-(274 KB)先般、当掲示板No.7079に於いて、大戦中に帝国海軍が開発した電波探知機(逆探)各種を概観し、文中英空軍(RAF)が開発したPPI式マイクロ波レーダーについて言及しました。この折、参考資料として本機材を構成した送信用マグネトロンCV-64、局部発振用クライストロンCV-67他の写真を掲載しましたが、この度、幸いにも当該真空管の実物を入手する事が出来ました。
CV-64は英国が世界に先駆け開発した金属密封型の強制空冷式マグネトロンの普及型であり、またCV-67は同時期に合わせ開発された空洞共振器内蔵式反射型クライストロンで、これらは国内外の初期型レーダーに関わる資料を蒐集する当館にとり、誠に重要な収蔵物となりました。
写真補足
中央が金属密封式マグネトロンCV-64で尖頭出力は40Kw、上部二本の角がヒーター端子(陰極)、下部の角が出力端子である。
右側が空洞共振器内蔵式反射型クライストロンCV-67で、周囲の金属製構造物が空洞共振器、突起した棒は周波数可変ツマミ、接続端子が発振出力端子である。本管は鉱石検波器CV101と共にスーパーヘテロダイン式受信機のフロントエンドを構成した。
CV-64の左は送信パルス波が受信機に侵入するのを防ぐ送受信切替管(TR管)で型式はCV-43、本管はkeep alive構造である。付属金物の穴は給電線の接続端子で、入出力用の同軸管を接続する。なお、CV-43の動作については本稿末尾にて概観した。
レーダー用大出力マグネトロンの開発
マグネトロンは磁力により電極内に電子の旋回振動を発生させ、この発振エネルギーを従来の負荷回路によらず、直接誘導電極により取り出す発振管で、本管の原型は1921年に米国人のA.W. Hullにより発明された。当初の発振周波数は数百KHz程度と低かったが、その後各国での研究が進み、特に我が国に於いて、1927年に東北大学の岡部金治郎助教授(当時)が陽極2分割構造のマグネトロンにより波長12cm(2,500MHz)のマイクロ波を安定して発振させることに成功し、陽極多分割型マグネトロン開発への道を開いた。
英国では1940年2月、バーミンガム大学のJ.T. RandallとH. A. Bootが陽極6分割により波長9.8cm(3,060MHz)で、連続出力が400wの空洞共振型マグネトロンの開発に成功した。当初本管は水冷式であったがその後空冷式に改良され、早くも6月にはGE社により実用型となる陽極8分割の金属封印型マグネトロンの生産が開始された。高出力マグネトロン開発の成功を受け、英国政府は予てより進めていたマイクロ波帯レーダーの研究を督励し、艦艇搭載海上探索用、航法・爆撃用(H2S)、夜間戦闘機接敵用(AI)、航空機搭載海上探索用(ASV)等の各種PPI表示式レーダーの開発を次々に行い、以後の戦略・戦局に大きな影響を与えることになった。
ASV Mk.V諸元
周波数: 3,300MHz(波長9.1cm)
繰返周波数: 750Hz
パルス幅: 0.75μs
空中線: 60°スキャナ式パラボラ型
給電線: 同軸管及び同軸
送信機: 送信管CV-64(マグネトロン)、陽極電圧7,000V
尖頭出力: 40Kw
受信機: スーパーヘテロダイン方式、第一周波数変換鉱石検波(CV101)、局部発振CV-67(反射型クライストロン)、中間周波増幅6段
中間周波数: 13.5MHz
PPI式画像表示範囲: 前方60°
高度測定: Aスコープ方式
方位測定精度: 3°
探知距離: 160km
電源: 交流電源方式(80V)
帝国海軍に於けるマグネトロンの開発と応用
1930年頃、海軍技術研究所はパルス波を使って電離層の定常的観測を始めていたが、付近を飛行する航空機による電波の錯乱現象に注目し、飛行機測的の可能性について論議を行った。この目的のためには使用周波数は極超短波帯が適当であるとし、1933年以降研究は発振管としてのマグネトロン開発の方向に進んでいった。1936年頃、大阪大学の岡部金治郎教授が学術振興会議に於いて、自らが開発したマグネトロンを利用した航空機検知装置の研究提案を行ったが不採択となり、レーダー研究の端緒とはならなかった。
海軍技術研究所におけるマグネトロンの研究は日本無線の中島茂技師の協力も得てその後進展し、1939年には波長10cm(3,000MHz)で連続出力500wの当時としては世界最高レベルの水冷式マグネトロンM−3の開発に成功した。しかし、当時は防衛兵器に属するレーダーの開発は海軍首脳部の理解を得られず、結局本管は味方識別装置や誘導ビーコン装置に利用する程度に止まった。
海軍がM-3の普及型であるM-312を利用して、水上警戒用マイクロ波レーダーの開発に着手するのは1941年の後半になってからで、電波兵器に対する認識の違いにより、我が国に於けるマイクロ波レーダーの開発は英国に大きく遅れをとることになってしまった。
なお、日本無線の中島茂技師は当時CV-64とほぼ同型の金属封印型の水冷式マグネトロンの開発に努めたが、金属管を構成する無酸素銅の良質なものが得られず失敗に終わった、と自伝「創意無限」の中で述べている。
入手真空管諸元
マグネトロンCV-64
構造: 陽極8分割空洞共振型マグネトロン
線條電圧: 6V
線條電圧: 1.25A
発振周波数: 3,300MHz
尖頭陽極電圧: 13,000V
尖頭陽極電流: 10A
磁 界: 1,350G
尖頭出力: 40Kw
冷 却: 強制空冷
クライストロンCV-67 (局部発振管)
構造: 空洞共振器内蔵式反射型クライストロン
線條電圧: 4V
線條電圧: 1.6A
発振周波数: 3,226-3,370MHz
陽極電圧: 1,000-1,500V
発振出力: 100mw
CV-43(TR管)について
TR管(送受信切替用放電管)は受信機の入力側に装置され、間欠して発振出力される送信パルスにより放電を誘起させ、受信機入力側を終端し、強力な高周波エネルギーが受信機に流入するのを防ぐと共に、送信パルス間を利用して空中線よりの受信信号を受信機に入力する。
CV-43はkeep alive方式の放電管で、加圧により常時微弱な放電電流を管内に流し、放電間隙に少量のイオンを供給する構造であり、本式により、送信パルスが加圧されると放電が急速に立上がり、受信機側に高周波エネルギーが侵入することを確実に防ぐことが出来る。
帝国海軍は大戦末期になると、空中線が送受信兼用の22号水上警戒用電探の開発に成功する。写真資料によると、受信機の入力側導波管に装置されたTR管にはコードが接続されており、このため、本管は従来の電波探信儀に使用された1号放電管構造とは異なり、Keep Alive方式の放電管であったと考えられる。先般掲示の霜田光一論文「戦時中の米軍レーダーの調査」の中でも触れられているが、海軍はこの技術を鹵獲資料により入手しており、技術研究所はこれらを基に本式のTR管を開発したものと推測される。
新年あけましておめでとうございます。
本年が皆様にとり幸多き年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
2012年 元旦
横浜旧軍無線通信資料館
土居 隆
-(230 KB)この度、宇都宮市在住の安井嘉津子殿より、御主人故安井信夫殿( JA2TV)がご所蔵された陸軍「特殊受信機甲・短波受信機」をご寄贈頂きました。
「特殊受信機甲」は軍通信隊の傍受用受信機ですが、「特殊無線器材」のため生産台数が少なく、今日では現存機を殆ど確認することが出来ない貴重品です。当該受信機はアマチュア無線用に改造されていましたが資料価値は非常に高く、以後、調査・研究・展示等広義に使用させて頂きます。
安井嘉津子殿のご高配に、心より感謝申し上げます。
特殊受信機について
敵方の通信を傍受し、情報を得ることは作戦上極めて重要であり、帝国陸軍では短波帯が普及し始めた昭和初期よりその業務を開始した。当初傍受は後方の固定局で行われ、受信機は民生品を流用していたが、大陸での戦線が拡大し軍司令部の移動が活発化すると、前線での使用が可能な野戦仕様の移動式受信機が必要となった。このため、第三次制式制定機材と併せ専用の「特殊受信機」が開発され、昭和13年(1938年)に「94式3号型特殊受信機」(装置)として兵器化された。本特殊受信装置は長波用受信機1台、短波用受信機1台及び空中線材料により構成され、受信周波数は長波用が12-2,000KHz、短波用が2,000-20,000KHzである。
なお、通信傍受目的の受信機は特殊機材のため、陸軍に於ける本機の分類は方向探知用受信機等と同類の「特殊無線器材」である。
「94式3号型特殊受信機・8号D型受信機」(短波用)諸元
用途: 通信傍受
運用周波数:2,000-20,000KHz(6バンド)
電波形式: A1・A3(電信・電話)
受信方式: スーパーヘテロダイン、高周波増幅1段・中間周波増幅2段・オートダイン検波・低周波増幅2段
構成真空管: UF-134 x3・UZ-135・UF-109A x2・UY-133A
中間周波数: 470KHz
帯域濾波器: 470KHz水晶式濾波器
電源: 135V・67.5V・1.5V・-3V・-4.5V
空中線: 逆L型、20m
「特殊受信機甲」
第三次制式制定の後、陸軍通信学校研究部は昭和13年度(1938年)より第四次制式制定に向け後継機材の本格的な研究を始めるが、昭和15年(1940年)以降になると電波兵器の開発が優先され、野戦用機材に関わる研究の殆どが頓挫した。しかし、特殊無線器材では地1号方向探知機等と併せ、94式3号特殊受信機の後継機である「特殊受信機甲」が開発され、若干数(約150台)が整備された。
「殊受信機甲」(装置)は94式3号型特殊受信装置と同様に長波用受信機1台、短波用受信機1台及び空中線材料により構成され、運用周波数は長波用が30-2,000KHz、短波用が1,500-20,000KHzである。
機材概要
特殊受信機甲(短波用)は陸軍野戦用受信機の最高級機である。本機は1,500-20,000KHzを8バンドに分け受信するが、1,500-8,500KHzはシングルスーパーヘテロダイン、8,500-20,000KHzはダブルスーパーヘテロダイン方式で、装備真空管は万能五極電池管UY-11A十本である。シングルスーパーの構成は高周波増幅1段・第一周波数変換・第一局部発振・中間周波増幅3段(450KHz)・検波・低周波増幅2段で、使用真空管は9本である。ダブルスーパーの場合は回路切替えにより、高周波増幅1段・第一周波数変換・第一局部発振・第一中間周波増幅1段(2,000KHz)・第二周波数変換・第二局部発振・第二中間周波増幅1段(450KHz)・検波・低周波増幅2段の10球構成となる。
