海軍96式空1号無線電話機を正しく評価するため、以下では同時代に於ける各国の戦闘機用無線電話機について概観する。内容が広範なため、本項では英独無線機材について概観し、米陸海軍無線機材については別項に掲示した。「RAF戦闘機用無線電話機」 1940年の夏、英国空軍(RAF)は後世にBattle Of Britainとして語り継がれる壮絶な空の戦いをドイツ空軍と演じ勝利した。当時RAFの主力戦戦闘機であったスピットファイアやハリケーンに搭載されていた無線電話機の多くは短波帯機材のT.R.9Dで、本機の原型であるT.R.9は1932年に導入された。 開発当初T.R.9は送信機が主発振・電力増幅方式、受信機は再生機能付きのストレート方式で、電源は蓄電池及び乾電池であった。本機は以後改訂が重ねられ、1937年に送信機が水晶制御方式に改良され、これに方向探知(DF)局に対する電波自動発信機能が付加され、T.R.9Dとなった。 T.R.9Dの送信機出力は約1.5Wで、その対地通信能力は限定的であったと考えられるが、戦いが始まるとRAFは多くの移動式対空通信中継局を配備し、本機を装備する戦闘機との電話通信に疎漏が無いよう努めた。構成からT.R.9Dの使い勝手は非常に悪かったと考えられるが、VHFの4チャンネル機材TR-1143が導入される1942年の中頃まで、本機はRAFの主力無線電話装置として使用された。T.R.9D諸元通達距離: 空対空8Km、対地50Km周波数: 4,300−6,600KHz(通信用に任意の周波数一波、DF信号送信用に一波)電波形式: A3(電話)送信入力: 約3W送信機: 水晶発振VT-50、電力増幅VT-51、陽極(ハイシング)変調VT-51、送話音声増幅用として外部設置のサブ変調機を使用受信機: 再生機能付ストレート方式、高周波増幅2段VR-18 x2、検波VR-27、低周波増幅3段VR-21 x2及びVR-22電源: 低圧2V蓄電池、高圧120V乾電池空中線: ワイヤー固定式DF用付加装置: 付加装置の制御により地上DF局に対し、毎分14秒間DF用周波数で無変調波を自動送信機材設置 通常本体はパイロットの背後に設置され、送受信切替、受信微同調、音量調整は操縦席に設置された制御器より行う。送受話器は本体に繋がれた外部設置のサブ変調器(A1134)に接続するが、この装置は複座機の場合インターホンとしても機能する。 下記URLはBattle Of Britainをスピットファイアやハリケーンで闘ったパイロット達の証言を集めたもので、無線電話に関わる言及が数多くある。T.R.9Dについては多くのベテランが通話レンジの短さ、混信のひどさを指摘している。また、後継機のVHF機材TR-1143については通話をcrystal clearと表し、その性能を賞賛している。http://www.airbattle.co.uk/b_research_1.htmlVHF戦闘機用無線電話機の開発 1939年、RAFはT.R.9Dの後続機として100-124MHz帯のVHFを使用した試作1CH無線電話機TR−1133を導入し、高度3,000mで対空160Km、対地220Kmの通話が可能であることを確認した。本機材の送信機は水晶制御方式で終段はTT-11二本のプッシュプル(P.P.)構成、出力は約5W、受信機は高周波増幅1段、中間周波増幅3段、低周波増幅2段、局部発振がLC発振方式のシングルスーパーヘテロダインであった。TR-1133の生産は1940年に始まるが、局部発振がLC発振のVHF受信機は安定性に問題があり、本機の実戦配備は進まなかった。1941年に応急措置とし、試験製造中の次期機材TR-1143(送受信機水晶制御4CH方式)の受信機と、本機の送信機によって構成した送受信機水晶制御方式のTR-1133Gを導入し、急場を凌いだ。1942年になるとTR-1143の本格的製造が軌道に乗リ、4CH式VHF電話機材の配備は急速に進むことになった。 米国がヨーロッパの戦いに参戦すると、米陸軍航空隊はRAFと通信の整合を図るためTR-1143を原型とした無線装置SCR-522を開発し、P-51戦闘機他に配備した。本機の機械的構造、性能はTR-1143を踏襲したものであったが装置の完成度は高く、このため、RAFは後にTR-5043として採用した。