(本資料は2012年5月に掲示を行なったが、まもなくリンク切れとなる。このため記録を残すため再掲示を行なった。) この度、地1号無線機に関わる写真資料を入手した。地1号無線機は第4次制式制定に於いて兵器化された陸軍航空部隊用の遠距離対空通信機材であるが、事務局はこれまでに、本機材を構成する送信機の現存物や写真資料を確認したことがなく、今般漸くその構造を知る事が出来た。 しかし、写真に見る「地1号無線機・送信機」の外観は、国立公文書館が所蔵する「超重無線機甲審査原簿」に収められた本機の初期試作送信機、「110号2型」と非常に類似しており、驚くことにもなった。超重無線機とは第四次制式制定に向け研究審査が行われた陸軍野戦部隊用の遠距離通信機材で、一部が完成し、整備が進められた。 このため、参考資料として、以下に地1号無線機の開発に関わる経緯及びその概要を纏め、また、超重無線機については別途、開発の経緯及び地1号無線機との関係について掲示を行いたいと考えている。 なお、超重無線機の試作送信機、110号2型の写真は追加資料の項に掲示した。航空部隊用無線機材の開発 昭和11年(1936年)、陸軍無線器材の研究審査機関である陸軍通信学校研究部は第3次制式制定を実施した。本制定により陸軍は漸く外国機材の依存より自立し、また、短波・超短波帯の利用により装置は小型化、軽量化され、機能・性能は飛躍的に向上した。 当時、航空部隊用無線装置の研究審査は陸軍通信学校研究部が行っており、本制定により陸軍航空部隊は対空通信機材として遠距離用の「94式対空1号無線機」(通信距離1,000Km)及び、中距離用の「94式対空2号無線機」(500Km)を兵器化した。しかし、対空一号は装置が大がかりで取扱いが複雑なため、航空部隊用としては僅か3機で不整備となり、以後は周波数の選定により、対空2号を遠距離用機材として使用することになった。 また、航空機用としては中距離用の「94式飛2号無線機」(500Km)及び、戦闘機用の「96式飛3号無線機」(10km)を制式化したが、計画された遠距離用機材、飛1号は装置が過大で不採用となった。第4次制式制定 第3次制式制定が完了すると、陸軍通信学校は直ちに次期後継機材について研究に着手した。この頃より航空部隊の増強、拡大は目覚ましいものがあり、その通信距離は飛躍的に拡大し、用途も複雑化していった。このため、昭和12年(1937年)4月、これまで陸軍通信学校研究部が実施していた航空部隊用無線機材の研究審査業務を、陸軍航空技術研究所が直接実施することになった。業務の移管により、当時研究審査中であった航空無線通信機材はそのまま航空研究所に引継がれ、併せ研究要員の一部も移動した。 移管当初に於ける航空技術研究所の研究審査は、それまでに研究が進んでいた機材各種を、進歩が著しい航空機の構造、運用形態に即応させることであった。本作業は概ね昭和13年(1938年)の後半に完了し、続いて飛行機の種類(飛行距離別)に対応する新体系が立案され、昭和14(1939年)年から暫時以下の機材に関わる実質的な審査に着手した。 航空機用無線機材1. 遠距離飛行機用、爆撃機搭載用、通信距離1,000Km2. 中距離飛行機用、中型飛行機に搭載、通信距離500Km3. 近距離飛行機用、戦闘機に搭載、電話主体、通信距離100Km 上記研究審査により、後に制式制定された機材は「99式飛1号無線機」(爆撃機用)、「99式飛2号無線機」(中型機用)、「99式飛3号無線機」(戦闘機用)である。昭和15年以降になり、爆撃機の編隊内通信用電話機材及び編隊中間指揮官機用の2系統通信機材が追加されたが、両機は「99式飛4号無線機」(通信距離50Km)、「99式飛5号無線機」(500km)として兵器化された。地上用無線機材1. 遠距離通信用、遠距離飛行機用と対向し通信距離1,000Km、空中線出力500w2. 中距離通信用、中距離飛行機用と対向して通信距離500km、空中線出力150w3. 近距離通信用、地上用無線機に対向して通信距離100km、空中線出力50w 上記研究審査により制式制定された機材は「地1号無線機」、「地2号無線機」、「地3号無線機」である。昭和15年(1940年)に空輸挺進隊(落下傘降下部隊)が創設された。このため、本部隊用として地3号無線機を改良し、周波数の選択(上限20,000KHz)により最大通信距離1,500kmを目途とする機材の開発が行われ、「地4号無線機」として兵器化された。また、上記以外にも超遠距離通信用や戦闘指揮所用無線機他が若干整備されたが、これらが制式制定機材であったのかは不明である。「地1号無線機」 地1号無線機は陸軍航空部隊の遠距離用対空通信機材で、第三次制式制定の後、航空部隊用としては不整備となった94式対空1号無線機の実質的後継機である。本機の対空通信距離は電信で1,000km以上、送信周波数は2,500-13,350KHz、受信周波数は140-20,000KHz、電波形式は電信(A1)、変調電信(A2)、電話(A3)で、運用形態はブレークイン方式である。本機の運用は、通常装置を送信所と受信所に分け設置し、受信所より遠隔操作機(遠操機)を介して送信機を遠隔運用した。地1号無線機諸元用途: 対空通信通信距離:1,000Km送信装置送信周波数: 2,500-13,350KHz、電波型式: A1、A2,A3送信機: 出力(A1)1kW、(A2・A3)400w、水晶又は主発振UY-511B、緩衝増幅UV-1089B、電力増幅UV-815 x2P.P.