本受信機のフロントエンドは3連バリコン及びターレット切替式の同調コイル群により構成され、シングル・ダブルスーパー方式の切替えはターレットの回転に連動したロータリースイッチにより行う。8,500KHz(バンド5)以上では第一周波数変換出力が2,000KHzとなり、第一中間周波増幅部の1段・2段部は回路切替えにより中間周波数が450KHzより2,000KHzに変更され、1段部はダブルスーパー第一中間周波増幅1段として、2段部は第二周波数変換回路として動作し、第二局部発振回路より混合用周波数2,450KHzが注入される。
検波は陸軍野戦用受信機に共通したオートダイン検波方式であり、このため本機はAGC機能を具えていない。検波出力は変圧器結合方式の低周波増幅回路で2段増幅され、受話器に出力される。
本受信機の同調用ダイアル機構は米国ナショナル社のPWダイアルに類似しており、100度目盛の主ダイアル及び、ギャで連動し上部の窓に表示される10度目盛の副表示器により構成され、主ダイアル1回転が副表示器の1度に相当する。ダイアルノブは鉄製の重量物で、フライホイル効果により主ダイアルの回転は滑らかである。通常本機の主ダイアルノブは厚手のゴムで被覆されているが、御寄贈受信機では経年劣化による溶解が進んでいたため、残念ながら全てを剥離した。
「特殊受信機甲・短波受信機」諸元
用途: 通信傍受
運用周波数:1,500-20,000KHz(8バンド)
電波形式: A1・A3(電信・電話)
受信方式
1,500-8,500KHz: シングルスーパーヘテロダイン方式、高周波増幅1段・中間周波増幅3段(450KHz)・オートダイン検波・低周波増幅2段
8,500-20,000KHz: ダブルスーパーヘテロダイン方式、高周波増幅1段・第一中間周波増幅1段(2,000KHz)・第二中間周波増幅1段(450KHz)・オートダイン検波・低周波増幅2段
帯域濾波器: 450KHz水晶式濾波器
構成真空管: 万能5極電池管UY-11A x10
電源: 90V・1.5V・-6V
空中線: 逆L型、20m
写真補足
装置左側、上部左が電源電圧測定用の電圧計部、本機では電流計に変更されている。下段が電圧切替スイッチ部(スイッチ欠損)。下部左が受話器端子、右が電源スイッチ。メーターの右が選択度調整器及び音色(電信)調整器。下部左がヘテロダイン(オートダイン)調整器、右か芯線電圧調整器。下段が音量調整器。
受信機中央が主同調ダイアル及び副表示器、ダイアルノブはゴムで被覆されていたが溶解が激しいため全てを剥離した。下部左が検波段同調補正器、右が高周波増幅段同調補正器。主同調装置上部の金属ツマミは筐体への固定ネジ。
装置右側がターレット式バンドコイル収容部で、上部が運用バンド表示窓、下部が切替器。右端上部が空中線端子、下部が地線端子。
-(285 KB)この度、海軍陸戦隊用のトランク式簡易無線電信機「TM式軽便中無線電信機」を入手しました。TM式軽便無線電信機は東京無線電機株式会社により開発製造された移動式の簡易通信機材で、短波帯用の「TM式軽便無線電信機」及び、中波帯用の「TM式中軽便無線電信機」の二機種あります。本電信機の導入は昭和4-5年と推測されますが、以後数度の改修が行われ、大戦終了まで陸上部隊・艦艇(停泊時)・見張所等、海軍の各部所で広義に使用されました。
TM式軽便無線電信機は収容トランクが木製のため、今日では経年劣化が激しく、原状を保っている物は僅かですが、幸いにも今般入手した機材の程度は良好でした。しかし、残念ながら銘板及び装置左側の展開索用のハンドルが欠損していました。また、UXソケットの一つが米国製に変更されていましたが、本品は純正品に交換し原状を回復しました。
なお、この度入手の「TM式軽便中無線電信機」は末期型で製造は東京無線電機株式会社、本機は従来のTM式軽便無線電信機とは異なり、発振回路が水晶制御方式(兼自励発振)となっています。
機材概要
「TM式軽便中無線電信機」は兵1名により運搬が可能なトランク型の簡易無線電信機で、トランク二個に電信機・電源・空中線材料等の必要装置一式が収容され、運用周波数は2,500-5,000KHzである。本機には原型及び改良型の数種類があるが、各機の回路構成に大きな相違は無い。原型は同調・再生調整用ダイアルが目盛板構造であるが、後期型はバーニアダイヤル式となり、また、末期型は発振に水晶発振子を使用出来るように改良された。
TM式軽便無線電信機は電源及び装備真空管を変更することにより、移動・固定の二形態で運用を行うことが出来る。移動運用の場合は電源に蓄電池(6V)・乾電池(135V)を使用し、真空管はUX-201A等の直熱式三極管(線條電圧5V)を装備する。固定局運用の場合は交流電源(整流UX-201A二極管接続2本、後期型はKX-80一本)を使用し、この場合は付属の特製UX-UY変換器を介し、UY-27等の傍熱式三極管(線條電圧2.5V)を使用する。
TM式軽便は三極管2本により構成され、スイッチの切替により、送信時は自励発振機(一部機材水晶制御式)として、受信時は検波、低周波増幅一段のオートダイン式受信機(0-V-1)として動作する。本機の発振用、受信用同調コイルは同一ボビンに巻かれているが、各同調回路は独立しており、このため、送信周波数と受信周波数を完全に一致させることは困難である。
送信時の発振は三極管2本の並列構成によるハートレー発振方式であるが、水晶片を装置すると固定周波数発振回路に切替わる。本機は中波帯機材のため空中線側にタップ切替式の空中線延長線輪が装備され、空中線長を補足する事が出来る。また、給電状態を監視するため空中線電流計が地線側に装置されている。電鍵操作は陽極電圧の接・断により行うが、自励発振の場合、本式には発振周波数が変動し、受信側で再生電信音が変化(チャピル)する構造的欠陥がある。
受信回路は0-V-1構成のオートダイン検波方式で、再生は可変蓄電器による帰還調整方式である。検波回路と低周波増幅回路の結合は利得を考慮し1:3の低周波変圧器により行っているが、出力側は変圧器を使用せず、高インピーダンスの受話器を負荷抵抗として陽極回路に挿入する方式である。
運用操作
本電信機の開設は、まず、空中線と地線を運用周波数に対応する指定の長さに展開する。次に電源を供給し、直熱管使用時は線條電圧調整器によりメーターの指示電圧が5Vとなるように調整する。続いてテーブル(前蓋)に備付けの周波数表により送信・受信同調ダイアルを運用周波数に合わせる。送信調整は送受信転換器を「送」とし、電鍵を閉じ空中線電流計の振れが最大となるように展開空中線を伸縮調整する。受信は転換器を「受」とし、再生調整器により良好なオートダイン状態を得るように調整し、対向の電波を受信する。
写真補足
電信機正面中央パネル上部、左よりメーター切替器、線條(ヒータ)電圧・翼板(陽極)電流監用電流・電圧計、中央が送信・受信転換器、右上が発振用水晶片収容部、隣が空中線電流監視用の高周波電流計、右端が空中線延長線輪切替器(差込式)及び空中線・地線端子。下部、左より受話器端子、ヒータ電圧調整器、電鍵端子、再生調整器、受信同調器、発振同調器。前面左端がリール式空中線展開索収容部、右端がリール式空中線収容部。前蓋兼テーブルには送信・受信周波数表及び電鍵が取付けられている。
「TM式軽便中無線電信機」諸元(中波用)
用途: 近距離通信用
通信距離: 5-10km
周波数2,500-5,000KHz
電波形式: A1(電信)
送信出力: 2-3W
使用真空管: UY-27/56 x2又はUX-201A/12A x2
送信: 水晶又は自励発振UY-27 x2並列使用
受信: オートダイン方式、検波UY-27、低周波増幅UY-27
電源: 100V交流電源又は蓄電池(6V)及び乾電池(135V)
空中線: ロングワイヤー式(装置内蔵)
TM式無線電信機について
「TM」とは当該無線電信機を開発した東京無線電機株式会社を表す略称記号である。海軍のTM式無線電信機は移動式のTM式短波移動無線電信機と、今般入手の可搬式TM式軽便無線電信機に大別される。「TM式短移動無線電信機」は海軍陸戦隊用の主要通信機材で送信出力が150W、運用周波数は3,750-18,000KHz(改-1は1,750-18,000KHz)、電源には2馬力(ガソリン機関)1KW発電機(出力AC100/200V)を使用し、受信機は電池管による1-V-2のオートダイン方式(改-1は2-V-2)である。本電信機は陸戦隊用機材ではあるが、送信機は92式特受信機と組合わせ、各出先司令部や海岸局等、海軍の各部門で使用された。
東京無線電機株式会社は大正11年(1922)10月に船舶無線機器の製造、装備を主とした東京無線電信電話製作所と、軍用無線機の製造、修理を行っていた帝国無線電信製作所が合併し設立された。新会社は当初固定、移動、携帯、船舶用等の各種無線機器及び部品を製造し、主に逓信省、船舶会社への納入を行っていたが、次第に販路を陸・海軍省、鉄道省、放送協会等へ広げていった。満州事変が勃発すると軍用無線機の需要が増加し、特に昭和12年(1923)に日中戦争が始まると受注は激増し、この事態に対応するため増資により会社の規模を拡大した。軍用通信機の需要が拡大すると、これまでに培った技術により移動・携帯用小型無線機器の開発、製造に特色を発揮するようになった。特に陸軍用としては航空機用無線機材である飛各型無線機、海軍用としてはTM式移動無線電信機、TM式軽便無線機等の小型無線機器の製造に特化し、この分野に於ける主要生産会社となった。
-(284 KB)先般掲示板No.6853「3式空1号無線電話機の補足資料」に於いて、海軍航空無線機材に関わる「水晶片の記号表記」について概観しましたが、受信機用水晶片についての説明に不十分な箇所がありましたので、全文を以下に差し替えます。
3式空1号無線電話機補足、水晶片の記号表記
海軍の航空機材用水晶片には送信機発振用と、受信機局部発振用(固定周波数受信用)の二種類がある。通信用航空機材の運用周波数帯域は300-20,000KHzであるが、通常、使用する水晶片の原発振周波数は300-5,000KHzである。このため、5,000-10,000KHzの周波数帯で運用する場合は原発振周波数を2逓倍し、10,000-20,000KHzでは4逓倍して所要の周波数を得ている。
各水晶片には周波数が表記されているが、これは運用周波数であり、必ずしも原発振周波数を示してはいない。受信局部発振用水晶片の場合、表示周波数は受信周波数であり、実際の局部発振周波数はこれに該当機材の中間周波数を加えた値であり、各中間周波数はA・B・C・Dの発振記号で示される。このため、記号が示す中間周波数が不明な場合は、原発振周波数を表示記号から算出することは出来ない。
なお、航空機用無線機材は通常送受信に同一周波数を使用するため、送信機、受信機に使用する水晶片の表示周波数は同一となる。
送信用水晶片表記
