当館(横浜旧軍無線通信資料館)は比較参考資料として、大戦時に於ける英米独の代表的な無線機材の収集も行っている。参考資料のため対象とする機材は限定的であるが、其れにしても未入手の物は多くある。
その中の一つがドイツ陸軍の野戦用送信機で、特に小生が入手したいのは送信出力5Wの5W.S.(5 Watt Sender)である。この送信機は1930年代の前半に導入された汎用の小出力短波送信機であるが、現存機が少なく、また、独特の外観構造から人気もあり、中々入手が困難である。
併せ、最近の円安により、その対価も大きくなり、当館の予算では対応が難しい状況となりつつある。このため、所蔵する機材との交換により「5W.S.」の入手を図ることを計画し、ドイツ軍無線機材のFB「WWU German Signals and Communications Equipment」に投稿を行った。
今回当館が提供するのはドイツ陸軍の野戦用携帯式無線電話機「Kleinfunksprechr.d(Kl.Fu.Spr.d)」である。本機は1938年頃に導入された歩兵用の携帯式無線電話機で、運用周波数は32-38MHzのVHF帯である。Kl.Fu.Spr.dは「Dorette」の愛称で呼ばれ、欧州の収集家には人気の機材である。
この「Dorette」 は帝国陸軍の94式6号無線機や、米軍のBC-222等に類似した簡易無線電話機であるが、装置は周波数の安定、変調特性、電源の消費に配慮した設計で、また、受信部にレフレックス回路を使用するなどして、非常に小型である。
当館が提示した「Dorette」は無線機本体、電池ケース、送話器、受話器及び空中線で構成された一式で、オリジナルの木箱に収容されている。構成各装置も当然オリジナルであるが、特に電池箱は誠に希少で、所蔵する蒐集家は希である。
小生の提示する「Dorette」が「5W.S.」に釣り合うのかは受け手次第であるが、期待を込め、連絡を待っている。
5W.S.諸元
用途: 野戦用
通信距離:60km(電信)、18km(電話)
送信周波数: 送信950-3,150kHz(4バンド)
電波形式: 電信(A1),電話(A3)
送信機: 出力5W
送信構成:発振2RS241、電力増幅2RS241、格子直接変調
電源装置: 12V回転式直流変圧器、ペダル式発電機
空中線: 単線展開式
Kl.Fu.Spr.d(Dorette)緒元
用途: 歩兵用
通信距離: 2-4km
周波数: 32-38MHz
電波形式: 電話(A3)
送信出力: 0.2W
送信構成: 主発振DDD25(双三極管1/2)、電力増幅RL1P2(五極管)、陽極変調DDD25(1/2)
受信構成: 高周波増幅1段RL1P2、超再生検波DDD25(1/2)、低周波増幅1段(レフレックス/高周波増幅管兼用)、低周波増幅2段(兼変調回路)DDD25(1/2)
電源: 乾電池、高圧150V、低圧1.4V
空中線:垂直型1.65m、4mダブレット(整備品)
運搬: 兵員一名にて携行
先般、ドイツの蒐集家Dieter Beikirch氏より、大戦期に於けるドイツ海軍、空軍の代表的対空監視用レーダー「Freya」の送信機を構成した発振器の写真提供があった。本器の写真は誠に希少で、このため、参考資料として掲示を行うことにした。
当該発振器は直熱式三極管TS41二本(P.P.構成)による自励発振方式で、同調回路はレッヘル線構成である。発振管の陽極電圧は8,000V、格子電圧は-2000Vで、変調管の出力パルスにより格子回路が制御され、尖頭出力20kWで発振する。
Beikirch氏はドイツ空軍の機上用レーダーや電波探知機に関わる大きなコレクションを所蔵し、その中には、先年当館(横浜旧軍無線通信資料館)が入手した誘電体空中線素子を装備する機上用マイクロ波電波探知機、「FuG350」も含まれている。
既に掲示を行ったが、最近当館はドイツ海軍の水上警戒レーダー「Seetakt(ゼータクト)」の送信機を構成した発振器を入手した。このため、資料として細部写真をBeikirch氏に提供したところ、その返礼としてか、氏が最近入手した「Freya」送信部・発振器の写真が送られてきた。
当館が所蔵する「Freya」の資料は米軍のTMが中心で、残存機に関わる物は皆無である。今般Beikirch氏が入手された発振部は完品で程度もすこぶる良く、資料としては誠に貴重である。
対空監視レーダーFreya(フライア)
本機はGEMA社がドイツ海軍の依頼により1937年(昭和12年)に開発した地上設置型の対空早期警戒用レーダーで、標的の方位角及び距離の二諸元を測定した。フライアの本格的導入は1939年(16年)で、当初本機の測定は最大感度方式であったが、その後等感度方式に改良された。
ドイツ空軍は早い時期に敵味方識別装置(IFF)FuG25aを導入したが、このためフライアにもIFF信号の測定機能が追加され、IFF用受信空中線は既設空中線装置の上部に設置された。機上のFug25aはフライアの送信波を受信すると、そのバルスに識別用の変調を行い156MHzで返送した。
IFF機能の追加により、改修型のフライアは電子銃が二重構造のブラウン管(CRT)HR2-100-1.5を使用し、探索、測距、方位等感度測定用の反射パルスをCRTの上部に、IFFの返送パルスをその下に併せ表示した。
フライアの公称探索距離は200kmで、大戦後期になるとその探索範囲の拡大が要望され、遠距離監視型として海軍は仰角測定機能を具えたWasserman(ワッサーマン)を、空軍はMammute(マムート)を導入したが、空中線を除く主装置は既設フライア装置の転用、または、一部機能を追加したものである。
フライアと同時期に艦艇、沿岸警備用として375MHzを使用したゼータクトが開発された。本機は空中線や高周波部を除き、波形表示方式や測距装置の構成はフライアと同一で、初期型の測定は最大感度方式であった。
Freya(等感度測定式)諸元
用途: 対空早期警戒
運用周波数: 125MHz
繰返周波数: 500Hz
パルス幅: 2μs
尖頭出力: 20kW