(プッシュプル)構成、音声増幅1段Ut-6L7G、音声増幅2段UZ-42、音声制御KY-84、格子変調UV-845電源: 8馬力発動発電機送信空中線: 逆L型又はダブレット型、柱高12m、水平長35m、地線: 地網4枚受信装置受信機: スーパーヘテロダイン方式(AGC機能付)、高周波増幅2段、中間周波増幅2段、低周波増幅2段受信周波数: 140-20,000KHz中間周波数: 65KHz(受信周波数140-1,500KHz)、450KHz(1,500-20,000KHz)帯域濾波器: 450KHz水晶式濾波器電源: 蓄電池及び直流変圧器、交流式電源受信空中線: 逆L型「地1号無線機」各装置概説送信装置 本機は発振・緩衝増幅・電力増幅方式で、発振は五極管UY-511B、緩衝増幅が五極管UV-1089B、電力増幅は四極管UV-815二本によるP.P.構成、送信出力はA1(電信)で1,000Wである。発振はハートレー回路の変形で、水晶片を装備して発振を行うが、取外すと自励式発振器として動作する。発振・緩衝増幅・電力増幅各段の同調コイルは、同調範囲可変用切替器を装備した差替式で、運用周波数帯に応じ変更を行う。電力増幅段は並列同調タンク回路方式で出力側には空中線同調用として、可変式の延長線輪及び可変式蓄電器が装備され、調整により1/4、3/4波長で固定式空中線に同調させる。電鍵回路は緩衝増幅管UV-1089Bの第三格子電圧制御方式で、ブレークイン方式のため、回路は継電器により動作する。 電話・変調電信用の変調回路は7極管Ut-6L7G、五極管UZ-42による音声増幅2段及び、変調用3極管UV-845により構成され、変調方式は電力増幅管の第一格子変調である。本回路はUt-6L7Gの一部と双二極管KY-84で構成される自動音声利得調整機能を具えているが、94式対空2号無線機・送信機とは異なり、音声による送信機制御機能(ボーダース機能)は装備していない。本機の運用は、電信がブレークイン方式、電話はプレストーク方式である。 送信機電源装置 本機の電源装置は発動発電機及び配電盤により構成されている。発動発電装置は単気筒8馬力の2サイクルガソリン機関及び高圧・低圧直流発電機により構成され、発動機の回転数は3,000/rpm、高圧発電機出力は2,200V及び1,100V、低圧発電機出力は800V及び15Vである。配電盤は電源装置の監視・保護装置で構成され、発電装置を制御する。「地1号無線機」受信装置 地1号無線機を構成する受信機は高周波増幅2段、中間周波増幅2段、低周波増幅2段のスーパーヘテロダイン方式で、AGC機能及び唸周波発振器(BFO)を具えている。対応周波数は140-20,2000KHzで、この周波数帯を差替え式線輪9本で受信する。本受信機は安立電気により開発されたが、構造は設計に際し参考とした米国ナショナル社製の受信機HROの影響を強く受けている。 地1号無線機を構成する受信機の機材標記は「地1号無線機・受信機」で、本機には原型及び改良型があると考えられる。また、本機とは別に、構造が殆ど同一の「地1号受信機」と標記される受信機各型がある。しかし、「地1号受信機」は資料や現存機から勘案して、大戦後期に導入された陸軍航空部隊用の汎用受信装置を構成する受信機で、「地1号無線機・受信機」の波及型であると考えられる。このため、分類・管理は「地1号無線機・受信機」とは異なり、標記が「地1号受信機」になったと考えられる。 上記により、「地1号無線機・受信機」各型の概要については追加資料の項に掲示し、「地1号受信機」については別項で、その開発と各機の概要について概観する。 「地1号無線機」の導入時期 第四次制式制定機材の研究審査は昭和13年(1938年)より本格化し、昭和20年(1945年)にまで及ぶため、戦局の悪化による混乱他により、完成各機の導入時期はハッキリしない。このため、地1号無線機についても判然としないが、国立公文書館アジア歴史資料センターの所蔵資料には、陸軍航空本部が昭和17年10月に地1号無線機及び地1号方向探知機を南方軍第三航空軍第二独立飛行隊に支付したとの書類が残っており、これが、事務局が確認した本機材に関わる最も古い記録である。また、これまでに確認出来た「地1号無線機・受信機」、地2号無線機、地3号無線機の製造年月は、何れも昭和18年以降である。 通常最新兵器は試製の段階に於いても真っ先に前線へ送られる。このため、地1号無線機が最初に導入されたのは昭和17年の中ごろで、「地」各型の整備、配備が本格的に進んだのは昭和18年以降ではないかと考えられる。写真補足 掲示は今般入手した写真に含まれていた「地1号無線機・送信機」で、外観構造は超重無線機の試作送信機である110号2型と非常に類似している。装置最上段の計器類は各部の電圧・電流表示計である。装置右側下部が発振部で、開かれた扉内部に発振管UY-511Bが、上部には同調用可変蓄電器が配置されている。上段が緩衝増幅部で、左が同調コイル、右に増幅管UV-1089Bが装備されており、上部に同調用可変蓄電器が配置されている。 装置中央上段が電力増幅管UV-815で、写真では確認出来ないがP.P.構成のため装備は二本である。下段が変調部で、音量調整器、音量表示計他が配置されている。装置左側上段は電力増幅部及び空中線同調回路である。下段には電源投入器、電鍵・送話器端子他が配置されている。 なお、本機の製造は超重無線機の試作送信機110号2型と同じ東京電気株式会社である。 下記URLに本項に関連した追加資料を掲示した。http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2012apr23.html