先般「ヤフオク!」にて標記の取扱法を入手した。本冊子は各部隊に於ける95式電信機の教育補助資料であるが、9x12.5cmと非常に小さな作りでありながら、詳細な付図が14枚も添付されており、真に驚いた。本取説は当館(横浜旧軍無線通信資料館)には是非とも必要な資料であったが、有線機材は無線機器とは異なり人気が無く、応札者は他におらず、落札価格も出品価格の1,000円で、誠に幸であった。 95式電信機は陸軍が1935年(昭和10年)に導入した軍通信隊用の有線電信機で、22.5Vの低陽極電圧で動作する空間電荷型真空管一本で構成された簡易な低周波発振器である。しかし、真空管の知識が全くない有線通信隊員にとっては、本機は未知の新兵器、新技術であり、その導入に戸惑ったと考えられる。このため、本取扱法は要員にとって、不可欠な学習教材であったと考えられる。 ところで、陸軍の設立以来、有事に際し編成され、派遣軍の作戦用有線通信網を建設し、その運用を担務するのは通信の専従部隊である軍通信隊であった。しかし、通信路の建設作業はその性質上手作業による建柱、架線が中心であり、他兵科のように機械化をする余地は殆ど無かった。このため、昭和の時代になっても、日清・日露の戦い以来と殆ど同一の機材を使い続けたが、この様に制式改変の殆どなかった兵科は他に類がなかった。 作戦時に建設される通信網の基幹は、70m間隔で建柱される長さ約4m、重量約3Kgの電柱の先端に、碍子を介し架線される裸線一条で、この通信路は軽構成線路と呼ばれた。野戦に於ける裸線一条の線路構築は、軍通信隊の最も華々しい活躍の場であったが、95式電信機導入以前は、その両端末に接続される電信機の多くは磁石駆動の印字式電信機であった。このため、満州事変の実戦経験を基に装備の改定が進み、漸く電信機に関しては、無線技術を応用した95式電信機が導入された。 なお、当然の事として、当初95式電信機は「軍事機密」に指定され、装置には其れを表示するプレートが取り付けられていた。しかし、あまりにも装置が簡単な為か、1939年(昭和14年)になり、「軍事機密」は指定解除となった。事務局員はこの通達をアジア歴史センターの資料検索中に見つけたが、さもあらんと、思わず笑ってしまった事を覚えている。95式電信機諸元用途: 軍通信隊電信通信通信路: 単線、片線接地法式通信距離: 線路加圧電圧6Vで200Km(電圧増強により延長可).構成: 低周波発振方式(1,000Hz)、発振UX-111B受聴: 電磁高声器又は受話器電: 低圧1.5V(平角3号乾電池)、高圧22.5V(B-18号乾電池)、線路用6V(C-1号乾電池)95式電信機概要 本機は空間電荷型4極管UX-111B一本で構成される低周波発振器方式の電信機で、通信線路で結ばれた二台が対向して通信を行う。装置は低周波発振回路、対向電信機の空間電荷格子に電鍵操作で電信符号による正電圧を加圧し発振させる電鍵回路及び、加圧用乾電池(6V)により構成されている。 発振回路はUX-111Bの制御格子と陽極回路を結合させる低周波変成器及び蓄電器に依り構成され、対向の電鍵操作により、空間電荷電極に規定の正電圧が加圧されると回路は1,000Hzで発振し、陽極回路に装置された電磁式簡易スピーカより可聴電信音が発せられる。 通信距離は加圧電圧6Vで約200Kmであるが、電圧を増加させることにより通信距離を延長させることが出来、最大通信距離は500Km以上であったと伝えられている。本電信機を構成する発振回路では、構成真空管UX-111Bの空間電荷格子回路に流れる電流は極僅かであり、よって、線路による電圧降下は非常に少ない。しかし、線路の距離が長くなると誘導電圧等による線路障害が発生する事が多く、特段の付加装置無しに通信路を延長し続ける事は困難となる。運用操作 本電信機で通信を行う場合、電源を接として電信機を動作状態としておく必要がある。対向が電鍵操作を行うと自機が発振し、発報を確認出来る。また、非通信状態の場合は回路構成から陽極回路、通信線回路に電流は流れない。しかし、UX-111Bの線條は常に点灯状態にあり、本電信機ではA電池の消耗が大きい。このため、運用に際しては同一通信路により電話連絡を行い、電信回線を開設することもあった。空間電荷型真空管 本管は低い陽極電圧で動作する特殊管である。通常真空管の増幅・発振回路を十分に動作させるには、陰極が放出する電子を陽極に高速に到達させる必要があり、最低50-100V程度の高電圧を陽極に加圧する必要がある。一方、低電圧の場合は陰極より放射された電子は陰極付近に滞留し電子雲(空間電荷)を構成し、陽極への到達効率が低下し、増幅度、発振強度は極端に低下する。 しかし、陰極と制御格子の間に、空間電荷の中和を目的とした正電圧格子を配置する事により、低電圧に於ける動作を改善する事が出来る。この格子はスペースチャージグリッドと呼ばれ、正電位により滞留する負電位の「空間電荷」を中和し、低陽極電圧であっても、効率よく陽極に電子を到達させる。結果、22V程度の低陽極電圧であっても、高増幅度、強発振勢力を得ることが出来る。本構造の真空管は空間電荷型真空管と呼ばれ、陸軍では本機や野戦用無線機材「94式3号甲無線機」を構成した副受信機「53号C型受信機」等に使用された。掲示写真補足 組み写真Cは95式電信機、98式電信用電信濾波器、92式電話機及び98式双信器により構成される通信装置の、対向状況を再現したものである。中央の通信線は92式軽被覆線であり、通常軍通通信隊に於ける実際の野戦通信路は裸線一条である。 構成装置中央左が98式双信器、左端下部が95式電信機、上部が98式電信用電信濾波器、その上に置かれたのが92式電話機である。98式電信用電信濾波器は98式双信器と同様に可搬式の木箱に、92式電話機は皮製のケースに収容される。 なお、98式電信用電信濾波器は遮断周波数25Hzの低域濾波器で、95式電信機を構成する発振管UX-111Bの空間電荷格子回路に装置され、通信路で発生する誘導雑音の除去を行う。また、98式双信器は95式電信機と92式電話機の通信線路共用装置で、併せ対向呼出機能を具えている。