送信用水晶片には運用周波数(送信周波数)表示と併せ、○印しの中に逓倍数を示す1(原発振周波数)、1/2・1/4・1/8等の表記があり、これより原発振周波数を知ることが出来る。つまり、表示周波数が8,000KHzで逓倍表記が1/2の水晶片の場合、原発振周波数は4,000KHzであり、本水晶片は原発振を2逓倍して運用する送信機に使用される。3式空1号無線電話機は運用周波数が5,000-10,000KHzであるため、送信用水晶片には1/2表記のものを使用する。
なお、通常原発振周波数の上限は5,000KHzであるが、中には例外として7,000KHz台で逓倍数が1と表記された送信用水晶片もある。
受信用水晶片表記
本型の水晶片はスーパーヘテロダイン式受信機に於いて、固定周波数受信用として、局部発振回路に使用されるが、表記される周波数は運用周波数(受信周波数)である。受信機の局部発振周波数は受信周波数に対し、中間周波数分だけ高い周波数設定となっており、このため、実際の発振周波数は受信周波数に中間周波数を加えたものである。
受信用水晶片には運用周波数と併せ受信機用を示す「受」と、○印の中に中間周波数を示すA・B・C・Dの各記号及び、逓倍数が組み合わされ表記されている。「A」は中間周波数が450KHz、「B」は500KHz、「C」は635KHz、「D」は2,4000KHzである。
掲示写真にある「受・5,290K.C.(KHz)・C/2」と表記された水晶片の場合、5,290KHzは受信周波数であり、局発周波数は5,290KHzに中間周波数の635KHz(C)を加えた5,925KHzで、原発振周波数はこれの1/2、つまり2,962.5KHzである。このため、3式空1号無線電話機の場合は運用周波数が5,000-10,000KHzで、中間周波数が635KHzであるため、受信用水晶片にはC/2と表記されたものを使用する。
なお、Dと表記される受信機用水晶片はVHF帯機材である98式空4号及び、3式空1号隊内無線電話機で使用される。これらは原発振周波数を8逓倍して所要の周波数を得るため、使用水晶片の記号表記はD/8である。
写真補足
左端が長波帯送信用水晶片で運用表示周波数は321K.C.(KHz)、逓倍表記が「1」のため、原発振周波数が送信周波数である。
中央左は運用周波数が5,290KHzの送信用水晶片で、逓倍表記が1/2のため、原発振周波数は2,645KHzである。本水晶片を装備する送信機は原発振周波数を2逓倍して使用する。右側は受信機用水晶片で、表示周波数と記号の関係については既に述べた。
右端は最近入手した中間周波数表記が「A」(450KHz)の受信機用水晶片である。残念ながら現在のところ該当機材については不明であるが、受信周波数から単座戦闘機用の96式空1号無線電話機の可能性を考えている。
-(188 KB)先般、当館のHPに東京大学名誉教授である霜田光一先生よりご寄稿頂いた論文2稿を掲載した。この内「電波探知機・電波探信儀用鉱石検波器の研究」は大戦後期に先生が開発されたマイクロ波用鉱石検波器について纏められたもので、本鉱石により帝国海軍はマイクロ波帯用電波探知機の開発に成功し、また、不振を極めていた22号系水上警戒用レーダー・受信機のスーパーヘテロダイン化に成功した。
ところで、大戦中帝国海軍は各種の電波探知機(逆探)を兵器化したが、これらの幾つかは技術先進国であった同盟国ドイツより入手した機材や情報を基に開発されたと考えられる。また、ドイツに於ける各種電波探知機の開発は、英国のレーダー開発と不可分な関係にある。このため、霜田論文の掲載を機に、帝国海軍が開発した主要電波探知機について、英国やドイツに於ける電波兵器開発の経緯と併せ纏めてみた。
英国に於けるASVレーダーの開発
1934年、ヒットラーを国家元首とする領土拡張的な軍事国家がドイツに誕生し、英国政府はその将来を危惧することになった。第一次大戦に於いて英国はドイツ空軍にロンドンを爆撃され、また、潜水艦に補給路を跳梁された苦い経験があった。このため、英国はドイツとの戦争を予測して、既存の技術による対空監視用レーダーの開発を1936年より始め、1939年9月の開戦時には海岸線の殆どを網羅する対空監視網を完成させていたが、本レーダー網は世界初の対空早期警戒システムであり、後にChain Home(CH)と呼ばれた。1940年7月から10月の英国本土上空に於けるドイツ空軍との戦い、所謂「Battle of Britain」では、CHで敵侵入機の早期捕捉や迎撃機の効率的な運用を行い、劣勢な空軍力にも関わらず勝利した。
また、ドイツ海軍のUボート対策としては航空機搭載型の海上探索用レーダーASV(Air to Surface Vessel Radar)の開発を1937年の中頃より始め、1939年末には原型となるASV Mark Tを完成させ、英空軍(RAF)沿岸防備航空隊への配備を始めた。
メートル波帯レーダーASV Mk.T
ASV Mk.Tは運用周波数が240MHz(後に200MHzに変更)のメートル波帯レーダーで、送信管はWestern Electric社製の三極管316A二本によるP.P.構成で送信尖頭出力は2Kw、受信機は高周波増幅2段、中間周波増幅3段、低周波増幅2段構成のスーパーヘテロダイン方式である。標的の測定には等感度方式が採用され、このため送信用として半波長ダイポール型空中線が機首に、受信用は同型空中線が左右の両翼に各々装置され、画像表示はAスコープ方式であった。
ASV Mk.Tは故障が多く、動作も不安定で信頼性に欠けたが、1,000ton前後の中型艦船を約20km、海岸線を約90kmの距離から探知することが出来た。しかし、潜水艦に対してはほとんど効果がなく、このため主に視界不良時や夜間の航法支援装置として使用された。
潜水艦探知能力を向上させるため前面空中線の改良に加え、sideways-looking system(側面探索装置)の開発が進められた。本式は大型航空機の胴体後部に送信用として4本のマストを直列に立て、ここに水平ダイポール10基よりなる多素子空中線を装備すると共に、受信用として同型の空中線を機体の両側面に配置したものである。この空中線の指向性は機体の両側面方向であるため、当初の哨戒は利得の大きい本空中線により行い、標的発見後は前部の空中線に切替え、等感度測定法によりホーミングを行った。
ASV Mk.Uの導入(追加資料001参照)
1940年にMk.Tの改良型であるASV Mk.Uが導入された。本機の送信管にはパルス用発振管VT90/CV1090が採用され、P.P.構成で尖頭出力は7Kwに増大した。運用周波数は176MHzに変更され、空中線系は若干大型化したが、装置の動作は安定した。空中線は前方探索用の八木型と「側面探査装置」で構成され、前方送信用4素子八木は機首に、等感度測定用の受信用6素子八木は各々が両主翼の先端部に若干外側に向けて装置された。本機の性能はMk.Tに比べ大分向上し、中型艦艇の探知距離は約70kmに拡大し、潜水艦の発見も可能となった。Mk.Uの導入により昼間に於けるUボートの発見率は20%も向上し、精度は低いながらもサーチライト(Leigh Light)を併用しての夜間攻撃も可能となり、英軍のASVはドイツ潜水艦隊にとり脅威となっていった。
センチ波(マイクロ波)帯レーダー開発の端緒
RAFの技術陣は1939年以前より、航空機搭載用レーダーには戦闘機の機首にも装備が可能な小型で指向性の強い空中線が必要と考えていた。この実現には従来使用していたメートル波ではなく、波長10cm(3,000MHz)付近のマイクロ波の使用が不可欠であったが、当時この要求を満たす有効な発振管はなかった。
1940年の初め、バーミンガム大学のJ.T. RandallとH.A.H. Bootが陽極の多分割により波長9cm(3,300MHz)で、連続出力が400wの空洞共振型マグネトロンの開発に成功した。これを受け、英国は直ちにマイクロ波帯レーダーの研究を進め、艦艇搭載海上探索用、航法・爆撃用(H2S)、夜間戦闘機接敵用(AI)、航空機搭載海上探索用(ASV)等の各種PPI表示式レーダーを次々に開発していった。
マイクロ帯ASVの開発(追加資料002参照)
洋上にある潜水艦のような小型艦艇の探知には、より解像度の高いマイクロ波帯レーダーが必要であり、メートル波仕様には限界がある。1940年2月にマイクロ波帯レーダーの本格的な研究が始まり、6月には陽極8分割の金属封印型マグネトロンCV-64の生産が開始された。
最初に開発されたレーダーは艦艇搭載型で、プロトタイプは1941年3月に完成し、コルベット艦に搭載された。本艦は同年11月16日にジブラルタル海域でドイツ潜水艦U-433を発見しこれを撃沈、マイクロ波レーダーの有効性を実証した。このレーダーはType 271として量産され、1942年5月までに200隻以上の艦艇に配備された。
航空機用接敵レーダーであるAI(Airborne Interception)は1942年3月に試作機が完成し、AI Mk.Zとして導入され、1942年8月には量産型としてAI Mk.[が完成した。
ASVの開発はAIに比べ遅く、潜水艦に対する効果確認試験は1941年4月より実施されたが、実際の飛行試験は12月以降のことであり、1942年の夏になり漸く生産に関わる準備が始まった。しかし、1942年9月30日、RAFは爆撃司令部が進めていた航法・爆撃用の地表探索レーダーH2S の製造を優先させるため、ASVの開発計画を一時保留した。
RAFは1942年1月,H2Sの実験装置で最初の飛行試験を行い、高度2,000mで鮮明な地表図をブラウン管上に、360°で表示することに成功した。3月17日にはより実用的な装置をハリファックス爆撃機に搭載して実験が行われ、実用化の目処が立った。この結果を受け、7月15日に首相官邸で行われた上級会議でH2Sの導入が決定され、チャーチル首相は早速10月半ばまでに同型のレーダー200台を生産、導入するよう空軍側に強く要望した。
この時期、撃墜された英軍爆撃機よりH2Sがドイツ側に鹵獲されることを考慮して、送信管にマグネトロン、クライストロンの何れを使用するかが問題となった。クライストロンの出力はマグネトロンに比べ十分ではなかったが、マグネトロンを使用した場合、早晩その最新技術をドイツは入手することになる。しかし、装置の性能が優先され 送信管にはマグネトロンを使用することが決定された。
H2Sの開発はスキャナの不具合により当初の計画より二ヶ月遅れ、1942年の年末に完了し、まず24機のハリファックス、スターリング爆撃機に搭載された。1943年1月深夜,H2S を搭載した爆撃機の先導により、100機のランカスターがハンブルグ市を爆撃して大きな成果を上げ、その優秀さが証明された。しかし、早くも2月3日、本機を搭載した爆撃機がオランダのロッテルダムで撃墜され、H2S は独空軍に回収されることになった。以後、H2S系レーダーは枢軸国の間で「ロッテルダム装置」と呼ばれることになる。
