この度、収集家である樋口高明殿より「国際電気五十年史」を御寄贈頂きました。樋口殿には以前より各種無線機材を頂いており、変わらぬ御協力に心より感謝申し上げます。 本史に関連し、当館は国際電気の母体である国際電気通信株式会社の「国際電気通信株式會社史」を所蔵しており、今般の御寄贈により、同社の戦前より戦後50年に渡る会社資料を所蔵する事となり、誠に幸です。国際電気通信株式会社及び国際電気株式会社に関わる若干の補足 明治2年(1869年)に東京-横浜間に公衆電信業務が開始され、本業務の所轄として民部省内に電信機掛が設けられた。以後幾多の変遷を経て、明治18年(1885)に逓信省が設置されると、郵便事業と共に電信事業は本省の所管となった。 大正後期になると無線電信の発達に伴い船舶・海外向け無線電信電話事業の拡大が要請され、逓信省は国策会社として設立した日本無線電信株式会社及び国際電話株式会社より施設の提供を受け、これに対処した。しかし、無線電信電話業務の需要は更に拡大し、政府は事業の円滑な推進を図るため、昭和13年(1938)に日本無線電信株式会社と国際電話株式会社を合併させ、国際電気通信株式会社を誕生させた。 昭和20年(1945年)8月15日、太平洋戦争が敗戦で終結した。昭和22年(1947年)、占領軍GHQは政府の無線通信業務に関わる設備を独占する国際電気通信株式会社を、財閥解体令により解散させ、設備・要員は逓信省に移管され、本省は国内・国際両電気通信業務を所管することになった。 之より先、国際電気通信株式会社に於いて設備の設計、製造を担当していた狛江工場部門は、戦後間もなくして米軍の大型無線機材の製造を請け負うなどし、名称も狛江製作所に改め独立経営体となっていた。しかし、GHQの財閥解体令により同製作所は電元工業株式会社に売却され、電元工業株式会社狛江工場として操業を始めた。その後間もなくして、同社の蚕糸機械部門に致命的な損失が発生し、昭和24年(1949年)、政府の会社応急法により狛江工場部門は「国際電気株式会社」として独立した。 一方、逓信省は昭和24年に郵政省と電気通信省に分割され、郵政省は郵便事業を、電気通信省は国内外の電気通信業務を所管することになった。しかし、電気通信省の業務形態は誠に非効率で、戦後の復興を強力に支えなければならない通信事業体としては問題があった。このため、業務の円滑な推進を目的として、昭和27年(1952)に電気通信事業は公法上の特殊法人とし設立された日本電信電話公社に移管された。また、昭和28年(1953)になると国際電信電話業務は国際電信電話株式会社法により、郵政省管轄の特殊会社「国際電信電話株式会社」として独立し、以後両通信事業体は戦後の経済復興を独占的に支えた。