送信空中線: 半波長ダイポール垂直6列2段、金網式反射器付
受信空中線: 半波長ダイポール垂直3列2段左右二組(等感度測定構成)、金網式反射器付
送信機: 発振管TS41 x2(P.P.構成 )
変調方式: パルス変調管RS391
受信機: Wスーパーヘテロダイン方式、高周波増幅1段、第一中間周波増幅2段、第二中間周波増幅2段、低周波増幅1段
中間周波数: 第一中間周波数15MHz、第二中間周波数7MHz、帯域幅900kHz
測定方法: 等感度方式
信号表示: Aスコープ方式
有効測定距離: 150km
測距精度: ±50m
測角精度: ±0.2°
設置場所: 海抜60m以上
電源: 一次電源380V三相
帝国海軍とFreya
1941年(昭和16年)1月、帝国海軍は英国と熾烈な戦いを交えていたドイツに軍事視察団を派遣したが、団員であった伊藤庸二造兵中佐(当時)他数名は3月23日の夕刻、ロリアン軍港(フランス)近郊でドイツ海軍の陸上設置型レーダーを検分する機会を与えられた。
伊藤中佐が検分したレーダーについては諸説が有るが、当時のドイツ海軍が装備し、外部への開示が許可できる機材は、既にその存在が知られた対空監視用のX装置(フライア)以外にはなく、また、検分時に伊藤中佐が描いたスケッチが明確にそれを示している。
当時帝国陸海軍は英独他各国に駐在する武官等よりの情報を基に、レーダーの研究を始めていたが、肝心な電波形式が判然とせず、本格的開発には程遠い状況であった。しかし、ドイツ海軍の情報開示により、発射電波はパルス変調方式である事が判明し、また、送受信用空中線や送受信機、及び波形表示方式等も明確となり、この情報は電報により直ちに海軍本部に報告された。以降帝国陸海軍のレーダー開発は急速に進捗した。
幸いにも当館(横浜旧軍無線通信資料館)は、大戦後期に帝国海軍技術研究所が開発した対空監視用レーダー「3式1号電波探信儀3型(13号電探)」の主要構成機材を所蔵している。
この13号電探は、20年近く前に静岡県沼津市の山間にある茶農家の倉庫の奥から発見され、近所のアマチュア無線家が入手したものである。発見された13号電探は2セットあり、いずれも未使用の状態であったが、波形指示装置と自動電圧調整器が共に欠落していた。
話によると、この機器の経緯は、1945年(昭和20年)8月15日頃、駿河湾を見渡すその場所に海軍の兵隊がこれらの装置と共に現れ、設営を始めた。まもなく終戦を迎えると、兵隊は装置(13号電探)を残して引き揚げたという。しかし、茶畑の主は兵隊が装置を回収しに来ると思い、これらを倉庫の奥に保管したが、その後50年以上忘れ去られていた。
此れ等を入手したアマチュア無線家は、東海大学工学部に持ち込み、調査の結果、本機は海軍の対空監視用レーダー「3式1号電波探信儀3型」であることが判明した。戦中、沼津海軍工廠は13号電探を製造しており、このため、所蔵者は1台を沼津市明治史料館に寄贈し、他の1台を当館が入手する事となった。
さて、今回の本題はここからである。
先日、帝国陸海軍の電波兵器に関する調査のため、ある研究者が来館された。この方は、当館が所蔵する13号電探の受信機について、錆具合の違いから、本体と上蓋が一致していないと指摘された。
事務局員はその観察眼に驚いたが、事実、当館の受信機は本体と上蓋が別物である。実は、受信機の上蓋は沼津市明治史料館が展示している受信機の上蓋と、入れ替わっている。おそらく、元所蔵者が一台を沼津市明治史料館に寄贈する際、状態の良い上蓋を手元に残したため、両受信機の上蓋が入れ替わったのであろう。
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この件については、以前沼津市明治史料館の学芸員とお話し、交換の了承は得ているものの、実際にはそのままで、今日に至っている。そろそろ交換の時期かも知れない。
13号電探
本機は大戦中期に導入された海軍陸上部隊用の可搬式対空警戒用レーダーである。13号電探は前線への配備を考慮した小型、軽量機材で、設置、取扱が容易の為、陸上使用と併せ、装備の一部を変更し、航空母艦より潜水艦まで、殆ど総ての海軍艦艇にも装備された。このため、13号電探の生産台数は2,000台を越え、海軍で最も成功した対空警戒用レーダーとなった。
13号電探の開発
1941年(昭和16年)12月、海軍技術研究所は開戦を目前にして11号電探の開発に成功したが、本機は重量過多で、設置には多くの労力と時間を要した。このため、前線への運搬、設置を考慮し、トレーラー式の12号電探が導入された。
しかし、戦局が緊張するに従い、一線の戦闘部隊より、更に小型で軽便な電探導入に対する強い要望が寄せられ、1943年(昭和18年)の初頭に運用周波数150MHzを使用した尖頭出力10kWの1号電波探信儀3型(13号電探)が開発された。
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13号電探は従来の機材に比べ遙かに小型で、単相100Vでの運用が可能であった。特に空輸及び人力により運搬を可能とする為、空中線を含む全構成機材は小さく分解でき、機動性には格別の配慮が為されていた。本機は構成真空管の数量を制限した戦時型機材ではあったが、その性能は11号、12号電探を凌駕し、以後対空警戒用電探の整備は13号が中心となった。
13号電探概略(陸上設置型)
本電探は空中線装置、送信機、受信機、波形指示装置及び自動電圧調整器等により構成され、侵入する航空機の、距離、方位角の二諸元を測定した。13号電探は特段の探信室を備えておらず、設置場所は仮設テント、地下壕、防空壕、家屋等臨機応変に選定された。本機の諸元は以下の様なものである。
13号電探緒元
用途: 対空警戒
設置場所: 陸上・艦艇・潜水艦
有効距離: 編隊100km以上、単機50km以上
周波数: 150MHz帯
繰返周波数: 500Hz
パルス幅: 10μs
送信尖頭出力: 10kW
空中線: 半波長ダイポール水平2列4段、反射器付、送受兼用
送信機: 発振管T-311 x2(P.P.)