ASVに優先して開発されたH2S Mk. Iは非常に優秀なレーダーであった。元来機上より海上を探索するASVと地表を探索するH2Sは同類のレーダーであり、H2Sは開発中であったASVに大きな影響を与えることになった。H2Sは高度6,000mで飛行する爆撃機用レーダーであるが、対潜哨戒機は高度600mで飛行する。このため、特に空中線系が再設計され、前方60°スキャン型空中線が開発された。本機は1943年の初頭に、よりH2Sに類似したASV Mk.Vとして完成し、沿岸防備航空隊への配備が始まった。
最初に導入されたASV Mk.Vはウエリントン爆撃機に装備された。1943年3月1日より本機によるビスケー湾の対潜哨戒活動が開始され、 3月18日には発見したUボートに対する最初の攻撃が行われた。ASV Mk.Vに習熟した航空隊は5月までにビスケー湾を水上航行する殆どのUボートを発見出来るようになり、効果的な攻撃を行った。 ASV Mk.Vの導入によりUボートの発見率は劇的に改善し、この時期艦船の損失は1ヶ月400,000tonから100,000tonにまで減少した。 一方、ドイツ海軍は4月、5月の二ヶ月で56隻のUボートを失い、潜水艦隊司令部はその原因を巡り混乱していた。
RADLAB(Radiation Laboratory)の活動
戦前より米英両国は軍事に関わる技術情報の相互交換教協定を結んでおり、レーダーに関わる情報も両国の研究機関で共有されていた。1940年9月、英国の技術使節団がワシントンを訪問した際、大統領府の国家防衛研究委員会との協議で米国に対しマイクロ波による迎撃用及び対空射撃管制用レーダーの開発を提案し、開発に成功したマグネトロン(波長9cm)のプロトタイプを設計情報と共に提供した。この勧告に従い、マイクロウエーブ委員会は大学の物理学者を中心とするレーダー開発の研究所を設立することを決定し、その運営管理はMIT(Massachusetts Institute of Technology)に委託されRADLABと命名された新研究所が発足した。
当時米国はメートル波、デシメートル波による基本的な警戒、射撃管制用レーダーの開発を完了していたが、マイクロ波帯レーダーはまだ未開発であった。しかし、以後RADLABに於ける組織的な研究の成果はめざましく、1942年の後半になると波長6cm(5,000MHz)、3cm(10,000MHz)、の新型マグネトロン及びその周辺技術が次々と開発されていった。1944年には波長3cmの地表探索レーダーH2Xが実用化され、本機の完成度は非常に高いものであった。1942年12月、霜田光一先生は有明海に墜落したB-29より回収されたWestern Electric社製の航法・爆撃用レーダーAN/APQ13の技術調査に参加されたが、本機はH2Xの類型であり、この型のレーダーは戦後20年近くも各分野で使い続けられた傑作機であった。
写真補足
ASV Mk.Uを装備した対潜哨戒機B24 Liberator。本機は機体上部及び両側面に「側面探査装置」を、前方探索・ホーミング用として機首に送信用4素子八木、左右の主翼に各受信用6素子八木を装備している。また、前部胴体下部のラドーム内にはASV Mk.Vのスキャナを搭載していると考えられる。
下記URLに本項に関連した追加資料を掲示した。
http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011oct27.html
写真出典: Reflections on the Early History of Airborne Radar(Dave Trojan)
-(76 KB)1940年の中頃より、英空軍(RAF)は水上監視用レーダーASV Mk.Tの改良型であるMk.Uを導入し、Uボートの探知に成果を上げ始めた。この時期、夜間にビスケー湾を水上航行するドイツ潜水艦が突然英軍機の攻撃を受けるようになり、当初潜水艦隊司令部は敵が赤外線暗視装置を導入したのではないかと考えた。しかし、奇襲は昼間でも起こるようになり、また、ある夜間攻撃では、英軍機はUボート上空を低空で通過した後反転し、強力なサーチライトを点灯し攻撃を仕掛けてきた。このため、英軍が新たに装備したのは赤外線装置ではなく、海上探査用レーダーであるとの結論に至り、また、6月には北アフリカ戦線で撃墜したウェリントン爆撃機よりASV Mk.Tが発見された。
ドイツ海軍は直ちに英軍ASVに対応する電波探知機の配備、開発を始めるが、以下ではその主要機材について概観する。
FuMB-1 Metoxの導入(追加資料003参照)
英軍に於けるASVの使用が明らかになると、ドイツ潜水艦隊司令部は直ちに対抗措置を講じ、1940年の夏までに、全Uボートに電波探知機FuMB1 Metoxを配備する。FuMBとはドイツに於ける受動的な電波兵器の総称であり、これに対しレーダー等の能動的装置はFuMOと表記された。Metoxは占領下フランスの電気メーカーが製造していたメートル波帯用のスーパーヘテロダイン式受信機で、名称は開発者であるMetox Grandinに由来すると伝えられている。当時、ドイツ海軍には英軍のASV Mk.T・Uに対抗する艦艇用の適当な受信機が無く、このため、必要に迫りフランス製のMetoxを急遽調達したと考えられるが、本機は汎用の民需用受信機であった。Metoxには60-160MHzを受信するR-203型及び、113-240MHzを受信するR-600型の二機種があるが、水上艦艇は両機を、UボートはR-600型のみを搭載した。
Metox用空中線Biscay Cross
MetoxのUボートへの配備は緊急を要したため、潜水艦用空中線を開発する十分な余裕は無かった。このため、当初は十字に組んだ木枠に、水平偏波、垂直偏波に対応する空中線素子を取付けた簡易な手持式空中線「FuMB空中線2型」が導入された。潜水艦が浮上すると担務員はハッチより空中線と共に飛び出し、木枠を回転させながら敵レーダー波の探知をおこなったが、本空中線はその形状より「ビスケー湾の十字架」(Biscay Cross)と呼ばれた。
ドイツ海軍はその後、専用受信機の開発と併せ、有指向性空中線(ラケット型)や、無指向性空中線(ルンド型)の開発を行いASVへの対策を進めていく。
Metox(R-600型受信機)緒元
対応周波数: 113-240MHz
受信機方式: スーパーへテロダイン
電波型式: A1、A3
構 成: 高周波増幅段無し、中間周波増幅2段、低周波増幅2段
中間周波数: 650KHz
構成真空管: 4671(UN-955相当) x4、EF-14 (5極管)x2、EF-13(5極管)、EBC-11(双2極、3極管)、EL-11(電力増幅用3極管)、EZ-12(全波整流管)、STV-150/200(定電圧放電管)
空中線: FuMB空中線2型(Biscay Cross)
一次電源: 220V/W
FuMB-8 Wanze(追加資料004参照)
本機はMetoxの後継機として1943年8月に導入されたメートル波帯用の電波探知機で、対応周波数は54-250MHz、原型と局部発振回路からの輻射を抑えた改良型がある。Wanzeはブラウン管(CRT)画像表示機能を備えたバンド内自動スキャン方式の受信機で、構成はスーパーヘテロダイン方式、CRTは中間周波帯域内の信号を監視するスペクトラムスコープであったと考えられる。本機の空中線には円形の金網状構造物にダイポール型空中素子二本立てた無指向性型「FuMB空中線3型」が使用されたが、この空中線はその円形構造からルンドダイポール(Runddipol)と呼ばれた。
この時期RAFはASV Mk.Uに替え、マイクロ波帯(3,300MHz)を使用したMk.Vへの移行を進めていた。このため、ドイツ海軍のASV対策もマイクロ波帯に移行し、Wanzeの実動期間はそう長くはなかった。
Wanzeと帝国海軍潜水艦
大戦中帝国海軍は進んだドイツの軍事技術を導入するため、数次にわたり連絡用潜水艦を派遣した。第二次派遣でドイツに向かった伊号第8潜水艦は途上アゾレス諸島西方でU-161と会合し、電波探知機を受領、併せ連絡将校1名と操作要員の下士官2名が移乗した。この時持込まれた探知機及び空中線について、吉村昭著「深海の使者」(文芸春秋)には以下の記述がある。
「ドイツ海軍の運び込んできた電波探知機の受信空中線は、鉛筆ほどの太さしかない二本の真鍮製の棒で潜望鏡支基の上部に取り付けられたが、呉海軍工廠で装備した電波探知機の空中線に比べるとはるかに構造は簡単で、大きさも数十分の一しかない。さらに日本製の空中線の操作は艦内にもうけられたハンドルで回転させるのだが、ドイツ製の空中線は艦内の受信機に接続され、操作も極めて容易であった。・・・電波探知機の装備を終えた翌八月二十二日、早くも探知機に緑色像が浮かび、それ以後しばしば電波が感知された。」
上記により、ドイツ海軍が伊号第8潜水艦に持ち込んだ電波探知機はCRTによる視覚表示機能を具え、2本のエレメントにより構成された空中線を装備するWanzeであったと考えられる。Wanzeの導入時期は伊号第8潜水艦のドイツ到着と重なり、このため、無事呉に帰投した同艦や寄贈潜水艦U-511によって、本探知機は我が国に持ち込まれたと考えられ、海軍のメートル波帯電波探知機の開発に影響を与えることになった。
FuMB-4 Samos(追加資料005参照)
本機はMetoxの後継機として開発されたメートル波帯用電波探知機の一機種であるが、Wanzeと同様に導入時期がマイクロ波帯への移行過渡期であり、使用期間は長くはなかったと考えられる。Samosは高周波増幅段無し、中間周波増幅4段、低周波増幅2段構成で、第一検波には双二極管極管RD12Gaによる平衡検波方式が採用され、局部発振回路からの輻射に配慮している。空中線には有指向性のラケット型「FuMB 空中線4型・5型」が使用されたが、無指向性のルンド型空中線も併用されたと考えられる。
Samos緒元
対応周波数: 90-470MHz
受信機方式: スーパーへテロダイン
電波型式: A3・F3(FM)
構 成: 高周波増幅段無し、中間周波増幅4段、低周波増幅2段
中間周波数: 2,500KHz
構成真空管:
第一検波RD12G(双2極管) 、局部発振RD12Ta(3極管)、マーカー発振(RD12Ta)、中間周波増幅4段EF13(5極管) x4、第二検波(FM検波)EB-11(双2極管)、低周波増幅2段EF13 x2、両波整流EZ11(双2極管)、定電圧放電7475
空中線: ラケット型「FuMB 空中線4型・5型」
一次電源: 交流220V
写真捕捉
Metoxを構成したR-600A型受信機。本機はR-600型の改良型でマジックアイが追加されたが、基本回路は原型と大差がないと考えられる。
下記URLに本項に関連した追加資料を掲示した。
