今般、幸いにも帝国海軍の機上用哨戒レーダー「H-6改3」を構成する受信機を入手した。H-6は海軍航空技術廠(空技廠)が開発した索敵用電波探信儀(電探)の1号機で、本機は海軍航空部隊唯一の実用機上電探(レーダー)として、大戦終了まで使用された。
当館(横浜旧軍無線通信資料館)は之までに「3式空6号無線電信機4型(H-6)改2」を構成した受信機を所蔵していたが、これは未充足品であった。今般入手の受信機は大戦末期に製造された改3ではあるが、欠品のない良品で、状態から明らかに未使用である。
当館はH-6改3レーダーの指示器を所蔵しており、送信機は未所蔵であるが、今般の入手により本レーダーの主要構成2装置を所蔵する事となり、誠に幸いである。
H-6の開発
1941年(昭和16年)の末、空技廠電気部は航空機用レーダーの開発を基礎的研究から始めた。当初は小型軽量化のため波長1m(300MHz)の機材が計画されたが、適当な送信管が無く、波長2m(150MHz)での開発が決定された。
この電探は主に大型機に搭載して、索敵、哨戒及び航法に利用すべく計画され、送信尖頭出力も5kWと、同時期に海軍技術研究所で開発された地上設置型対空警戒用レーダー「1号電波探信儀1型」に匹敵する機材で、探索距離は150kmが予定された。
1942年(昭和17年)の春に試作機が完成し、直ちに97式飛行艇に搭載し実験が開始されたが、高度3,000m以上では湿気及び気圧の低下で送信管の陽極加圧用10,000Vの高圧電源部にコロナ放電が発生した。このため、当座は使用に当たり高度制限を設け、併せ問題解決への対策が図られる事に成った。
同年12月に基礎実験が終了すると、直ちに1式陸上攻撃機、97式及び2式飛行艇等の大型機への配備が始まったが、電源の故障、真空管UN-954・955、FM-2A05Aの不良が続出した。電源回路の故障は整流管に起因する物でありセレン整流方式に改良することで小康を得た。
しかし、真空管不良の問題は解決されず、補給が滞るため、予備真空管を多く持つ部隊の他はH-6の稼働は押し並べて不良であった。遠隔の基地ではH-6の講習に出張してきた講習指導員が持参した真空管で漸く整備がなされるような状況もあり、エーコン管及びFM-2A05Aに関わる問題は終戦まで大きく改善される事はなかった。
3式空6号無線電信機4型(改1)緒元
用 途: 哨戒索敵
有効距離: 艦船100km、航空機70km
周波数:150MHz帯
繰返周波数: 1,000Hz
パルス幅: 3-5μs
送信尖頭出力: 5kW
空中線装置(送受兼用): 4素子八木(前方)、半波長ダイポール水平二列二段(両側面)
送信機: 発振管U-233二本( P.P.)
変調方式: パルス変調、変調管FZ-064A 二本(並列)
受信機: スーパーヘテロダイン方式(11球)、高周波2段(UN-954)、混合(UN-954)、局部発振(UN-955)、中間周波5段(FM-2A05A)、検波(FM-2A05A)、信号増幅(FM-2A05A)
中間周波数: 10MHz
総合利得: 約120db
測定方法: 最大感度方式
波形表示: Aスコープ方式
電源: 直流回転式変圧器(入力12V)、直流回転式交流発電機
総重量: 110kg
製造: 日本無線、川西
先般、東芝が開発した双五極管UL-6306が「ヤフオク!」に出品され、友人の収集家が落札した。応札者は一人で、落札価格は3300円であった。
UL-6306は陸軍の対空射撃管制レーダーの受信機に使用された希少管で、一昔前であれば、その数倍で落札されたと考えられ、小生は誠にたまげた。時は過ぎ、昨今はそんな時代であろうか。
UL-6306補足
本管は東芝が1941年(昭和16年)頃に開発した高周波数帯用の双5極管で、自社の高gm五極管RH-8(8000μ℧)を2個封入した構造である。複合管構成にしたのはリードインダクタンスの低減と考えられ、用途は主にVHF受信機のフロントエンド部に於けるP.P.構成であろう。
UL-6306はRH-8とは異なりベースはボタンステム構造で、ピン配置はロックイン管構成である。また、Cpgを低く抑えるため、グリッドは管頂部に配置されている。ヒータは並列、直列のピン選択式で、6.3V、12.6V何れでの使用が可能である。
陸軍射撃管制レーダーの開発