変調方式: パルス変調、変調管T-307
受信機: スーパーヘテロダイン方式(11球)、高周波2段(UN-954 x2)、混合(UN-954)、局発(UN-955)、中間周波5段(RH-2 x5)、検波(RH-2)、低周波増幅1段(RH-2)
中間周波数: 14.5MHz
帯域幅: ±100kHz
総合利得は120db以上
信号表示: Aスコープ方式
測定方法: 最大感度方式
測距精度:2-3km
測角精度: 10゜
電源: 単相110/220V交流電源式
重量: 110kg
製造: 東芝・安立、1,000台
先般、米国の収集家より、氏が最近入手した「1568型受信機」として知られる正体不明の受信機について、情報提供の依頼があった。幸いにも依頼文には本受信機の写真と共に回路図が添付されており、当館(横浜旧軍無線通信資料館)は漸く「1568型受信機」の細部構成を知る事が出来た。
小生はその昔、米国のフロリダでOrdnance Technical Intelligence Museumを運営していた故William L. Howard(Bill)氏より本受信機に関わる数枚の写真と、米国陸軍通信隊が作成した報告書「CAPTURED ENEMY EQUIPMENT」の提供を受けた事がある。
今般問い合わせを受けた受信機は、構成や各部の傷より、Billより写真提供を受けた機材と同一である事は間違い無く、所蔵者の交代があった事が覗える。
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「CAPTURED ENEMY EQUIPMENT」は本受信機を「Japanese Receiver 1568」として紹介しているが、残念ながら当館が入手した資料はその一部で、内容の全ては把握していない。しかし、構造から用途は特殊工作員用と表記されていたと考えられ、BillのHPでは本受信機をスパイ用と表記していた。
これが事実であれば、1568型の開発元は「陸軍技術本部第9研究所」(元陸軍科学研究所登戸出張所)第一科(電波兵器、気球爆弾、無線機、風船爆弾、細菌兵器、牛疫ウイルスの研究開発)と言う事になるが、残念ながら当館は、それを裏付ける資料を持ち合わせていない。
本件に関わり、当館は先方に手持ちの資料及び推測される製造元、本人が興味を持つ品川電機製電池管の資料を提供した。しかし、これらに特段新しい情報は含まれて居らず、役に立ったかは不明である。
1568型受信機について
本受信機は品川電機製のMT型直熱式五極管B-03(1T4相当)三本で構成されるストレート式受信機で、製造は大戦後期と考えられる。構成は再生(オートダイン)式検波、低周波増幅2段方式で、運用周波数は1.8〜10MHzであり、この周波数帯を各バンド共通の同調コイルを切替え4バンドで受信し、同調機構はバーニア式である。
検波回路の再生誘起方式は可変式蓄電器による陽極回路の帰還量調整方式で、検波管の陽極負荷回路には17Hのチョークが装置されている。また、再生調整補助及び電源スイッチを兼ね、線條回路には電圧調整用のレオスタット(5Ω)が装置されている。
低周波増幅部はB-03による2段構成であるが、段間はCR結合で、出力回路は17Hのチョーク負荷によるハイインピーダンス構成である。また、低周波増幅管にバイアス電圧を加圧する構成とは成っていない。
この度、ドイツ海軍の艦艇用レーダーSEETAKT(ゼータクト)を構成した送信機の発振部を、ドイツの収集家より入手した。
先般、当館(横浜旧軍無線通信資料館)はドイツ空軍の機上用マイクロ波レーダー探知機「FuMB 23」を構成した誘電体空中線素子を入手したが、之に続き、海軍のレーダー関連機材を収集出来た事は、誠に幸いである。
「SEETAKT」
本機はドイツのGEMA社が1938年(昭和13年)頃に開発した海上警戒用レーダーで、運用周波数は368-390MHzである。初期型である「FuMO 22」の送信機はGEMA社製の三極管TS-1二本によるP.P.構成で尖頭出力は1.5kW、測定は最大感度方式であり、方位角や距離の精密測定機能は具えていなかった。
FuMO 22」は大戦初期に大西洋やインド洋における通商破壊作戦で活躍しポケット戦艦、Graf Spee(グラフ・シュペー)に搭載されたが、本艦は1939年(昭和14年)12月13日に英国艦隊との交戦により損傷し、中立国ウルグアイのモンテビデオ港に退避したが、12月17日に港外で自沈した。
SEETAKTの送信機は導入間もなくして同社の三極管TS-6二本のP.P.構成に改修され、尖頭出力は8kWに増大し、以降本レーダーには各種の改良が施された。
米国海軍のアーカイブスには、大戦後米国が接収した重巡洋艦Prinz Eugen(プリンツ・オイゲン)に装備されたSEETAKT「FuMO 26」の写真が残されている。
これらの写真より判断して、本機の構成はGEMA社が開発した地上設置の対空監視レーダー「FREYA」(フライヤ)と運用周波数、空中線装置、送信出力を除き、殆ど変わるところが無く、等感度測定方式による精密方位角測定機能及び精密測距機能を具えている。
入手発振部
今般入手の発振部はSEETAKTの初期型で、構成は三極管TS-1、TS-1aの二本によるP.P.構成の自励発振器であり、尖頭出力は1.5kWと考えられる。本発振部は筐体への差込式で、装置はステアタイト板二枚と銀メッキを施した合金製の部品により構成されている。
発振管TS-1及びTS-1aを装置した二枚のステアタイト板は、四隅の金属棒を介し背面が対向した構造で設置されている。その中間にレッヘル線式の陽極及び格子同調回路が配置され、出力側コイルは筐体側に装置される構成である。
構成管TS-1及びTS-1aは同等管ではあるが、TS-1aはTS-1に対向させると、電極が鏡面対象配置となる構造である。
各発振管は線條回路に半固定式蓄電器を装備した同調回路(トラップ回路)を具えているが、同調コイルはU形状の合金板で、タイト板に作った薄い溝に填め込んだ構造である。
以上の如く、本発振器は構成管も含め、その設計は誠に合理的で、また、製造も見事で、GEMA社の技術の高さを示している。
SEETAKT(FuMO 26)普及型諸元
用途: 水上警戒
搭載艦: 戦艦、巡洋艦
周波数: 368-390MHz
繰返周波数: 500Hz
パルス幅: 2-3μs
尖頭出力: 8kW
送信空中線: 半波長ダイボール12列2段(水平配列)
送信機: 発振管TS-6 x2(P.P.構成 )
変調方式: パルス変調
受信空中線: 半波長ダイボール12列2段(水平配列)
受信機: ダブルスーパーヘテロダイン方式
中間周波数: 15/7MHz
測定方法: 等感度度方式
信号表示: Aスコープ方式
測定距離: 20-25Km
測距精度: ±50m
測角精度: ±0.5°
一次電源: 艦内交流電源
先般、地1号無線機を構成した受信機を入手した。この受信機は形状や構造から、当館が所蔵する「地1号無線機・受信機」(初期型)よりその製造時期は古い。このため、本機は「地1号無線機」を構成した受信機の、原型ではないかと考えられる。
入手受信機の程度は良好で、電源入力端子を除き、原状を維持している。しかし、前面パネルや収容ケースは戦後の整備作業により、濃い灰色に塗り替えられている。塗色より、おそらく本機は戦後、NHKで中継用受信機として使用されていたと推察される。