TR-1143諸元用途: 対空、対地電話通信通達距離: 高度3,000mで対地約220Km周波数: 100-124MHz(任意の4周波数)電波形式: A3(電話)送信出力: 5W送信機: 水晶発振VR-53、第一周波数逓倍VR-53、第二周波数逓倍VT-501、増幅VT-501、電力増幅VT-501(P.P.構成)、音声増幅VR-56、陽極変調VT-52 x2(P.P.構成)受信機: シングルスーパーヘテロダイン方式、高周波増幅VR-91、周波数混合VR-91、局部水晶発振/周波数逓倍VT-52、周波数逓倍VR-91、中間周波増幅一段VR-53、二段VR-53、三段VR-91、検波VR-55、低周波増幅一段VR-56、二段VR-55中間周波数: 9.72MHz電源: 回転式直流変圧器、入力12V又は24V空中線: 垂直ブレード型 なお、T.R.9D及びTR-1143の概要については以下のURLに掲示した。http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2012aug05.02.html「ドイツ空軍戦闘機用無線電話機」 1940年の夏、英国上空に攻め込んだドイツ戦闘機はメッサーシュミットBf1O9で、装備していた無線装置はFuG.7であった。本機は1930年の中頃に開発された短波帯機材で、送信機は主発振・電力増幅方式、受信機は高周波増幅一段、中間周波増幅一段、低周波増幅一段のスーパーヘテロダイン構成、電源は回転式直流変圧器方式で、同時期に英軍戦闘機が装備したT.R.9Dと比べ、完成度の高い装置であった。 しかし、FuG.7、T.R.9Dは共に短波帯を使用した電話用小出力機材で混信や雑音に弱く、また、狭い地域で激しい戦闘を繰り広げる両国の防空システムの運用に1チャンネルの通信形態は不都合であり、この時期英独両空軍は高性能な多チャンネル式無線電話機の導入を急いでいた。FuG.7諸元通達距離:対地電話通信、約70Km周波数:2,500-3,750kHz電波形式:A1(電信)、A3(電話)送信出力:電信20W、電話7W送信機(S.6a): 主発振REN904、電力増幅RES664d x2(並列構成)、第一格子変調REN904受信機(E・5): スーパーヘテロダイン方式、高周波増幅一段RENS1264、周波数変換RENS1264、中間周波増幅一段RENS1264、検波REN904、低周波増幅一段REN904電源: 回転式直流変圧器(入力24V)空中線: ワイヤー固定式VHF式無線電話機の導入 1941年、ドイツ空軍は38.5-42.3MHz のVHF帯を使用した戦闘機用電話機材FuG.16Zを導入した。本機は新たに開発した汎用電話機材FuG.16に周波数遠隔切替機構、方向探知(DF)装置を付加した通信・航法用装置で、予め設定した任意の4周波数を切替使用する方式であった。 戦闘機に装備したFuG.16Zの運用形態は、通常1チャンネルを対地・対空通信に、他の1チャンネルを各航空部隊共通連絡用として使用し、残り2チャンネルはDF(方向探知)用であった。このDF装置は航路計方式で、基地局より発する電波を受信し、帰投方位を確定するものであった。 一方この時期、RAFもVHF帯を使用した4チャンネル用電話機材TR-1143の導入を進めており、両軍の旧装置に於ける運用上の諸問題は大きく改善されることになった。FuG.16Z諸元用途: 戦闘機用電話機通達距離: 高度3,000mで対地190Km周波数: 38.5-42.3MHz、4チャンネルプリセット方式電波形式: A2(DF用)、A3(電話)送信出力: 10W送信部(S.16Z): 主発振RL12P35、電力増幅RL12P35変調部(BG.16Z): 第一格子変調RV12P2000 x2受信部(E.16Z): スーパーヘテロダイン方式、高周波増幅一段、中間周波増幅三段、低周波増幅一段、構成真空管RV12P2000 x9方向探知付加装置(ZVG.16):枠型空中線移相切替・航路計表示方式RV12P2000 x4電源:回転式直流変圧器(入力24V)空中線:ワイヤー固定式、枠型空中線(BG.16Z用) なお、以下のURLにFuG.7、FuG.16Zの概要を掲示した。http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2012aug05.03.html掲示写真補足 当館が所蔵するT.R.9F、本機はT.R.9Dの改良型であるが構成に大きな違いは無い。