本機はその後改修され、受信装置SCR-54(BC-14A)として制式化されとのことである。 上記により、何故帝国陸軍航空隊がBC-14Aに相似した鉱石式受信機を装備するに至ったのかについて、大凡の理由が推察できた。実は、写真の鉱石式受信機はBC-14Aの複製ではなく、フランス陸軍A-1型受信機の模倣品であり、その導入は帝国陸軍航空隊の創設に関係していると考えられるからである。 1914年(大正3年)に第一次大戦が勃発すると、航空機や無線技術が飛躍的に発展し、我が国に於いても1915年(大正4年)12月に、平時編制上初の航空部隊が陸軍に創設された。 帝国陸軍は航空部隊の創設にあたりフランス陸軍を手本とする事を決定し、1919年(大正8年)にフランス陸軍より航空指導要員を招聘し、臨時航空術練習委員の業務を開始した。本業務の一環として、航空無線通信に関する純フランス陸軍式の教育が行われ、これが陸軍に於ける航空無線教育の端緒となった。 航空部隊用無線機器については各種のフランス軍制式機材が輸入され、これらを基に第二次制式制定機材(15年式、87式)の研究が進められた。しかし、研究過程に於いてフランス軍制式機材は旧式なものとなり、結果、航空部隊用機材については英国マルコニー社製無線機各種が輸入され、15年式無線電信機各型として制式化された。これらの経緯により、フランス陸軍のA-1型鉱石式受信機も早い時期に輸入され、国産化されたものと考えられる。写真補足 掲示組写真@は横山氏がFBに投稿した陸軍飛行第五連隊除隊記念写真帖に関わる無線機材の写真である。第二次制式制定以前の機材は資料が少なく、その名称については判然としない。しかし、左端の大型機材は後の「対空用87式6号無線電信機」であろうと考えられる。本機は師団通信隊用の「15年式3号無線電信機」を対空通信用に改修した砲兵部隊用の機材で、用途は航空機との着弾点確認通信である。制式制定上、87式の導入は1927年(昭和2年)となるが、それ以前は対空用6号無線機等の表記で配備が行われていたと考えられる。 対空用87式の前に置かれたのが、フランス陸軍のA-1型受信機を模倣したと考えられる鉱石式受信機で、その右は構成管三本による低周波増幅器である。また、右端は構造から航空機搭載型無線装置と考えられる。 写真Aは鉱石受信機部を拡大した物で、当該受信機はフランス陸軍のA-1型を模倣したと考えられる。右は真空管黎明期の低周波増幅器で、構成管はフランス型の直熱式三極管である。 写真Bは米国陸軍通信隊の鉱石式受信機BC-14Aである。パネル左上部に装置された円形の部品は、鉱石の感度調整用ブザーである。 写真Cはフランス陸軍のA-1型受信機である。本受信機及び国産型と考えられる鉱石式受信機は共に、ブザーを装置していない。