開発の端緒 電波探信儀(電探)の研究が進むにつれて、敵方のレーダー波を探知して、先に敵を発見しようとする考えが生まれた。1942年(昭和17年)6月、戦艦伊勢、日向における第二回電探実験の際、伊勢の21号電探波を、僚艦山城に設置した同型受信機(簡易空中線を使用)で傍受実験を行い、大凡4,000m迄高感度で受信出来ることが確認された。この結果、用兵側より安易な電波の発射に関わる危険性と、敵レーダー波を傍受する通称「逆探」と称される電波探知機の必要性が提起され、1942年(昭和17年)10月から専用受信装置の本格的な研究が始められた。 先取防衛用兵器である電波探知機は、日本海軍の伝統である攻撃兵器重視の考えに必ずしも一致したものではなく、当初は電探と同様に本装置に対する理解は十分ではなかった。しかし、戦争後半になるとレーダーを駆使した連合国側の攻勢が強まり、特に水上・対空監視に不利な潜水艦部隊からの要望は強いものがあった。このため、艦艇、航空機用の各種電波探知機が研究、開発され、その幾つかが配備された。電波探知機1型「E-27受信機」の開発(追加資料006参照) 艦艇用電波探知機の開発に当たっては受信機の簡易化、操作性、量産性が考慮され、対応周波数は75-300MHzとして、1942年11月、海軍技術研究所は七欧無線に試作機の製造を依頼した。この受信機は高周波増幅段無し、中間周波増幅5段、低周波増幅3段のスーパーヘテロダイン方式であったが、使用空中線については未だ確定がなされていなかった。1943年(昭和18年)1月、完成した試作機の検討が行われ、最終的に上限周波数を380MHz迄拡大し、1号電波探知機「仮称電波探知機E-27受信機」として兵器化されることが決定した。 本電波探知機はフロントエンドの差替えにより対応周波数帯を5バンドに分け受信する方式であるが、使い勝手は必ずしも良好ではなかった。しかし、用兵側の早期配備への要望は更に強く、結局改良されることなく直ちに量産が開始され、1943年4月より、ドイツ海軍のラケット型空中線の模倣型と併せ各艦艇への配備が始まった。 この時期、電波探知機を最も必要としていたのは潜水艦隊であった。しかし、水中深く潜行する潜水艦に対する空中線の艤装は非常に困難で、給電線の接続や防水には多くの問題があった。このため、本機の性能は必ずしも十分ではなかったが、E-27の配備は乗員の精神的負担を大きく軽減し、士気の高揚に貢献することになった。空中線の開発 メートル波帯用の電波探知機には広帯域型の空中線が必要であるが、当時技術研究所は開発の参考となる有効な資料を持ち合わせていなかった。1942年(昭和17年)10月末、技研の担当員は横浜に寄港したドイツ仮装巡洋艦10号艦(トーテルと推測)に装備されていた電波探知機用の空中線を艦外より観察し、類似品を作成して各種の実験を行った。この空中線は幅の広いラケット型空中線素子2基を金網状反射器の上に取付けた構造で、ダイポール型空中線の変形である。1943年(昭和18年)春になると神戸に仮装巡洋艦ミッヘルが寄港し、装備していた電波探知機Metoxとラケット型空中線の情報を入手する事が出来、本型の空中線を完成させることが出来た。 ラケット型に続き、1944年(昭和19年)になるとE-27受信機用の無指向性型空中線が開発された。海軍電気技術史にはこの空中線について以下の記述がある。「昭和19年後半に至り戦局の進展と共に探知機の使用を積極化しようとする空気が強くなり、数々の要望が付加された。従来の空中線、饋電線等に対し再検討が加えられ、新型空中線への研究が進められ、無指向性空中線としては独逸国のルンドダイポール(Rund Dipol-Round Dipole)よりも感度並びに指向性優秀な空中線が試作され成功を収めた」 上記のルンドダイポールとはドイツ海軍の電波探知機Wanze用の無指向性型空中線と考えられ、この空中線は円形に丸めた金網状構造物に2本の金属ロッドを取付けた構造である。前項でも言及したが、第二次遣ドイツ潜水艦である伊号第8潜水艦は途上大西洋上にてドイツ潜水艦と会合し電波探知機Metoxとルンド空中線を受領した。1943年8月6日にドイツよりの寄贈潜水艦U-511が到着し、12月21日には伊号第8潜水艦も無事呉に帰投した。これら潜水艦には当時の最新機材であるWanzeが搭載されていたと考えられ、海軍技術研究所電波研究部は入手したルンドダイポールの現物を参考に、無指向性型空中線を開発したものと考えられる。 記録(注)によると、伊号第8潜水艦は帰路途中、シンガポールに於いて、第四次遣ドイツ潜水艦である伊29に自艦のMetoxとルンド型空中線を移設した。伊29潜水艦は途上大西洋上にてドイツ潜水艦よりWanze及びマイクロ波用電波探知機Naxosを受理した。途上Wanzeが受信したレーダー波の方向を確認するため、手持ち反射板をルンド空中線の周囲に配置し、これを移動させ大凡の方向を確認している。