地1号無線機
本無線装置は第四次制式制定作業(1939年より漸次実施)で兵器化された陸軍航空部隊の遠距離用通信機材で、第3次制式作業(1934年)で兵器化され、その後航空部隊用としては不整備となった94式対空1号無線機の実質的後継機であり、対空通信距離は電信で1,000km以上である。
地1号無線機を構成する受信機は高周波増幅2段、中間周波増幅2段、低周波増幅2段のスーパーヘテロダイン方式で、開発元は安立電気である。安立電気は本受信機の開発に際し、米国ナショナル社製のHRO型受信機を参考にした。このため、構造はHROに類似するが、フロントエンドの配置、同調機構や各部の造りは大きく異なっており、似て非なる受信機として完成した。
地1号無線機原型諸元
用途: 対空、対地通信
通信距離: 1,000km以上
「送信装置」
運用周波数: 2,500-13,350kHz、
電波型式: 電信(A1)、変調電信(A2),電話(A3)
送信出力: 電信1kW、変調波400W
構成: 水晶又は主発振UY-511B、緩衝増幅UV-1089B、電力増幅UV-815 x2P.P.(プッシュプル)構成、音声増幅1段Ut-6L7G、音声増幅2段UZ-42、音声増幅制御KY-84、格子変調UV-845
電源装置: 8馬力発動発電機
空中線装置: 逆L型又はダブレット型、柱高12m、水平長35m、地線は地網4枚
「受信装置」
運用周波数: 140-13,350kHz
構成: スーパーヘテロダイン方式、高周波増幅2段、中間周波増幅2段、低周波増幅2段、帯域濾波器・AVC機能付
空中線装置: 逆L型
「地1号無線機・受信機」(初期型)装置概要
本機は高周波増幅2段、中間周波増幅2段、低周波増幅2段のスーパーヘテロダイン方式で、140-13,350kHzの周波数帯を差替え式線輪8本で受信する。電源は外部設置式である。
空中線入力回路は単線式で、強電界による飽和を避けるため、可変式減衰抵抗器を具えている。フロントエンドは五極管UZ-78による高周波増幅回路2段、五極管UZ-77による周波数混合回路(第一検波)及びUZ-77による局部発振回路により構成されている。
第一検波は陽極検波方式で、また、局部発振はハートレー発振回路の変形であり、出力を周波数混合管の第3格子に注入している。各段の同調回路は4連式可変蓄電器により構成され、金属製同調機構に直接結合された構成である。高周波増幅段、第1検波段には同調手動補正用として、小容量の可変式蓄電器が付加されている。
同調ダイアル機構は金属製のウオームギヤで構成され、同調ノブで100度目盛りのドラムを回転させ、周波数は差替式コイルに添付された周波数置換表により読み取る。同調ノブは小型のエボナイト製でフライホイール効果は無く、また、副尺を具えていない。エボナイト製ノブの採用は同調蓄電器が直接金属製ダイアル機構に接続されているため、ボディイフェクトを防ぐ意匠と考えられる。
中間周波増幅回路はUZ-78による2段増幅方式で、中間周波数は受信周波数140-1,500kHzが60kHz(1号IFT)、1,500-13,350kHzが400kHz(2号IFT)で、中間周波数の変更はプラグイン式IFTユニットを受信機の上部から差替えて行う。本受信機の手動利得調整は、中間周波増幅管のカソード電圧可変方式である。
中間周波増幅2段出力側と検波回路の間には400kHzの水晶片1個で構成されるブリッジ平衡式の帯域濾波器が装置され、可変式蓄電器により帯域幅を250〜8,000Hz程度可変する事が出来る。しかし、この濾波器機能は2号IFT使用時にのみ動作する。
第二検波は双二極・五極複合管Ut-6B7の二極部で行う整流検波方式である。電信復調用BFO回路はUZ-77によるハートレー発振回路で、出力をUt-6B7の二極部に注入している。BFOコイルはIFTと同様に60kHz及び400kHz用の二種で構成され、中間周波数の変更に合わせ差替えを行う。低周波増幅部はUt-6B7の五極部及びUZ-77による2段増幅構成で、出力インピーダンスは2KΩである。
本受信機はAVC機能を備えており、検波回路で発生させたAVC電圧を高周波増幅1段、2段、中間周波増幅1段、2段を構成する各管の第一格子に加圧している。AV機能の接・段は電信・電話切替器により行い、電話モードの場合にのみ動作する。
本受信機の手動利得調整は中間周波増幅管の陰極電圧を可変方式のみであり、AVC動作時に低周波出力信号が過大となる場合は、空中線入力回路の可変式減衰抵抗器により入力信号強度を低減させる。
先般、RCプロポの研究家である廣瀬玄一氏より、火花式送信機(B電波)とコヒーラ式受信機で構成されるRCセット「PALCON YK-1」を、等価交換にて入手させて頂いた。
本装置は日東化学教材株式会社が1963年(昭和38年)頃に販売したと考えられるが、その主用途は、左右のキャタピラを個別のモーターで駆動するプラモデルのプルドーザーや戦車である。
「PALCON YK-1」は真空管が発明される以前の技術を応用した無線操縦装置で、その動作原理は増田屋斉藤貿易が1955年(昭和30年)に発売した「ラジコンバス」と同一である。
帝国海軍は1903年(明治36年)に火花式送信機及びコヒーラ式受信機で構成された「36式無線電信機」を開発し、本機は日露戦役に於いて、日本海海戦の勝利に大きく貢献した。
このため、当館(横浜旧軍無線通信資料館)は資料として、火花式送信機やコヒーラの収集を進め、その一環として「ラジコンバス」も所蔵している。しかし、小生は最近まで「PALCON YK-1」の存在を知らず、net上で其れを発見した際は驚愕した。
この種のRCセットが販売されていた事は、誠の驚きではあるが、構造からして、動作は必ずしも安定せず、購入者は調整や操縦に苦労したと考えられる。販売台数も僅かであったと推察されるが、実際に使用された方の話しを聞いてみたいものである。
「PALCON YK-1」装置概要
本RCセットは火花式送信機、コヒーラ検波器式受信機により構成されている。受信機には円盤構造の出力制御器(セレクター)が装置され、エスケープメナト等の外部制御装置を使用すること無く、走行駆動用のモーター1個、又は2個を制御する。取扱説明書によると、本機の操縦可能距離は15m程であるが、入手機材は経年によりコヒーラが劣化し、可動範囲は数十cmであった。
☆送信機
本機は高圧発生用トランスの一次巻線に直流6V(単2四本)を加圧し、これをブザーにより断続し、二次側巻線に高圧を発生させるバイブレター式誘導コイル構造である。出力側には放電によりB電波を発生させるスパークギャップが装置され、放電間隔からして、発生電圧は500-800V程度である。送信機側面のボタンを押すとブザーが起動し、パルス性のB電波が発射されるが、ケースは密封され、「ラジコンバス」の送信機とは異なり、放電状態を確認する事は出来ない。
☆受信機
本機はコヒーラ検波器、電池、継電器より成るB電波検出用ループ回路、及び走行用モーターを制御する制御器(セレクター)により構成されている。肝心のコヒーラはガラス管に金属粉を封印した構造で、スタンドの上部に、片側のみを固定した状態で装置されている。
★B電波検出用ループ回路