http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011oct27.html
写真出典: : photo courtesy of CD WW-2 German Radio
-(235 KB)開発の端緒
電波探信儀(電探)の研究が進むにつれて、敵方のレーダー波を探知して、先に敵を発見しようとする考えが生まれた。1942年(昭和17年)6月、戦艦伊勢、日向における第二回電探実験の際、伊勢の21号電探波を、僚艦山城に設置した同型受信機(簡易空中線を使用)で傍受実験を行い、大凡4,000m迄高感度で受信出来ることが確認された。この結果、用兵側より安易な電波の発射に関わる危険性と、敵レーダー波を傍受する通称「逆探」と称される電波探知機の必要性が提起され、1942年(昭和17年)10月から専用受信装置の本格的な研究が始められた。
先取防衛用兵器である電波探知機は、日本海軍の伝統である攻撃兵器重視の考えに必ずしも一致したものではなく、当初は電探と同様に本装置に対する理解は十分ではなかった。しかし、戦争後半になるとレーダーを駆使した連合国側の攻勢が強まり、特に水上・対空監視に不利な潜水艦部隊からの要望は強いものがあった。このため、艦艇、航空機用の各種電波探知機が研究、開発され、その幾つかが配備された。
電波探知機1型「E-27受信機」の開発(追加資料006参照)
艦艇用電波探知機の開発に当たっては受信機の簡易化、操作性、量産性が考慮され、対応周波数は75-300MHzとして、1942年11月、海軍技術研究所は七欧無線に試作機の製造を依頼した。この受信機は高周波増幅段無し、中間周波増幅5段、低周波増幅3段のスーパーヘテロダイン方式であったが、使用空中線については未だ確定がなされていなかった。1943年(昭和18年)1月、完成した試作機の検討が行われ、最終的に上限周波数を380MHz迄拡大し、1号電波探知機「仮称電波探知機E-27受信機」として兵器化されることが決定した。
本電波探知機はフロントエンドの差替えにより対応周波数帯を5バンドに分け受信する方式であるが、使い勝手は必ずしも良好ではなかった。しかし、用兵側の早期配備への要望は更に強く、結局改良されることなく直ちに量産が開始され、1943年4月より、ドイツ海軍のラケット型空中線の模倣型と併せ各艦艇への配備が始まった。
この時期、電波探知機を最も必要としていたのは潜水艦隊であった。しかし、水中深く潜行する潜水艦に対する空中線の艤装は非常に困難で、給電線の接続や防水には多くの問題があった。このため、本機の性能は必ずしも十分ではなかったが、E-27の配備は乗員の精神的負担を大きく軽減し、士気の高揚に貢献することになった。
空中線の開発
メートル波帯用の電波探知機には広帯域型の空中線が必要であるが、当時技術研究所は開発の参考となる有効な資料を持ち合わせていなかった。1942年(昭和17年)10月末、技研の担当員は横浜に寄港したドイツ仮装巡洋艦10号艦(トーテルと推測)に装備されていた電波探知機用の空中線を艦外より観察し、類似品を作成して各種の実験を行った。この空中線は幅の広いラケット型空中線素子2基を金網状反射器の上に取付けた構造で、ダイポール型空中線の変形である。1943年(昭和18年)春になると神戸に仮装巡洋艦ミッヘルが寄港し、装備していた電波探知機Metoxとラケット型空中線の情報を入手する事が出来、本型の空中線を完成させることが出来た。
ラケット型に続き、1944年(昭和19年)になるとE-27受信機用の無指向性型空中線が開発された。海軍電気技術史にはこの空中線について以下の記述がある。
「昭和19年後半に至り戦局の進展と共に探知機の使用を積極化しようとする空気が強くなり、数々の要望が付加された。従来の空中線、饋電線等に対し再検討が加えられ、新型空中線への研究が進められ、無指向性空中線としては独逸国のルンドダイポール(Rund Dipol-Round Dipole)よりも感度並びに指向性優秀な空中線が試作され成功を収めた」
上記のルンドダイポールとはドイツ海軍の電波探知機Wanze用の無指向性型空中線と考えられ、この空中線は円形に丸めた金網状構造物に2本の金属ロッドを取付けた構造である。前項でも言及したが、第二次遣ドイツ潜水艦である伊号第8潜水艦は途上大西洋上にてドイツ潜水艦と会合し電波探知機を受領するが、伝えられる構造から本機はWanzeであったと考えられる。1943年8月6日にドイツよりの寄贈潜水艦U-511が到着し、12月21日には伊号第8潜水艦も無事呉に帰投した。これら潜水艦には当時の最新機材であるWanzeが搭載されていたと考えられ、海軍技術研究所電波研究部は入手したルンドダイポールの現物を参考に、無指向性型空中線を開発したものと考えられる。
E-27受信機緒元
用途: レーダー波探知
周波数: 75-400MHz
構成: スーパーヘテロダイン方式、混合(UN-955)、局発(UN-955)、中間周波増幅5段(UZ-6C6 x5)、検波(UZ-6C6二極管接続)、低周波増幅3段(UZ-6C6 x3)
電源: 艦内直流電源又は交流電源
空中線: ラケット型空中線(指向性)、ルンド型空中線(無指向性)
重量: 40kg
製造: 七欧・住友、約2,500台
電波探知機2型の開発
1944年(昭和19年)になると連合国側はレーダー波の被探知を防ぐため電波の発射時間を短縮するようになり、探索に時間を要するE-27受信機に代わる新たな探知機の開発が課題となった。1944年の中頃、この問題を解決するため全帯域一括同調方式の「電波探知機2型」が開発されたが、本機は設計・製造に不備があり兵器化に失敗した。海軍電気技術史には「短時間発射電波の補足の問題に対しては自動可視式のものが研究試作されたが、実用に十分なものは得られなかった。」との記述があり、この探知機はバンド内自動スキャン方式でCRT表示機能を備えたWanzeの国産型であったと推測される。
「E-27受信機」の改良(追加資料007参照)
海軍技術研究所電波研究部は電波探知機2型の開発に失敗するが、この間戦局は急速に悪化し早期の対策が必要となった。このため、応急措置として既設E27受信機のフロントエンド部分のみを全帯域一括同調操作式に改良することが決定された。この高周波部はドイツ海軍の初期型電波探知機Metoxを参考に開発されたと考えられ、空中線同調回路及び局部発振回路は同一構造のレッヘル線回路で構成され、ショートバーの可変により80-400MHzを一括して受信するものである。本機の量産は直ちに開始され、大凡2,500台が各艦艇に配備され大戦終了まで使用された。
「試製2式空7号無線電信機2型(FTB)」(追加写真008参照)
FTBは大戦末期に開発された航空機搭載型の電波探知機で測定は等感度受信方式、開発元は海軍航空技術廠電気部である。本機は高周波増幅段なし、中間周波増幅6段、低周波増幅2段構成のスーパーヘテロダイン方式で、フロントエンドは第一検波が三極管UN-955二極管接続2本による平衡検波、局部発振波はUN-955によるコルピッツ発振の変形、空中線側は非同調である。同調操作にはモータードライブ方式を採用しているが、バンド内自動スキャン機能はなく、動作はスイッチによる手動制御である。
本機の受信周波数は81-660MHzと広域であるが、局部発振周波数はLCの構造から大凡150-200MHzと推測され、また、空中線側には同調回路が装置されていない。このため、FTBは局発の原発振周波数及び高調波により上側・下側ヘテロダインを行い、該当する全ての周波数を同時に受信する方式であったと考えられる。
空中線装置は切替器を介し接続される等感度測定式の指向性ラケット型空中線2基と、無指向性θ型空中線1基により構成されており、指向性のラケット型2基は各々が両主翼の先端に、無指向性のθ型は機体上部に装置されたと考えられる。構成空中線は通常θ型に接続されているが、ラケット型を選択すると左右の空中線が交互に自動切替えを行い、等感度測定が可能となる。このため、探索は無指向性のθ型で行い、レーダー波を受信した後は等感度測定によりホーミングを行う方式であったと考えられる。
FTBの信号受信は受聴式のため、レーダーのCRT表示とは異なり、左右空中線の出力を比較する等感度測定は非常に困難である。このため、従来無線航法で行われていたA/N方式を応用し、受信側でA/N信号を発生させ等感度測定を行う。本機の測定方式については「海軍レーダー徒然草」の安原久悦氏に図付きで解説を頂いたので、下記URLを参照願いたい。
http://www1.odn.ne.jp/~yaswara/an.html
なお、FTBの完成は1945年(昭和20年)5月のため、実戦配備は行われなかったものと考えられる。
試製2式空7号無線電信機2型緒元
用途: レーダー波探知
周波数: 81-660MHz
構成: スーパーヘテロダイン方式、第一検波(UN-955 x2)、局発(UN-955)、中間周波増幅6段(FM2A05A)、第2検波(FM2A05A二極管接続)、低周波増幅2段(FM2A05A、UZ-41)
測定方式:受聴式等感度測定
空中線: ラケット型空中線(指向性)2基、θ型空中線(無指向性)1基
電源: 直流変圧器(入力12V)
完成月日: 昭和20年5月
製造台数: 300台
写真補足
掲示は試製2式空7号無線電信機2型(FTB)である。受信機前面左側、上部の蓋がヒューズ収容部、下部が音量調整器、左が受話器端子、下側の赤く塗ったコネクターが電源入力端子、右が電源スイッチ。中央部、扉内部は空中線の自動切替及びAN信号発生装置、下が空中線選択スイッチ、右のコネクターが空中線切替信号の出力端子。右側、上部の丸窓が周波数ダイアル、右下が同調手動/自動切替ボタン、その下が手動同調器であるが操作ツマミが欠落している、右端下部が空中線端子である。
下記URLに本項に関連した追加資料を掲示した。
http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011oct27.html
写真出典: photo courtesy of Mr. Michael Hanz (Smithsonian Institution)
-(173 KB)1942年の末、英国はマイクロ波帯(3,300MHz)レーダーH2S(地表探索、航法・爆撃用)の開発を完了し、直ちに爆撃機への配備を始めた。1943年1月にはH2S を搭載した航空機の先導によりハンブルグを夜間爆撃し、大きな成果を上げた。しかし、2月3日には本機を搭載していた爆撃機がオランダのロッテルダムで撃墜され、H2S はドイツ空軍に回収された。後にこのレーダーは枢軸国の間で、「ロッテルダム装置」と呼ばれることになるが、ドイツ空軍はその進んだ技術に驚愕し、直ちに模倣による同型のレーダー(コード名Berlin)、追跡用電波探知機(Naxos)、沿岸基地用探知機(Korfu)の開発及び、マイクロ波用高周波技術の早期確立を指示する。
