Net上に「博物電機研究所」なるHPがあり、運営主は電子技術全版に深い知識を持つ小勝負氏である。掲示内容はRC、蒸気機関、電子機器等多岐に渡るが、その殆どは自作、運用に於ける報告記事である。 この「博物電機研究所」に最近、戦前RC飛行機の権威として知られた三島通隆が制作、使用した送受信機の複製が掲示され、RCの歴史や戦前のイグニッション式模型エンジンに強く惹かれる事務局員は誠にたまげた。 戦前、三島通隆の製作したRC機MM-13は模型少年を魅了し、その飛行を見物しようと多くの人々が競技会に集まった。三島通隆は戦前の日本社会にあっては特権階級に属し、小学生の頃は人力車で学習院に通学していたと云う。 事務局員は縁あり、30年ほど前に三島通隆を師と仰ぎ、自身も70年代にRCの操縦者として名を馳せ、後に我が国のRCヘリコプターの礎を築いたカルト産業社長の故沖宏之氏より、三島通隆に関わる写真アルバム、MM-13に搭載したOK TWINの実物及び戦前の国産模型イグニッションエンジン多数を譲り受けた経緯がある。 MM-13は米国の模型飛行機「キャバリエ」を若干改修したもので翼幅は2840mm、全長が1660mmで、エンジン(イグニッション式)は1/2馬力のOK TWIN を装備し、重量は4.6Kgである。このRC機は1941年(昭和16年)に完成し、三島通隆作成のエンジン機では13番目となるため、MM-13と命名された。MM-13構成RC装置 本機体のRC装置は三島通隆が真空管、継電器等の主要部品を米国で入手し、エスケープメントを含め自作した物である。送受信機は米国の模型雑誌「The Model Craftsman」1940年6月号に掲載されたRCヨットの製作記事を参考にしたと考えられ、製作は朝日新聞社の無線技術担当の助言を受け行った。☆受信機 本機は超再生方式で、当初は米国レーセオン社の電池式3極管RK-62(低圧用サイラトロン)一本で構成されていた。超再生検波では無信号時にクエンチングノイズが強力に発生し、受信入力が有るとノイズは抑圧される。本受信機はこの特性を利用したもので、信号の有無で大きく変化するサイラトロンの陽極電流で継電器を動作させた。その後、この単球式受信機にはMT管一本(電池管1S4と推測)が追加され、超再生検波-雑音増幅方式の2球式に改良され、動作の安定が図られた。☆エスケープメント 継電器により制御されるラダー用エスケープメントは当然手作りで、ゴム動力で駆動するカム、電磁石で動作しカムを制御するレバーにより構成されるが、構造は非常に簡単なものである。☆送信機 MM-13の送信機に関わる回路図は残されていないが、「無線と実験」1942年(昭和17年)11月号(第29巻・第11号) には送信機の外観及び内部の写真が掲載されている。この送信機はアタッシュケース型の箱に収められ、1.5mほどのロッド式空中線2本が垂直、水平に取付けられており、陸軍の94式6号無線機の空中線構造を彷彿させる。電源(乾電池及び蓄電池)は木箱に収容され、操縦は電池箱の上に送信機本体を設置して、押ボタンにより行った。 写真より判別出来る送信機はST管型真空管一本(双三極管19と推察)、同調バリコン、コイル、半固定トリマ、電流計及び数本の蓄電器・抵抗器により構成され、発振は自励式である。運用周波数については判然としないが、25-40MHz程度と推察される。復刻送受信装置 今般小勝負氏が復刻、動作確認を行った装置はMM-13が装備した2球式受信機と送信機で、エスケープメントは類似の物を使用した。送信管は双三極管19で、受信機の超再生式検波はRK-62、雑音増幅が1S4である。三島通隆が製作したRC装置は原理原則に従った簡潔なもので、このため、原型の回路構成は判然としないが、複製品は殆ど現物の構造を再現していると考えられる。 制作者である小勝負氏は当館に何度か来館され、面識がある。このため、願わくば、近々にお会いし、復刻RC装置の動作状況を検分させて頂きたいものである。「博物電機研究所」URLhttp://www.gem.hi-ho.ne.jp/no-koshobu/掲示組写真補足 写真@は大韓帝国の李玖殿下に飛行を披露するためMM-13を始動する三島通隆。 写真Aは今般小勝負氏が復刻したMM-13関連RCセット。エスケープメントは自作せず、類似の物を使用した。四角い箱が送信機、前面右が受信機である。 写真Bは送信機の内部で、構成真空管は双三極管19である。回路は自励式のP.P.構成である。 資料Cは復刻した送信機及び受信機の回路構成図である。受信機の回路図は左が当初MM-13に搭載された単球式、右が二球式の改良型である。