コヒーラの金属粉表面を覆う皮膜が、B電波のパルスで破壊され導通すると、ループ回路に電流が流れ、継電器が動作する。この継電器はダイナミックスピーカーのボイスコイルと同一構造で、永久磁石の中に可動コイルが装置され、回路に電流が流れると上方に飛び出し、上部のスイッチを動作させる。このスイッチは、セレクターの駆動モーター制御用である。
コヒーラは一度導通するとその状態を維持するため、これでは次の動作を制御する事が出来ない。このため、コヒーラに物理的ショックを与え、導通を解除する必要がある。この解除装置はデコヒーラと呼ばれ、本機では車輌の走行用モーターを制御するセレクターと一体構造に成っている。コヒーラが導通し、継電器の動作によりセレクター駆動用のモーターが回転すると、ギャ機構を介しハンマー構造のデコヒーラが、一定時間後にコヒーラの管を叩く構造である。この動作によりコヒーラの導通は解除され、ループ回路は断と成り、セレクターは停止する。
◎コヒーラ補足
本器の動作については諸説があるが、一般的には以下の様に説明されている。
「内包された金属粉は自然又は人工的に形成され、高い電気抵抗を持つ薄い酸化膜、水酸化膜等の金属化合物膜に覆われている。しかし、高周波が加圧されると接触部分に電圧が集中し、結果被膜が破壊され、下地の金属同士が接合して導通と状態となる。」
★セレクター
本装置は円盤構造の回転式スイッチで、シーケンシャル構成により、5段階でスイッチ回路に接続された各走行用モーターを制御する。
◎動作補足
コヒーラが導通すると、継電器の動作によりセレクター駆動用のモーターが動作し、スイッチ盤が回転する。スイッチ盤のスイッチ回路は5分割された構造で、送信機のボタン操作1回で、1段ずつ進み、切替回路に従い、接続された走行用モーターを動作させる。
制御する走行モーターは1個又は2個で、2個の動作はブルドーザーや戦車等の、各キャタピラにモーターを夫々1個を装備した場合である。制御は5段階で、動作例は以下である。
例・モーター1個
送信機のボタン操作各1回により、@前進、A前進、B停止、C後進(モーター逆回転)、D停止。方向転換機能無し。
例・モーター2個
@前進(両キャタピラ駆動用モーター2個動作)、A右折(右側モーター停止)、B左折(左側モーター停止)、C後進(両モーター逆転)、D停止。
先般、SHF発振管であるBK管、LD-30-Aについて概観を行った。BK管はBarkhausen・Kur振動管として有名であるが、通信機や電波兵器に於ける使用例が少ない不思議な球である。
SHFの発振管としてはマグネトロンが有名で、先の大戦でマイクロ波レーダーの発振管として使用され、大きな発展を遂げたが、本管と同様に磁場を利用したSHF発振管には「大阪管」がある。
大阪管は大阪帝国大学理学部教授の岡部金治郎により1935年に開発されたが、本管は外部同調回路と一体で動作し、また、発振原理はBK管に相似している。大阪管は分割型マグネトロンのB型振動に比べ能率が悪く出力も劣るが、発振周波数を可変出来、変調が容易な事等の特徴がある。
帝国海軍はマイクロ波レーダーの局部発振管として本管の利用を研究したが、兵器用としては電圧調整が複雑との理由で、使用を見送った経緯がある。この大阪管もBK管と同様に、有名な割には殆ど実用された記録が無い。
大阪管と発振動作
掲示資料-1は大阪管を使用した発振回路の一例で、出典は「特殊熱電子管」(著岡部金治郎)である。真空管の電極構成はBが一次電子反射鏡、Fは一次電子放射線條(陰極)、P1、P2が振動陽極、P”は反射電極で、Hは磁場の方向を示し、Lは同調回路である。
本管の陽極P1、P2には直流正電圧が、反射電極P”にはほぼ零の電圧が加圧されている。陰極Fより出た電子は軸方向に加えられた磁界により陽極間を通過し反射電極に向かうが、その電位が零に近いため追い返され、結果電子の反復運動(振動)が発生し、振動のエネルギーがP1、P2に接続された同調回路より出力される。また、反復運動を行う電子の殆どは、やがてP1、P2に吸収される。
この電子の運動はBK管と同一で、発振周波数は通常振動陽極に接続される同調回路によって定まるが、これはBK管に於けるGM振動に相似している。
大阪管に付加する磁場は磁界により電子流を収束させ、振動陽極に電子が直接取り込まれるのを防ぎ、発振効率を高めるためである。電子の進行方向を強力な磁場により曲げ、周回運動を発生させ、発振を誘起させるマグネトロンとは使用目的が異なっている。
大阪管の構造
掲示資料-2は当館(横浜旧軍無線通信資料館)が所蔵する大阪管の内部である。本管の構造は資料-1の発振回路を構成する大阪管に相似しており、構成電極はステム上部に横向きに配列されている。
電極の配置は左端より、一次電子反射鏡(B)、一次電子放射線條(F)、振動陽極(P1)、振動陽極(P2)、反射電極(P”)で、P1、P2電極は凹型構造となっており、磁界により収束した運動電子は中央を通過する。また、出力リードに接続された振動電極P1、P2はステムより伸びるガラス管により固定されている。
岡部金治郎補足
1922年に東北帝国大学電気工学科を卒業し同校の講師となり、1925年に助教授となる。アメリカ人のA. W. Hullが発明した低周波増幅用の単陽極マグネトロンを学生と実験中、磁界と陽極電流の測定値が理論値とずれていることに気づき、これより発振現象を発見した。
1927年にマグネトロンの陽極円筒を縦に分割すると効率良く発振(A型振動)が起こり、併せ第二の振動(B型)が発生することを発見し、多分割陽極による高出力マグネトロンの開発に道を開いた。
1935年に東北帝国大学の恩師八木秀次教授が大阪帝国大学(阪大)に理学部を創設すると、要請され、名古屋高等工業学校教授より阪大理学部助教授に就任した。その後教授となり、長年にわたり教育と研究に携わり、マイクロ波の分野に多大な功績を残した。
大阪管は阪大に移った後の1935年に考案したが、本管を「大阪管」と命名したのは恩師八木秀次教授であったと伝えられている。
先般米国の収集家より、帝国海軍の「2式磁気探知機4型」なる機材の資料を入手した。本機は海軍技術研究所音響研究部が1943年(昭和18年)に開発した陸戦隊用の磁気探知機で、鉄製兵器を携行する敵兵士の接近を検出するが、装置の構成は潜水艦探知機材である「2式磁気探知機1型・2型」に類似している。
ところで、米軍資料の「2式磁気探知機4型」であるが、帝国海軍の資料によると、該当探知機は「仮称3式磁気探知機4型」と標記されている。本機の導入は昭和18年で、3式の標記は妥当であり、このため、当稿では「仮称3式磁気探知機4型」に統一した。
米軍資料について
本資料は米国の鹵獲兵器調査機関であるEnemy Equipment Intelligence Service(E.E.I.S.)がビルマで英軍が鹵獲した「仮称3式磁気探知機4型」を、調査、評価した報告書である。しかし、英軍が入手したのは電源と探知ループ接続函等で、検知を行う主装置は無く、記述内容も推測の域を出ない物であった。
当館(横浜旧軍無線通信資料館)は港湾、海峡を敵潜水艦より防備する「2式磁気探知機1型・2型」に関わる若干の構成機材を所蔵しており、本機は編纂作業の対象とした。一方、一切の資料を所蔵しない「仮称3式磁気探知機4型」については、その対象外としていた。
しかし、今般提供を受けたE.E.I.S.の資料には鹵獲機材の一部写真が含まれており、このため、急遽編纂作業の対象とする事にした。