しかし、当初「ロッテルダム装置」の情報はドイツ空軍が独占したため、RAFがマイクロ波式海上探索レーダーASV Mk.Vを導入すると、海軍はその対策を巡り混乱を極めることになった。
探知機開発の契機
1943年の初頭よりUボートは搭載する電波探知機Metoxがレーダー波を感知しないにも関わらず、敵航空機の急襲を受けるようになる。損害の増加に伴いドイツ海軍潜水艦司令部は、敵が新たなUボートの発見方法を確立したとの結論を得るが、その原因については不明であった。しかし、状況は英軍がメートル波帯レーダーASV Mk.Uを導入し時期と類似しており、このため、潜水艦隊司令部は英軍が新たな周波数帯域での対潜用レーダーを開発したのではないかと考え、その可能性について海軍技術陣に打診した。しかし、不幸なことに、当時ドイツの技術陣はマイクロ波帯でのレーダー運用は有効とは考えておらず、敵がこの周波数帯のASVを導入したとは考えなかった。
奇襲の原因についてはハッキリしないが、電波兵器に関連しては敵がメートル波帯用電波探知機Metoxより輻射される局部発振波を探知している可能性があった。航空機を使って実測を行うと、高感度の受信機であれば、20km程度離れていても受信が可能な漏洩電波の輻射が確認された。都合の悪いことに、この時期ドイツ空軍は捕虜となった英軍パイロットから「潜水艦の電波探知機から出る微弱電波を探知する装置が出来ている。」との証言を得ていた。このため、デーニッツ提督は敵機奇襲の原因はMetoxにあると考え、1943年7月31日、本探知機の使用を全面的に禁止した。翌8月、ドイツ海軍は輻射に配慮した新型の電波探知機Wanzeの配備を始めるが、Metoxと同様に、敵レーダー波の感知が無いにも関わらず急襲は頻発し、11月5日にWanzeの使用も禁止された。
この時期に導入されたメートル波帯用電波探知機に、FuMB-10 Borkumがある。本機は鉱石検波・低周波増幅方式で当然局部発振回路は装置しておらず、電波の輻射とは無縁であった。しかし、Borkumもまた敵機の奇襲に対しては無力であった。ドイツ海軍は後にASV Mk.V対策として同型の電波探知機を開発するが、至近距離に於いてもBorkumはMk.Vのマイクロ波を探知することが出来なかった。Borkumの同調回路が高選択度であったとは考えられず、このため、装備した鉱石検波器がマイクロ波に対し感度がなかったものと推測される。
1943年12月、ドイツ海軍は漸く「ロッテルダム装置」の存在を知り、対抗用電波探知機の開発に着手した。当時ドイツでは、技術開発・生産に関わる統合的な施策を実施する国家科学研究局が設置されたが、この組織は官僚機構の弊害により十分に機能せず、新技術の開発部門は混乱していた。
開発が計画された探知機の多くは鉱石検波・低周波増幅方式であり、本式は構造が簡単なため、マイクロ波用鉱石検波器さえあれば製造は至って容易である。しかし、これら探知機の導入は1944年の8月近くであり、ドイツは研究部門の混乱もありマイクロ波用鉱石検波器の開発に手間取ったものと考えられる。
以下ではドイツ海軍・空軍が開発した主要マイクロ波帯用電波探知機について概観する。
FuMB 7 /Naxos
本機はASV Mk.Vに対応するマイクロ波帯用電波探知機(2,500-3,700Mhz)で、Uボートに最も早く配備された装置と考えられる。詳細については不明であるが、空中線は放物線型反射器に蝶ネクタイ型の広帯域ダイポール素子を取付けた構造で、特段の同調回路は装置していなかった。空中線は非防水型で、潜水艦が浮上すると担務要員が艦橋の上部に設置し、回転は無線室より行える構造であった。受信機の構成は鉱石検波、低周波増幅方式で、以下で述べるFuMB 24に類似した機材であったと考えられる。鉱石検波器に問題があったのか、本機の性能は芳しくなくは、探知距離は5,000m程度であり、U-ボートは急速潜行を行っても安全深度には到達出来なかった。
FuMB26 /Naxos、通称Tunis(追加資料009参照)
本機はSバンド(2,000-4,000MHz)用受信機FuMB 24の空中線部及び、Xバンド(8,000-10,000MHz)用受信機FuMB 25の空中線部により構成されたS・Xバンド両用の電波探知機で、信号増幅器は共用である。Sバンドを使用したASV Mk.V(3,300MHz)に対抗するマイクロ波用電波探知機を開発中の1944年初頭、ドイツ空軍は撃墜した米軍爆撃機より波長3cm(10,000MHz)のXバンドレーダーH2X(航法・爆撃用)を回収した。このため、対抗措置として急遽FuMB 25が併せ開発されたと考えられる。
FuMB 24は放物線反射器付空中線に鉱石検波器を、FuMB 25は小型ホーン型空中線に鉱石検波器を取付けた構造で、検波信号増幅器は5極管RV12P2000の6段構成である。両空中線部分は木製ポールの先端に背中合わせで取付けられ、担務要員は潜水艦が浮上すると空中線部と共にハッチより飛び出し、ポールを回転し周囲を探索した。これはメートル波帯用電波探知機、Metoxが導入された際に行われた方式と同一である。
FuMB-23・28/Naxos FuG350 (追加資料010参照)
本機はドイツ空軍の機上用電波探知機で、電波の到来方向をブラウン管(CRT)に表示する可視式の電波探知機ある。この型のNaxosは夜間戦闘機に搭載され、H2S系レーダーを装備する敵爆撃機の捕捉に大きな成果をあげた。
装置は回転式誘電体型空中線、鉱石検波器及び波形表示用CRTを装備した低周波増幅器により構成され、回転式空中線は捕捉電波の到来方向を探知する。受信周波数は空中線の共振周波数で確定され、特段の同調装置は装備していない。
Naxosを開発中の1944年初頭、ドイツ空軍は撃墜した米軍爆撃機より波長3cmのH2Xを回収した。このため、本式のXバンド型の開発が行われたが、戦争終了までに完成させることは出来なかった。
なお、本機の構造、動作については追加資料で概観した。
FuMB- 11・15/ Korfu E-351 (追加資料011参照)
E-351受信機は独逸空軍が開発した海岸局設置型の対空監視用電波探知機で、2,000―12,000MHzのマイクロ波帯をA-E型の5機種で受信する。構成は第一検波が鉱石のWスーパーヘテロダイン方式で、局部発振管にはテレフンケン社が開発した小型マグネトロンRd2Md2が使用されている。空中線は電磁ホーン型で、海岸局に設置された手動回転式ポールの上部に装備されたが、垂直・水平偏波に対応するため開口部が前面より見て、菱形となるように取付けられた。E-351は2,000―12,000MHzを受信する場合A-E型の5機種を用意する必要があり、取扱いに不便であった。このため、後にフロントエンドのみを差替式とした改良型が導入された。
1944年の末にドイツ空軍はPPI式のマイクロ波レーダーBerlinを完成させる。本レーダーは「ロッテルダム装置(H2S)」を手本に開発されたもので、送信用マグネトロンLMS10はH2SのCV-64を模倣して作られた。H2Sの局部発振回路には反射型クライストロンCV67が使用されていたが、本管の模倣は困難であったのか、局発には小型マグネトロンRd2Md2が使用された。テレフンケン社がRd2Md2を開発したのが1944年の10月頃であり、このため、BerlinやKorfuはRd2Md2の開発成功により完成したと考えられる。
独逸のレーダー開発に関わる若干の補足
開戦当初、ドイツのレーダー技術は連合国に勝っており、対空警戒用フライア(Freya)、艦艇用ゼータクト(Seetakt)、対空射撃管制用ウルツブルグ(Wurzburg)、夜間戦闘機接敵用リヒタンシュタイン(Lichtenstein)等の基本型レーダーの開発、配備は完了していた。これらは何れもメートル波、デシメートル波を使用したものであるが、動作は安定し性能も満足のいくものであり、ドイツの研究者は自国のレーダー技術に自身を持っていた。
この時期、ドイツの技術陣は、マイクロ波は物体に照射しても反射波は細いビームとなり散乱し、戻ってくるエネルギーが小さすぎてレーダーに使用出来ないと考えており、本帯域のレーダー開発には消極的であった。加え、1940年にヒットラーは戦争の短期終結を図るため「一年以内に成果を期待できない研究及び開発の一時中止」を決定し、国民の総力を戦場、軍需生産に投入した。この結果、マイクロ波の研究は中止され、以後ドイツのレーダー研究は2年間も遅滞することになった。
1942年になり、漸くレーダーが戦局に決定的な役割を果たすことが認識され、各部門の総力を結集し開発を推進することになった。このため、15,000人の科学・電気・機械関連の技術者が兵役から解除され、1943年1月には米国の科学研究開発局に似た国家科学研究局が設置され、技術開発・生産に関わる統合的な施策が実施された。しかし、この新組織は官僚機構に阻まれ十分な成果を上げることが出来ず、ドイツは連合国側の目覚ましい高周波技術の発達に対し、その遅れを取返すことはできなかった。
写真捕捉
掲示はドイツ空軍の航空機用電波探知機FuG350 Naxos で、下側が回転式誘電体型空中線、上部に置かれたのが増幅部・画像表示部である。
下記URLに本項に関連した追加資料を掲示した。
http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011oct27.html
写真提供: photo courtesy of Mr. Arhur O. Bauer
http://www.cdvandt.org/naxos.htm
-(194 KB)帝国海軍は大戦の当初より水上警戒用マイクロ波帯レーダーである2号電波探信儀2型(22号)を兵器化していた。しかし、この電探は受信機が超再生検波方式のため、調整が極めて困難で、動作は不安定であり、兵器としての実用性は低かった。
マイクロ波帯用の電波探知機を開発するには、本帯域で効率よく動作する検波管や検波器が必要であるが、当時海軍技術研究所はこの何れをも所持していなかった。このため、スーパーヘテロダイン式の22号電探用受信機の開発も叶わず、マイクロ波帯用電波探知機の開発が行えるような状況ではなかった。これらの問題が解決されるのは、当時海軍術研究所の菊池技師門下として22号系電探の開発に携わっていた霜田光一先生(東京大学理学部大学院特別研究生)がマイクロ波用鉱石検波器を開発された後のことであり、このため、以下では先ず、帝国海軍に於けるマイクロ波帯レーダーの開発に関わる経緯について概観する。(追加資料012参照)
22号系電波探信儀の開発