E-27受信機緒元用途: レーダー波探知周波数: 75-400MHz構成: スーパーヘテロダイン方式、混合(UN-955)、局発(UN-955)、中間周波増幅5段(UZ-6C6 x5)、検波(UZ-6C6二極管接続)、低周波増幅3段(UZ-6C6 x3)電源: 艦内直流電源又は交流電源空中線: ラケット型空中線(指向性)、ルンド型空中線(無指向性)重量: 40kg製造: 七欧・住友、約2,500台電波探知機2型の開発 1944年(昭和19年)になると連合国側はレーダー波の被探知を防ぐため電波の発射時間を短縮するようになり、探索に時間を要するE-27受信機に代わる新たな探知機の開発が課題となった。1944年の中頃、この問題を解決するため全帯域一括同調方式の「電波探知機2型」が開発されたが、本機は設計・製造に不備があり兵器化に失敗した。海軍電気技術史には「短時間発射電波の補足の問題に対しては自動可視式のものが研究試作されたが、実用に十分なものは得られなかった。」との記述があり、この探知機はバンド内自動スキャン方式でCRT表示機能を備えたWanzeの国産型であったと推測される。「E-27受信機」の改良(追加資料007参照) 海軍技術研究所電波研究部は電波探知機2型の開発に失敗するが、この間戦局は急速に悪化し早期の対策が必要となった。このため、応急措置として既設E27受信機のフロントエンド部分のみを全帯域一括同調操作式に改良することが決定された。この高周波部はドイツ海軍の初期型電波探知機Metoxを参考に開発されたと考えられ、空中線同調回路及び局部発振回路は同一構造のレッヘル線回路で構成され、ショートバーの可変により80-400MHzを一括して受信するものである。本機の量産は直ちに開始され、大凡2,500台が各艦艇に配備され大戦終了まで使用された。「試製2式空7号無線電信機2型(FTB)」(追加写真008参照) FTBは大戦末期に開発された航空機搭載型の電波探知機で測定は等感度受信方式、開発元は海軍航空技術廠電気部である。本機は高周波増幅段なし、中間周波増幅6段、低周波増幅2段構成のスーパーヘテロダイン方式で、フロントエンドは第一検波が三極管UN-955二極管接続2本による平衡検波、局部発振波はUN-955によるコルピッツ発振の変形、空中線側は非同調である。同調操作にはモータードライブ方式を採用しているが、バンド内自動スキャン機能はなく、動作はスイッチによる手動制御である。 本機の受信周波数は81-660MHzと広域であるが、局部発振周波数はLCの構造から大凡150-200MHzと推測され、また、空中線側には同調回路が装置されていない。このため、FTBは局発の原発振周波数及び高調波により上側・下側ヘテロダインを行い、該当する全ての周波数を同時に受信する方式であったと考えられる。 空中線装置は切替器を介し接続される等感度測定式の指向性ラケット型空中線2基と、無指向性θ型空中線1基により構成されており、指向性のラケット型2基は各々が両主翼の先端に、無指向性のθ型は機体上部に装置されたと考えられる。構成空中線は通常θ型に接続されているが、ラケット型を選択すると左右の空中線が交互に自動切替えを行い、等感度測定が可能となる。このため、探索は無指向性のθ型で行い、レーダー波を受信した後は等感度測定によりホーミングを行う方式であったと考えられる。 FTBの信号受信は受聴式のため、レーダーのCRT表示とは異なり、左右空中線の出力を比較する等感度測定は非常に困難である。このため、従来無線航法で行われていたA/N方式を応用し、受信側でA/N信号を発生させ等感度測定を行う。 なお、FTBの完成は1945年(昭和20年)5月のため、実戦配備は行われなかったものと考えられる。試製2式空7号無線電信機2型緒元用途: レーダー波探知周波数: 81-660MHz構成: スーパーヘテロダイン方式、第一検波(UN-955 x2)、局発(UN-955)、中間周波増幅6段(FM2A05A)、第2検波(FM2A05A二極管接続)、低周波増幅2段(FM2A05A、UZ-41)測定方式:受聴式等感度測定空中線: ラケット型空中線(指向性)2基、θ型空中線(無指向性)1基電源: 直流変圧器(入力12V)完成月日: 昭和20年5月製造台数: 300台写真補足 掲示は試製2式空7号無線電信機2型(FTB)である。受信機前面左側、上部の蓋がヒューズ収容部、下部が音量調整器、左が受話器端子、下側の赤く塗ったコネクターが電源入力端子、右が電源スイッチ。中央部、扉内部は空中線の自動切替及びAN信号発生装置、下が空中線選択スイッチ、右のコネクターが空中線切替信号の出力端子。右側、上部の丸窓が周波数ダイアル、右下が同調手動/自動切替ボタン、その下が手動同調器であるが操作ツマミが欠落している、右端下部が空中線端子である。 下記URLに本項に関連した追加資料を掲示した。http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011oct27.html写真出典: photo courtesy of Mr. Michael Hanz (Smithsonian Institution)(注): 伊号潜水艦訪欧記(光人社NF文庫)