先ず「2式磁気探知機1型・2型」を概観
2式磁気探知機1型・2型は沿岸、湾口防備用の対潜水艦哨戒兵器で、海底に敷設した感知コイルの上を艦艇が通過すると、その磁気を検知して警報する。
装置は磁気を感知する2個の感応コイル、2組の感応コイルを均衡させる補償抵抗器、誘起電圧を検出する磁気検知器(鋭感検電器)、微弱検出電流を増幅する光電管式信号増幅器、検出信号を記録する記録器、及び信号を判別し警報を発する警報表示器(選択機)等により構成されている。
1型と2型の動作原理は同一であるが、1型は磁気の検知に2個の官能コイルを使用し、2型は2個の官能ループコイルを使用する。実際に配備された2式磁気探知機の殆どは2型である。
海底に敷設された検知コイルの出力は、キャブタイヤにより引き込まれ、警備衛所に設置された監視装置に接続された。監視員は信号選択表示器の警報や波形記録器の出力、併設される水中聴音機の反応、目視による海上監視結果等を総合的に判断し、検知物が潜水艦であるのかを判定した。
なお、2式磁気探知機1型・2型の磁気検知は探知コイルに発生する誘起電圧を反照式高感度検流計(ガルバノメーター)により行い、この反射鏡に強い光源を投射して、反射光の僅かな変化を光電管で検知し、増幅を行う方式である。
自動平衡ブリッジ式磁気検知器(記録器)の開発
2式磁気探知機 1型・2型は内外の要地に配備されたが、鋭感ガルバノメーターを使用した磁気検知装置は細密、繊細で用兵の運用には適さず、之に変わる頑丈な磁気検知装置の導入が強く要望された。
この時期、呉海軍工廠電気実験部では艦船装備の磁気探知用として増幅器及び記録電流計を研究、実験中であったが、大倉電気研究所が考案した自動平衡ブリッジに着目し、同研究所にこれを利用した微弱電圧記録装置の開発を依頼した。しかし、納付された本器は電気実験部が開発した検知器に比べ特段の優位点は無く、また、動作が不安定で採用には至らなかった。
その後、海軍技術研究所音響研究部は、この自動平衡ブリッジの原理を活用すれば、2式磁気探知機(1型・2型)の微弱電圧検知装置を開発出来ると考え、以降大倉電気研究所との連携を深めた。
1943年(昭和18年)1月、音響研究部仕様の検知器が完成し、本器の性能は期待以上で、これを2式磁気探知機1型・2型用として使用すべく実用研究が進められた。
この装置は磁気探知コイルで検出した微弱磁気電圧を自動平衡ブリッジ回路を構成する基本電圧(乾電池)と比較し、差分の誘起電圧を交流信号に変換して増幅の後、可逆電動機(サーボモーター)の制御巻線に加圧する。
増幅器の出力電圧によりサーボモーターは回転し、ブリッジ回路を構成する平衡用の滑可変抵抗器を駆動するが、ブリッジ回路が平衡し出力が0Vになると停止する。この抵抗器にはペンが装置されており、出力される波形により磁気を検知すること事が出来る。
「仮称3式式磁気探知機4型」の開発
一方、この時期ソロモン諸島、ガダルカナル島方面での陸上戦闘は困難を極めており、武器を携行する兵員を暗夜や密林中で発見できる装置への強い要望があった。音響兵器部に於ける実験の結果、2式磁気探知機2型を使用して、小銃1挺を携行する兵士が約300mのループコイル上を通過すると、これを検知できる事が確認された。
このため、先に開発した自動平衡ブリッジ式記録器に所要の改造を加え、これを検知装置とした陸戦用の磁気探知機が直ちに試作される事に成った。
本機の磁気検知用コイルは2式磁気探知機2型とほぼ同一のループ構成であるが、検知部は大倉電気研究所の増幅式自動平衡ブリッジ及び横河電機のペンレコーダーを参考に開発された。この時代に在っては、増幅式自動平衡ブリッジを使用した記録装置は最先端技術であった。
開発された対歩兵用磁気探知機は1943年3月下旬から4月上旬にかけ館山海軍砲術学校で3回の動作実験が行われ、その性能は極めて良好である事が確認された。この試作機は「仮称3式磁気探知機4型」として兵器化され、1,000組の製造が確定した。
なお、「仮称3式磁気探知機4型」の詳細については現在調査中である。また、自動平衡ブリッジ構成の微弱電圧検知装置が2式磁気探知機1型・2型に使用されたのかは不明である。
先年「ヤフオク!」にLD-30-Aなる真空管が出品された。構造からBK管と推察したが、当館(横浜旧軍無線通信資料館)の入手とは成らなかった。その後本管について、小林正次著「真空管」にBK・GM振動管の一例「螺旋グリッド電圧電子管」として紹介されている事を知った。
BK振動管の構造は同心円の三極管構造が基本であるが、四極管でも発振が可能との事である。しかし、調べるほどに、何を持ってBK管と規定するのかが判然とせず、誠に困った。このため、これを機にBK管の概要と、疑問について簡単に纏めてみた。
BK振動とGM振動
1919年(大正8年)、独逸ドレスデン工科大学の教授Barkhausenと助手のKurzは同心円の電極を持つ三極管に通常とは逆の電位、陽極には負の電圧、格子には正電圧を加圧すると、電子が陰極と陽極間を往復し、高い周波数の振動が誘起されることを発見した。その後この現象は、Barkhausen-Kurz振動(BK振動)と称される事に成った。
BK振動により発生する高周波数は外部回路には関係なく、電極の寸法と加圧電圧により確定される。しかし、外部に同調回路を装置すると、その影響を強く受け、該当の同調周波数を発振し、この振動はGill-Morrell振動(GM振動)と称された。
誠に分かり難い事は、BK振動とGM振動は同一の装置で発生させることが出来、また、BK管の全てはGM管として使用が可能な事である。
資料に見るBK振動の応用例
☆東北大学の実験
1929年(昭和4年)頃、東北大学の宇田新太郎がBK振動を応用しデシメーター(波長45cm)で通信実験を行い、30kmの通信に成功した。送信機は三極管UF-101二本によるP.P.構成で、受信機は三極管199による他励式超再生検波方式である。
構成管UF-101、199は共に陽極が円筒構造の一般三極管で、各管の陽極構造を利用して、BK振動を誘起させた。(日本アマチュア無線外史-電波実験社)。
しかし、外部共振回路を装備した本実験装置に於ける発振管、検波管の動作は、BK振動の応用では無く、GM振動の応用であったと考えられる。
☆東京工業大学の実験
1935年(昭和10年)、東京工業大学の森田清が、日本無線の中島茂との共同研究で、BK管US-80を完成させた。本管の発振波長は55-100cmで、出力は8Wである。森田清はUS-80を使用し、茨城県の筑波山と目黒区大岡山の東京工業大学間で通信実験を行い、80kmの通信に成功した。
しか、発振波長の表記から、この装置は外部に同調回路を具え、GM振動により動作した、とも推察される。
☆帝国陸軍に於けるBK管の使用
1943年(昭和18年)、陸軍は輸送船団の水上警戒用として1,900MHzのマイクロ波レーダーである「船舶用電波警戒機乙(タセ2号)」を開発したが、本装置を構成するスーパーへテロダイン式受信機の第一検波管に、BK管「BK-15」が使用された。
我が国のセンチ波レーダーの1号機は海軍技術研究所が昭和17年(1942年)の初頭に開発した水上警戒用「2号電波探信儀2型(22号電探)」である。
この時期、我が国にはセンチ波を効率よく検波できる検波管や検波器は存在していなかった。このため、海軍技術研究所は22号電探の受信機にマグネトロンM-60を検波管とした他励式超再生検波方式を採用したが、本機の調整は非常に難しく、動作も不安定であり、兵器としいは大いに問題があった。