1941年(昭和16年)8月2日、電波探信儀の開発に関わる海軍大臣訓令を受け、海軍技術研究所電気研究部は日本無線と協力しマイクロ波電探100号の試作研究を始めた。当時技研電気研究部は日本無線との協同研究により、波長10cm(3,000MHz)で連続出力500wの水冷式マグネトロンM-3の開発に成功しており、マイクロ波の発振管については世界的レベルにあった。このため、送信管にはM-3の量産型M-312の使用が決まったが、受信機や空中線系を含む高周波回路に関わる技術は未だ確立されておらず、特に受信機の検波方式は問題であった。メートル波帯の対空監視用1号電波探信儀1型(11号)を例に取るまでもなく、当時受信機の構成はスーパーへテロダイン方式が一般的であったが、周波数変換を行う検波管、検波器の問題が解決されず、結局超短波無線電話機等で海軍が好んで用いた超再生検波方式が採用されることになった。
間もなくして出力20mwの受信機用マグネトロンM60が開発され、この小型磁電管を検波管とした他励式超再生受信機が完成した。この受信機は動作がきわめて不安定であったが、調整次第では高感度の受信ができ、また、他に選択の余地もないことから研究は進められ、試作機103号が完成した。本電探は送受信機が個別の電磁ホーンを使用し、目標の探索は装置全体を回転させて行う大がかりなもので、波形表示はAスコープ方式であった。超再生方式の受信機は調整が非常に困難であり、技研担当員により漸く反射波を得られるような状況であったが、調整が巧くいくと陸上で35km程度の探知が可能であり、このため、仮称2号電波探信儀2型として兵器化が模索された。
22号電探の導入
1942年(昭和17年)5月、ミッドウェーイ、アリューシャン進行作戦を控え、戦艦日向に完成間もない22号電探を、戦艦伊勢には試作が完了したメートル波帯の2号電波探信儀1型(21号)が仮装備され各種の探索実験が行われた。その結果、伊勢に搭載した21号は航空機単機に対し55km、戦艦日向に対し20kmの探知能力を示したが、日向に搭載の22号は戦艦伊勢に対し35kmの探知能力を示すも、対空目標に対しては零という成績であった。
この実験結果を踏まえ22号は撤去すべきとの結論であったが、日向艦長松田千秋大佐他の援護もあり、本電探は日向に搭載されたまま、技研技術者と共に進行作戦に出撃した。本来22号は水上警戒用に開発された電探であり、対空警戒能力を21号と比べることに意味はない。22号電探は対水上目標探知能力により評価されるべきであったが、動作が不安定な受信機は用兵側の理解を得られぬ致命的な欠陥であり、不合理な決定の要因になったと考えられる。
ミッドウェーイ攻略作戦では主力部隊警戒隊として行動した日向の22号電探が、闇夜、濃霧等の狭視界時に艦隊の集結、隊形保持に大きく寄与し、その有効性を示すことになった。この結果、辛うじて22号の兵器化が決定し、安定性向上を条件に駆潜艇、海防艦等に対する潜水艦警戒用レーダーとして約100台の整備が決定された。
量産型は送信機、受信機、指示器等各構成機材が独立した構造に改められ、空中線は円形導波管接続によるホーン型回転式に改修され、空中線の回転による目標の探索が可能となった。しかし、受信機の動作不良は一向に改善されず、用兵側の不評は強烈なものであった。
開発組織の改革
1942-3年、水上警戒用レーダーの本命である22号電探は超再生式受信機の不具合から足踏み状態となり、研究は閉塞状態に陥った。この間ドイツより「ロッテルダム装置(H2S)」の情報が得られ、英空軍は波長9cm(3,300MHz)を使用した爆撃用PPI式レーダーを使用し、「受信機は局部発振にクライストロンを、第1検波に鉱石を使用したスーパーヘテロダイソ方式である」との重要な情報がもたらされたが、鉱石に偏見を持つ技術研究所員は特別な関心を示さなかった。
1942年の後半よりソロモン方面の戦局は重大化し、航空戦に加えて、水上艦艇による激しい夜間戦闘が繰り返された。この戦闘で敵艦艇は対水上射撃管制用レーダーを活用し、夜戦を得意とした帝国海軍の艦隊行動は徐々に制約されていった。この時期になると、用兵側から対水上用電探に対する要望が高まり、帝国海軍に於ける電波兵器開発の遅れが鮮明になっていった。
1943年(昭和18年)7月、この状況を打破し電波兵器の開発を促進するため、海軍技術研究所に電波研究部が設置された。当時海軍における通信、電波兵器行政の最高責任者であった名和武技術少将は、組織上は格下となる研究部長の職に自ら就き、既に嘱託であった放送協会の高柳健次郎博士を少将待遇の技師で、大阪大学の菊池正士教授を奏任官待遇の技師として向かえるなど、各分野の人材を集結し電波兵器の開発を強力に推進する施策を実行した。
22号電探・受信機の改良
電波研究部の発足により、22号電探は根本的に再検証されることになった。本電探の動作不良は超再生式受信機にあることは明白であったが、これに代わる受信機をどのような方式にするかが問題であった。しかし、適当な検波管、検波器が無いため、結局電磁管M60をオートダイン検波管とするスーパーヘテロダイン方式(以下オートダイン式と表記)が採用されることになり、1943年末に試作機が完成し実験が始められた。この受信機は超再生方式に比べ遙かに安定しており実用の目処がついたが、調整が難しく、感度は著しく低下した。
受信機の改良により22号電探は小康を得たが、調整に関わる問題は改善されておらず、また、感度不良が新たな問題として提起され、抜本な対策が必要なことは明らかであった。
これより先、菊池正士技師の指導でマイクロ波の検波に適した鉱石の研究を行っていた東大理学部大学院生霜田光一研究生は、パイライト(黄鉄鉱)の結晶による検波器の開発に成功していた。当時霜田研究生は22号電探の派生系である31号射撃用電探の開発に加わっており、1944年3月に本研究目的で、第一検波に自らが開発した鉱石検波器を使用したスーパーへテロダイン式受信機を試作し、パルス波の受信に成功していた。
1944年(昭和19年)7月24日、「あ号作戦」の敗北によりサイパン島が陥落すると大本営は南西諸島、台湾以南の敵を迎撃する「捷(しょう)号作戦」の発動を決定し、海軍は最後の艦隊決戦となる捷1号作戦の準備を始めた。本作戦には水上射撃用電探は不可欠であったが31号の開発は進まず、このため、電波研究部は応急対策として、霜田研究生が開発した鉱石検波器を第一検波に使用した22号電探・受信機のスーパーへテロダイン化を企画した。改造により既設22号の安定性と操作性を高め、これに増力式空中線操縦装置及び精密測距装置を付加し、準射撃用電探の速成を模索したのである。
22号電探・受信機のスーパーヘテロダイン化
8月末、技術研究所三鷹分室で既設のオートダイン式受信機を、第1検波が鉱石のスーパーヘテロダイン方式に改修する実験が行われ、結果、きわめて安定した受信機に改良出来ることが確認された。22号のオートダイン式受信機は磁電管M60がオートダイン検波・局部発振を兼任し、検波出力を14MHzの中間周波で4段増幅する構造であったが、従来の検波・発振回路に鉱石検波回路を付加すると、第1検波が鉱石、局部発振がM60のスーパーヘテロダイン式受信機へ簡単に改造することが出来る。早速既存受信機のスーパー化が決定され、改修作業が始められた。改造は高周波部に鉱石検波回路部を付加し、中間周波増幅段のゲイン不足を補うため、局発管M60の横に中間周波増幅初段回路を追加する簡易なものであった。
当時捷1号作戦に備え艦隊の主力はシンガポール方面に集結していたが、担当部門は要員と資材を急派し、現地工廠職員と共に22号電探の改修を行った。遅きに失したが、本工事により艦隊は最後の洋上決戦を目前に、漸く実戦的な水上監視用レーダーを装備し、作戦中戦艦群は付加装置による電探射撃を行うことが出来た。
写真補足とTR管
掲示は401型潜水艦に搭載された22号電探である。本機は最後期型で受信機はスーパーヘテロダイン方式、空中線は送受信兼用である。装置下段左が送信機、上段が受信機で、送信機より円形導波管が上部(空中線)に延びているが、導波管は途中で分岐され、受信機に接続されている。送信機の右側は送信機管制機、受信機の右側は波形観測用の指示機(Aスコープ)である。
円形導波管より分岐され受信機に接続される導波管の形状は角型で、受信機接続部で円形構造に戻されている。角型の導波管部には筒状の突起物が二個装置されているが、これは送受信切替用のTR放電管と考えられる。
ところで、装置されたTR管にはコードが接続されており、このため、本管は従来の電探に使用された1号放電管とは異なり、「Keep Alive」方式の放電管ではないかと考えられる。この構造の放電管は、管内に電圧を加え常時微弱な放電電流を流し、放電間隙に少量のイオンを供給する。これにより、送信パルスが加圧されると放電が急速に立上がり、受信機側に漏洩する高周波エネルギーを完全に遮断することが出来る。「Keep Alive」方式の放電管は連合国側が開発した技術であるが、技術研究所は鹵獲資料を基に本管を開発したものと推測される。
なお、「Keep Alive」方式の放電管については、霜田光一先生の論文「戦時中の米軍レーダーの調査」の中でも述べられている。
下記URLに本項に関連した追加資料を掲示した。
http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011oct27.html
写真提供:田村俊夫殿
-(164 KB)海軍技術研究所は大戦当初に水上警戒用レーダー22号電探を開発したが、3,000MHz帯は未経験な技術分野であり、特に受信機の安定化に手間取り、用兵側が最も必要な時期に有効な射撃用電探を提供することが出来なかった。
当初海軍技術研究所が開発した22号電探の受信機は超再生検波方式であり、その後オートダイン検波方式に改良されたが何れの動作も芳しくなく、このため、本帯域の電波探知機の開発は望むべくもなかった。しかし、1943年(昭和18年)の末に海軍技術研究所電波研究部の菊池正士技師の指導の下、22号系電探の研究に携わっていた霜田光一研究生がマイクロ波用鉱石検波器の開発に成功し、22号電探のスーパーヘテロダイン化及び、マイクロ波帯電波探知機開発の問題は一気に解決することになった。(追加資料013参照)
鉱石検波器の開発
1943年9月上旬、電波研究部の菊池技師の指示により、霜田研究生はマイクロ波検波用鉱石の研究を始めるが、海軍側から提供された機材は信号源発生用の小型磁電管M-60及び、励磁用の永久磁石だけであった。霜田研究生は各種鉱石の検波特性を調査し、黄鉄鉱とシリコンがマイクロ波に対し優れた検波特性を示すことを発見し、黄鉄鉱の結晶で検波器を作ることに成功した。
