先年「ヤフオク!」にLD-30-Aなる真空管が出品された。構造からBK管と推察したが、当館(横浜旧軍無線通信資料館)の入手とは成らなかった。その後本管について、小林正次著「真空管」にBK・GM振動管の一例「螺旋グリッド電圧電子管」として紹介されている事を知った。 BK振動管の構造は同心円の三極管構造が基本であるが、四極管でも発振が可能との事である。しかし、調べるほどに、何を持ってBK管と規定するのかが判然とせず、誠に困った。このため、これを機にBK管の概要と、疑問について簡単に纏めてみた。BK振動とGM振動 1919年(大正8年)、独逸ドレスデン工科大学の教授Barkhausenと助手のKurzは同心円の電極を持つ三極管に通常とは逆の電位、陽極には負の電圧、格子には正電圧を加圧すると、電子が陰極と陽極間を往復し、高い周波数の振動が誘起されることを発見した。その後この現象は、Barkhausen-Kurz振動(BK振動)と称される事に成った。 BK振動により発生する高周波数は外部回路には関係なく、電極の寸法と加圧電圧により確定される。しかし、外部に同調回路を装置すると、その影響を強く受け、該当の同調周波数を発振し、この振動はGill-Morrell振動(GM振動)と称された。 誠に分かり難い事は、BK振動とGM振動は同一の装置で発生させることが出来、また、BK管の全てはGM管として使用が可能な事である。資料に見るBK振動の応用例☆東北大学の実験 1929年(昭和4年)頃、東北大学の宇田新太郎がBK振動を応用しデシメーター(波長45cm)で通信実験を行い、30kmの通信に成功した。送信機は三極管UF-101二本によるP.P.構成で、受信機は三極管199による他励式超再生検波方式である。 構成管UF-101、199は共に陽極が円筒構造の一般三極管で、各管の陽極構造を利用して、BK振動を誘起させた。(日本アマチュア無線外史-電波実験社)。 しかし、外部共振回路を装備した本実験装置に於ける発振管、検波管の動作は、BK振動の応用では無く、GM振動の応用であったと考えられる。☆東京工業大学の実験 1935年(昭和10年)、東京工業大学の森田清が、日本無線の中島茂との共同研究で、BK管US-80を完成させた。本管の発振波長は55-100cmで、出力は8Wである。森田清はUS-80を使用し、茨城県の筑波山と目黒区大岡山の東京工業大学間で通信実験を行い、80kmの通信に成功した。 しか、発振波長の表記から、この装置は外部に同調回路を具え、GM振動により動作した、とも推察される。☆帝国陸軍に於けるBK管の使用 1943年(昭和18年)、陸軍は輸送船団の水上警戒用として1,900MHzのマイクロ波レーダーである「船舶用電波警戒機乙(タセ2号)」を開発したが、本装置を構成するスーパーへテロダイン式受信機の第一検波管に、BK管「BK-15」が使用された。 我が国のセンチ波レーダーの1号機は海軍技術研究所が昭和17年(1942年)の初頭に開発した水上警戒用「2号電波探信儀2型(22号電探)」である。 この時期、我が国にはセンチ波を効率よく検波できる検波管や検波器は存在していなかった。このため、海軍技術研究所は22号電探の受信機にマグネトロンM-60を検波管とした他励式超再生検波方式を採用したが、本機の調整は非常に難しく、動作も不安定であり、兵器としいは大いに問題があった。 当時陸軍も海軍と同様にセンチ波の検波方式には苦慮していたと考えられるが、受信機には当初よりスーパーヘテロダイン方式を採用し、局部発振管に川西のマグネトロンML-15を、第一検波管に日本無線のBK15を使用した。BK管の定義 上記のごとくBK振動は同心円構造の電極を具えた三極管等で容易に発生するが、外部に同調回路を装置するとGM振動も誘起し、同一の目的に使用が可能である。しかし、本高周波振動を応用するとき、単一周波数のみの発振では実用上不便で、BK管と称される球の殆どは、GM振動管ではないかと推察される。 この場合、BK管の定義は、固有周波数の発振を前提に電極の設計が行われた球のみ、と云う事に成るのであろうか。 なお、陸軍のタセ2号・受信機の第1検波回路を構成したBK-15は、使用目的からして、単一周波数の検波(発振)を目的に設計されたBK管であったと推察している。この場合の検波とは、BK管を発振直前の状態に設定する事により活性化させ、発振を抑え、検波のみを行う方式である。