当時陸軍も海軍と同様にセンチ波の検波方式には苦慮していたと考えられるが、受信機には当初よりスーパーヘテロダイン方式を採用し、局部発振管に川西のマグネトロンML-15を、第一検波管に日本無線のBK15を使用した。
BK管の定義
上記のごとくBK振動は同心円構造の電極を具えた三極管等で容易に発生するが、外部に同調回路を装置するとGM振動も誘起し、同一の目的に使用が可能である。しかし、本高周波振動を応用するとき、単一周波数のみの発振では実用上不便で、BK管と称される球の殆どは、GM振動管ではないかと推察される。
この場合、BK管の定義は、固有周波数の発振を前提に電極の設計が行われた球のみ、と云う事に成るのであろうか。
なお、陸軍のタセ2号・受信機の第1検波回路を構成したBK-15は、使用目的からして、単一周波数の検波(発振)を目的に設計されたBK管であったと推察している。この場合の検波とは、BK管を発振直前の状態に設定する事により活性化させ、発振を抑え、検波のみを行う方式である。
今般、以前より何度か当掲示板で紹介した「謎の小型無線装置」を構成する受信機RKS-253を「ヤフオク!」にて入手した。
この小型受信機は同一サイズの小型送信機SMT-1及び交流式電源により無線装置を構成するが、その用途は不明である。本無線装置は「U.S. Clandestine Radio Equipment」でスパイ用無線機として紹介され、米国ではその分類での扱いとなっている。
小型送信機SMT-1と受信機RKS-253は1950年代の中頃に放出された余剰品で、米軍ジャンクを扱う山七商店やトヨムラによりアマチュア無線用として販売された。
本来送信機は電信専用で、構成は水晶発振が三極管6J5、電力増幅がビーム管6L6であった。しかし、一部の送信機は6J5を双三極管6SN7に変更し、1/2で水晶発振を、1/2で変調回路を構成する構造に改造され、6L6の第2格子変調方式のAM送信機として販売された。
さて、肝心の入手受信機であるが、程度はすこぶる良好であったが、構成真空管が未装備であった。受信周波数は3-7MHzと標記されているが、実際の対応周波数は2-8MHz程度である。
受信機本体に特段の欠品は無く、真空管を装着し、線條電圧1.5V、高圧電圧90Vを加圧すると軽快に動作した。しかし、BFO回路が不動作の様であった。
本来この受信機は送信機と同様に電信専用で、BFO回路は常時動作する構成である。調べるとBFOの発振周波数が大きく変更され、受信時にBFOが掛からないように設定されていた。
この受信機が販売された1950年代はAM変調が全盛の時代であり、購買者はBFOを不動作の状態に設定し、使用したと考えられる。
BFOコイルの調整で機能は回復し、7MHz帯のSSBが復調できるようになった。しかし、バーニャダイアルの外、微同調機構は具えていないため、その同調操作は至難である。
ところで、「謎の小型無線装置」を構成するRKS-253やSMT-1には何度か出会い、先般入手した未充足のSMT-1と併せ、当館(横浜旧軍無線通信資料館)は本装置の送信機及び受信機を所蔵する事になった。しかし、不思議な事に、今までに一度として本無線装置を構成する交流式電源を見かけた事が無い。
1950年代の中頃、RKS-253とSMT-1は余剰品として大量に放出されたが、多分この折、電源装置は別ルートにより処分され、解体されたものと推察される。
謎の小型無線装置補足
本装置は小型送信機SMT-1、受信機RKS-253及び交流式電源により構成されている。送信機、受信機は小型のハンドル付鉄製ケースに収められ、容積は共に210x135x165mmと非常に小型である。
構造から元来は軍仕様と考えられ、内部にはMFP塗装が施されている。使用部品や製造方法から、日本製で有る事に間違いはないが、添付の回路図に書かれた添え書きは英語である。
送信機SMT-1は水晶発振(三極管6J5)、電力増幅(ビーム管6L6)方式の電信専用機で、運用周波数が3〜7MHz(A型)、7〜15MHz(B型)の二機種が製造された。
受信機RKS-235はMT型電池管を使用したスーパーヘテロダイン方式で、構成は高周波増幅1段、中間周波増幅1段、低周波増幅2段、BF0機能付である。運用周波数は送信周波数に対応していたと考えられ、こちらも3〜7MHz(A型)、7〜15MH(B型)の二機種が製造された。
送受信機は交流式電源で運用するが、入力一次電源は交流100〜200Vで、高圧、低圧の整流はセレン構成である。
今般、幸いにも帝国海軍の機上用哨戒レーダー「H-6改3」を構成する受信機を入手した。H-6は海軍航空技術廠(空技廠)が開発した索敵用電波探信儀(電探)の1号機で、本機は海軍航空部隊唯一の実用機上電探(レーダー)として、大戦終了まで使用された。
当館(横浜旧軍無線通信資料館)は之までに「3式空6号無線電信機4型(H-6)改2」を構成した受信機を所蔵していたが、これは未充足品であった。今般入手の受信機は大戦末期に製造された改3ではあるが、欠品のない良品で、状態から明らかに未使用である。
当館はH-6改3レーダーの指示器を所蔵しており、送信機は未所蔵であるが、今般の入手により本レーダーの主要構成2装置を所蔵する事となり、誠に幸いである。
H-6の開発
1941年(昭和16年)の末、空技廠電気部は航空機用レーダーの開発を基礎的研究から始めた。当初は小型軽量化のため波長1m(300MHz)の機材が計画されたが、適当な送信管が無く、波長2m(150MHz)での開発が決定された。
この電探は主に大型機に搭載して、索敵、哨戒及び航法に利用すべく計画され、送信尖頭出力も5kWと、同時期に海軍技術研究所で開発された地上設置型対空警戒用レーダー「1号電波探信儀1型」に匹敵する機材で、探索距離は150kmが予定された。
1942年(昭和17年)の春に試作機が完成し、直ちに97式飛行艇に搭載し実験が開始されたが、高度3,000m以上では湿気及び気圧の低下で送信管の陽極加圧用10,000Vの高圧電源部にコロナ放電が発生した。このため、当座は使用に当たり高度制限を設け、併せ問題解決への対策が図られる事に成った。
同年12月に基礎実験が終了すると、直ちに1式陸上攻撃機、97式及び2式飛行艇等の大型機への配備が始まったが、電源の故障、真空管UN-954・955、FM-2A05Aの不良が続出した。電源回路の故障は整流管に起因する物でありセレン整流方式に改良することで小康を得た。
しかし、真空管不良の問題は解決されず、補給が滞るため、予備真空管を多く持つ部隊の他はH-6の稼働は押し並べて不良であった。遠隔の基地ではH-6の講習に出張してきた講習指導員が持参した真空管で漸く整備がなされるような状況もあり、エーコン管及びFM-2A05Aに関わる問題は終戦まで大きく改善される事はなかった。
3式空6号無線電信機4型(改1)緒元
用 途: 哨戒索敵
有効距離: 艦船100km、航空機70km
周波数:150MHz帯
繰返周波数: 1,000Hz
パルス幅: 3-5μs
送信尖頭出力: 5kW
空中線装置(送受兼用): 4素子八木(前方)、半波長ダイポール水平二列二段(両側面)
送信機: 発振管U-233二本( P.P.)