当時海軍技術研究所の技術者達は、鉱石検波器は過去の遺物であり、感度も低く、また、振動や衝撃に弱く戦闘艦に装備する無線装置には使用できないと考えていた。実際、当時使われていた鉱石検波器は振動に弱く、対策として、太い接触針を用いて検波器が作られていた。しかし、霜田研究生は物理学的に考え、衝撃による加速度に対しいては、太い針先よりも細く短い針が有利であり、鉱石の摩擦力で接触点が動きにくい筈であるとして、この方式により鉱石検波器を開発した。事実、完成した鉱石検波器は従来の製品に比べ衝撃に対して格段の耐震性があり、戦闘艦搭載装置の使用になんら問題の無いものであった。
電波探知機3型、47号受信機の開発
霜田研究生は早速この検波器と高利得増幅器を組み合わせた試験装置を作り上げ、実験の結果出力20mWの磁電管M60の発振パルスを45m離れた位置でS/N2程度で受信出来ることを確認した。引き続き本装置に電磁ラッパを取付け本格的な野外実験が行われ、芝浦の実験所に設置された22号電探の電波を23km離れた千葉県富津海岸でS/N2.5〜8.9で受信し、以後の実験結果も良好でマイクロ波用電波探知機開発の目処がついた。この実験結果を基に、電波研究部はマイクロ波帯用電波探知機を設計し、早速七欧無線に試作機の製造を発注した。併せ、受信空中線の広帯域化や低雑音高利得増幅器の研究が進められ、本機はその後47号受信機として完成する。
47号受信機の運用周波数は400-10,000MHz、構造は検波・低周波増幅方式で、空中線部に付加された同調用立体回路(キャビティ)に組込まれた鉱石検波器の出力を低雑音増幅(110db)するものであり、空中線には広帯域ダイポール型や、電磁ラッパ型が開発された。本電波探知機は構造が簡単で製造も容易なため、月産約70台が生産され、「仮称電波探知機3型・47号受信機」として1944年(昭和19年)4月から各艦への配備が始められた。
電波探知機に関わる記録
帝国海軍が開発したマイクロ波帯用電波探知機の資料は僅かであり、このため、開発機材の構造についてはハッキリしないが、海軍電気技術史には以下の記述があり、その一端を知ることが出来る。
「一方かねてより研究されつつあった75糎乃至3糎の探知機が完成した(昭和19年末)。併し最低波長3糎は計測する方法が確かでなく定量的な測定は困難であった。受信機はメトックス式の鉱石検波真空管増幅110dbのものである。空中線は75糎より3糎の広い波長範囲を2つの空中線でまかなうことにした。即ち約20糎より3糎迄は電磁ラッパでそれ以上はラケット型でまかなったのである。この受信機の製造は比較的簡単であるから月産60-70台を製造し各艦船に装備した。・・・」
上記により海軍が開発したマイクロ波帯用電波探知機の運用周波数は400-10,000MHzであり、この内、400-1,500MHzはラケット型空中線を、1,500-10,000MHzは電磁ラッパ型空中線を使用したことが分かる。ラケット型空中線はメートル波帯用の指向性空中線であるが、マイクロ波帯探知機で使用する場合には空中線本体に鉱石検波器が装置されたと考えられる。
なお、文中のメトックス(Metox)とはドイツ海軍のメートル波帯用電波探知機で、構成はスーパーヘテロダイン方式であり、マイクロ波用電波探知機との関連はない。このため、マイクロ波帯用電波探知機で、鉱石検波方式であるNaxosとの混同があるとも考えられ、本機の我が国への持込みを推測させ、誠に興味深い。
仮称電波探知機3型・47号受信機緒元
用途: レーダー波探知
装置場所: 水上艦艇
周波数: 400-10,000MHz
受信方式: 鉱石検波・低雑音増幅方式(110db)
電源: 交流110V
空中線: 電磁ラッパ、ラケット型
摘要: 最高対応周波数について測定方法が無く必ずしも正確ではない。
48号地型受信機の開発
この時期、電波探知機を最も必要としていたのは潜水艦隊であった。しかし、潜水艦への艤装はメートル波帯用空中線の問題も十分には解決されておらず、マイクロ波帯用空中線の取付けは技術的に困難であった。このため、潜水艦用として空中線を可搬式のパラボラ型とした「48号A型受信機」が開発された。本機の空中線背後にはハンドルの回転により同調周波数を可変するキャビティが装置され、検波信号は接続ケーブルを介し受信機本体(低雑音増幅器)に出力される。電測員は受信機に延長コードで接続した受話器を装着し、潜水艦が浮上すると空中線部と共にハッチから飛び出して四方を探索し、敵レーダー波の探知を行った。
本式のマイクロ波用電波探知機は製造が容易なため、1945年(昭和20年)の春には全潜水艦に装備されたが、以後も空中線系の研究は進められ、終戦間際には艦橋設置型のパラボラ型空中線が開発され、配備が行われた。
(追加資料013、補足資料-4・5・6参照)
写真補足と鉱石検波器
掲示は400型潜水艦に装備されたマイクロ波用電波探知機「48号A型受信機」の本体(低周波増幅部)である。パネル前面上部左が測定用メーターで、中央の銘板「48号A型受信機・海軍技術研究所」の上部が鉱石検波器ブラケット、右側が電圧・抵抗値測定切替スイッチと考えられる。パネル下部、左が受話器端子で右が音量調整器、その右が試験回路の零点調整器と推測され、右端が高圧・低圧用の電源投入スイッチである。
本受信機は鉱石検波器の試験用テスター回路を具えており、鉱石の逆対比、所謂半導体特性を測定する事が出来る。前面のブラケットは試験用鉱石検波器の設置部である。
下記URLに本項に関連した追加資料を掲示した。
http://kenyamamoto.com/yokohamaradiomuseum/2011oct27.html
写真提供:田村俊夫殿
-(194 KB)この度、東京大学名誉教授の霜田光一先生(文化功労者)にご寄稿頂いた下記の2論文を、当館HPに掲載させて頂きました。何れの論文も霜田先生が当事者の一次資料であり、大戦時のマイクロ波技術を知る上で、誠に貴重な資料と考えます。
1.「電波探知機・電波探信儀用鉱石検波器の研究」
2.「戦時中の米軍レーダーの調査」
本論文の掲示箇所は当館HPトップページ(暫定掲示)に掲げたバーナー「霜田光一論文」です。
なお、論文の掲載に際し、アラマント社の坂井田洋治君が、何時もながらの大貢献をして下さいました。ご協力に心より感謝申し上げます。
http://www.yokohamaradiomuseum.com/shimodawebsite/shimoda.html
掲示に到る経緯
先年事務局は霜田光一先生を吉祥寺のご自宅にお訪ねし、先生が大戦中に開発されたマイクロ波用鉱石検波器の「開発に関わる経緯」をお伺いしました。この折、その概要を当館が編纂作業を進めている仮称「横浜旧軍無線通信資料館」にご寄稿頂きたくお願い申し上げ、快諾を頂きました。
しかし、誠に恐縮ながら、当の編纂作業は調査対象項目が拡大する一方で、残念ながら現在の所、脱稿の目処が立たない状況に陥っています。このため、今般、先生の業績を広く皆様に知って頂くため、お預かりしている論文を編纂作業に先行して、当館HP上で発表させて頂くことに致しました。
論文について
「電波探知機・電波探信儀用鉱石検波器の研究」は、当時東大理学部大学院生であった霜田光一先生が海軍技術研究所電波研究部の菊池技師門下として、昭和19年(1944年)の初めにマイクロ波用鉱石検波器を開発された経緯について纏められたものです。本鉱石検波器が海軍電波兵器の開発に果たした役割は非常に大きく、技術研究所電波研究部はこの検波器にてセンチ波用電波探知機を開発し、また、不振を極めていた22号系マイクロ波電探・受信機のスーパーヘテロダイン化が達成され、本電探はようやく安定しました。
「戦時中の米軍レーダーの調査」は、1944年11月21日に有明海に墜落したB-29より回収したマイクロ波レーダー及び、同年10月24日、レイテに向かう日本艦隊を攻撃後、暗礁に乗り上げ放棄された米国潜水艦Darterより回収された水上警戒用レーダーに関わる調査記録です。特にB-29搭載マイクロ波レーダーが海軍電波研究部に与えた影響は大きく、海軍はこれらの資料を基に、我が国初の爆撃管制用PPI式レーダー「51号金物」(19試空3号電波探信儀30型)を開発し、運用実験を行いました。
写真補足
霜田光一先生。手に持っておられるのは学生の頃に自作された8mmカメラ、ケースは銅板製である。この他、当時作られた写真機や鉄道模型等多くの品々を大切に保管されておられました。
-(271 KB)この度、千葉県佐倉市在住のRC飛行機研究家大橋秀雄殿(exJA1AFQ)より、下記の品々を御寄贈頂きました。ご協力に心より感謝申し上げます。
ご寄贈品は大切に保管し、調査・研究・展示等広義に使用させて頂きます。
ご寄贈品一覧
陸軍「地3号無線機・送信機」昭和19年2月・東京電気製
真空管各種 54本
水晶片各種 8個
写真資料(地3号無線機改造アマチュア無線用送信機他)
大橋殿は昭和28年(1953年)に熊本電波監理局で二級アマチュア無線技士の一次、二次試験を受験され、この際、熊本のジャンク屋で当該の地3号無線機・送信機を購入されたとのことです。JA1AFQ開局時には本機を3.5MHz帯の送信機に改造され運用を行いましたが、その後アマチュア無線を休止され、RC飛行機の製作・飛行に傾注されました。大橋殿は現在、古典機を中心とする大型RCスケール機の制作者として高名ですが、地3号無線機は以後も大切に保管され、所持されておられました。
現在大橋殿は1921年に試作されたイタリアの巨人飛行艇、カプロニ Ca.60のRC機化に挑戦されておられます。本飛行艇は乗客100名を乗せ大西洋横断を目指し計画されましたが、機体は9枚の主翼(3葉構造3組)と8基のエンジンで構成された変わり種でした。実機は一回目の試験飛行で墜落し、計画は放棄されましたが、RC機には是非飛行に成功し、その雄飛を披露して頂きたいものです。
なお、以下のURLでRC機に関わる大橋殿のブログを閲覧する事が出来ます。
http://arukas7.exblog.jp/
地3号無線機補足
本機は陸軍航空部隊用の第四次制式制定機材で、陸軍通信学校研究部より航空用無線機材の研究審査業務の移管を受けた陸軍航空技術研究所により開発され、昭和14年(1939年)に兵器化された。地3号無線機は小規模な航空部隊の近距離用対空通信機材ではあるが、移動が容易なため、汎用機材として航空部隊各部署で広義に使用された。
地3号無線機諸元
用途: 対空通信
通信距離:100Km
周波数: 送信1,500-6,675KHz、受信1,500-6,675KHz
電波型式: A1、A2,A3
送信機: 出力(A1)40w、(A2、A3)8w、水晶又は主発振UZ-6D6、電力増幅UY-807A x2(並列)、格子変調UZ-6D6
受信機: スーパーヘテロダイン方式、高周波増幅1段(UZ-78)、周波数変換(Ut-6A7)、中間周波増幅1段(UZ-78)、再生検波(UZ-78)、低周波増幅1段(UZ-78)
送信電源: 0.6馬力発動発電機
受信電源: 6V蓄電池及び回転式直流変圧器
空中線: 逆L型、柱高6m、水平長20m、地線: 地網2枚