変調方式: パルス変調、変調管FZ-064A 二本(並列)
受信機: スーパーヘテロダイン方式(11球)、高周波2段(UN-954)、混合(UN-954)、局部発振(UN-955)、中間周波5段(FM-2A05A)、検波(FM-2A05A)、信号増幅(FM-2A05A)
中間周波数: 10MHz
総合利得: 約120db
測定方法: 最大感度方式
波形表示: Aスコープ方式
電源: 直流回転式変圧器(入力12V)、直流回転式交流発電機
総重量: 110kg
製造: 日本無線、川西
先般、東芝が開発した双五極管UL-6306が「ヤフオク!」に出品され、友人の収集家が落札した。応札者は一人で、落札価格は3300円であった。
UL-6306は陸軍の対空射撃管制レーダーの受信機に使用された希少管で、一昔前であれば、その数倍で落札されたと考えられ、小生は誠にたまげた。時は過ぎ、昨今はそんな時代であろうか。
UL-6306補足
本管は東芝が1941年(昭和16年)頃に開発した高周波数帯用の双5極管で、自社の高gm五極管RH-8(8000μ℧)を2個封入した構造である。複合管構成にしたのはリードインダクタンスの低減と考えられ、用途は主にVHF受信機のフロントエンド部に於けるP.P.構成であろう。
UL-6306はRH-8とは異なりベースはボタンステム構造で、ピン配置はロックイン管構成である。また、Cpgを低く抑えるため、グリッドは管頂部に配置されている。ヒータは並列、直列のピン選択式で、6.3V、12.6V何れでの使用が可能である。
陸軍射撃管制レーダーの開発
1942年(昭和17年)4月18日、米空母ホーネットより発艦したB-25爆撃機群が帝都上空に侵入し爆撃を敢行した。この空襲で侵入機を捕捉することが出来なかった陸軍は強い衝撃を受け、電波警戒機(対空監視レーダー)及び電波標定機(射撃管制レーダー)の開発が督励される事になった。
この時期、陸軍はパルス式電波警戒機の1号機である「超短波警戒機乙要地用」(タチ6号)を銚子に於いて試験中であったが、対空射撃を管制する電波標定機の具体的研究は手つかずの状況であった。
これより先、昭和17年2月15日にシンガポールが陥落すると陸軍は技術調査団を直ちに派遣し、英軍の軍事技術全般に関わる現地調査を実施したが、この折、探照灯管制用レーダーであるS.L.C.(Search Light Control) や、対空射撃管制用のG.L.(Gun Lying) MarkU等の技術資料を入手した。
同年7月、陸軍の射撃指揮具に関わる研究部門であり、電波標定機の早期開発を目指していた技術本部第二研究所はS.L.C.を基に電波標定機の開発を行うことを決定し、超短波装置の研究に実績のあった日本電気と東京芝浦電気に試作機の製造を依頼した。開発に際し、日本電気製が1型、東芝製を2型とし、各機の構造はいずれもS.L.C.に精密測距機能を付加したものであった。
技術本部の指示を受け、両社の標定機開発作業は直ちに開始され、同年10月には1型、2型の試作機各1基が完成し、千葉市の飯岡射場で実用試験が始められた。その後1型は電波標定機1型(タチ1号)、2型は電波標定機2型(タチ2号)として兵器化され、直ちに高角砲台への配備が進められた。
電波標定機とUL-6306
日本電気のタチ1号、東芝のタチ2号は共に英軍の探照灯管制レーダーS.L.C.を参考に開発されたため、その構成、性能は相似し、運用周波数は200MHzで、等感度方式により標的の方位・高角・距離の3緒元を測定した。
日本電気が開発したタチ1号の受信機は高周波増幅二段、中間周波増幅6段、低周波増幅1段のスーパーヘテロダイン方式で、高周波増幅管、第一周波数混合管にはエーコン型五極管UN-954が使用された。
一方、東芝が開発した受信機は高周波増幅段無し、第一周波数混合、中間周波増幅5段、低周波増幅2段構成で、周波数混合管には自社が開発した双五極管UL-6306をP.P.構成で使用した。
タチ1号、タチ2号は共に陸軍が開発した対空射撃管制用レーダーの1号機であり、その性能は十分ではなかった。このため、後継機の開発は早く、間もなくして日本電気は英軍のG.L.を模倣し、タチ1号とは構成が全く異なリ、運用周波数も78MHzと低い、タチ3号を開発した。
また、東芝はタチ2号を改修し、構造がより英軍のS.L.Cに近いタチ4号を開発した。本機では受信機に高周波増幅部が付加され、第一周波数混合段と共に、UL-6306がP.P.構成で使用された。
ウルツブルグとタチ31号(引き続きUL-6306を使用)
ウルツブルグは独逸テレフンケン社が空軍向けに開発した対空射撃管制レーダーの傑作機で、運用周波数は580MHzである。戦中、帝国陸海軍は共同で本機の最新型である「FuMG-62D(ウルツブルグD型)」の国内導入を図り、ドイツより入手した図面、機材を基に日本無線が中心となり国産化が進められた。
このウルツブルグの国内導入に尽力したのが、1940年(昭和15年)末に出発した山下奉文中将を団長とするドイツ軍事科学技術視察団に帯同した、陸軍科学技術研究所の佐竹金次中佐(当時)であった。しかし、ウルツブルグの国内導入は、実機、資料を積載した潜水艦がシンガポールで機雷により沈没するなどして、その計画は当初の予定より大幅に遅れた。
このため、1943年(昭和18年)9月に帰朝し多摩陸軍技術研究所(多摩研)の第3科長に就いた佐竹大佐は、既設の電波標定機タチ4号にウルツブルグD型の機能を移転し、短期間で開発が可能な高性能射撃管制レーダー「和式ウルツブルグ」を企画した。
ウルツブルグの国産化と並行し、本機の開発は直ちに始められ、1944年(昭和19年)の秋に運用周波数が200MHzの試作機が完成し、タチ31号(電波標定機改4型)として兵器化された。短期間で開発されたタチ31号ではあったが、その性能は陸軍の既設対空射撃管制レーダーに比べ優秀で、本機は実戦配備が行われた陸軍最後の電波標定機となった。
タチ31号はタチ4号を改修し開発されたが、受信機はダブルスーパーヘテロダイン方式に変更された。しかし、その第一検波には引き続きUL-6306が使用され、このため、本管は軍の要求性能を満たし、信頼に値する動作をしたと考えられる。
なお、対空射撃管制レーダーの本命であったウルツブルグD型は、準備段階で終戦となり、実戦配備に至る事は無かった。