1942年(昭和17年)4月18日、米空母ホーネットより発艦したB-25爆撃機群が帝都上空に侵入し爆撃を敢行した。この空襲で侵入機を捕捉することが出来なかった陸軍は強い衝撃を受け、電波警戒機(対空監視レーダー)及び電波標定機(射撃管制レーダー)の開発が督励される事になった。
この時期、陸軍はパルス式電波警戒機の1号機である「超短波警戒機乙要地用」(タチ6号)を銚子に於いて試験中であったが、対空射撃を管制する電波標定機の具体的研究は手つかずの状況であった。
これより先、昭和17年2月15日にシンガポールが陥落すると陸軍は技術調査団を直ちに派遣し、英軍の軍事技術全般に関わる現地調査を実施したが、この折、探照灯管制用レーダーであるS.L.C.(Search Light Control) や、対空射撃管制用のG.L.(Gun Lying) MarkU等の技術資料を入手した。
同年7月、陸軍の射撃指揮具に関わる研究部門であり、電波標定機の早期開発を目指していた技術本部第二研究所はS.L.C.を基に電波標定機の開発を行うことを決定し、超短波装置の研究に実績のあった日本電気と東京芝浦電気に試作機の製造を依頼した。開発に際し、日本電気製が1型、東芝製を2型とし、各機の構造はいずれもS.L.C.に精密測距機能を付加したものであった。
技術本部の指示を受け、両社の標定機開発作業は直ちに開始され、同年10月には1型、2型の試作機各1基が完成し、千葉市の飯岡射場で実用試験が始められた。その後1型は電波標定機1型(タチ1号)、2型は電波標定機2型(タチ2号)として兵器化され、直ちに高角砲台への配備が進められた。
電波標定機とUL-6306
日本電気のタチ1号、東芝のタチ2号は共に英軍の探照灯管制レーダーS.L.C.を参考に開発されたため、その構成、性能は相似し、運用周波数は200MHzで、等感度方式により標的の方位・高角・距離の3緒元を測定した。
日本電気が開発したタチ1号の受信機は高周波増幅二段、中間周波増幅6段、低周波増幅1段のスーパーヘテロダイン方式で、高周波増幅管、第一周波数混合管にはエーコン型五極管UN-954が使用された。
一方、東芝が開発した受信機は高周波増幅段無し、第一周波数混合、中間周波増幅5段、低周波増幅2段構成で、周波数混合管には自社が開発した双五極管UL-6306をP.P.構成で使用した。
タチ1号、タチ2号は共に陸軍が開発した対空射撃管制用レーダーの1号機であり、その性能は十分ではなかった。このため、後継機の開発は早く、間もなくして日本電気は英軍のG.L.を模倣し、タチ1号とは構成が全く異なリ、運用周波数も78MHzと低い、タチ3号を開発した。
また、東芝はタチ2号を改修し、構造がより英軍のS.L.Cに近いタチ4号を開発した。本機では受信機に高周波増幅部が付加され、第一周波数混合段と共に、UL-6306がP.P.構成で使用された。
ウルツブルグとタチ31号(引き続きUL-6306を使用)
ウルツブルグは独逸テレフンケン社が空軍向けに開発した対空射撃管制レーダーの傑作機で、運用周波数は580MHzである。戦中、帝国陸海軍は共同で本機の最新型である「FuMG-62D(ウルツブルグD型)」の国内導入を図り、ドイツより入手した図面、機材を基に日本無線が中心となり国産化が進められた。
このウルツブルグの国内導入に尽力したのが、1940年(昭和15年)末に出発した山下奉文中将を団長とするドイツ軍事科学技術視察団に帯同した、陸軍科学技術研究所の佐竹金次中佐(当時)であった。しかし、ウルツブルグの国内導入は、実機、資料を積載した潜水艦がシンガポールで機雷により沈没するなどして、その計画は当初の予定より大幅に遅れた。
このため、1943年(昭和18年)9月に帰朝し多摩陸軍技術研究所(多摩研)の第3科長に就いた佐竹大佐は、既設の電波標定機タチ4号にウルツブルグD型の機能を移転し、短期間で開発が可能な高性能射撃管制レーダー「和式ウルツブルグ」を企画した。
ウルツブルグの国産化と並行し、本機の開発は直ちに始められ、1944年(昭和19年)の秋に運用周波数が200MHzの試作機が完成し、タチ31号(電波標定機改4型)として兵器化された。短期間で開発されたタチ31号ではあったが、その性能は陸軍の既設対空射撃管制レーダーに比べ優秀で、本機は実戦配備が行われた陸軍最後の電波標定機となった。
タチ31号はタチ4号を改修し開発されたが、受信機はダブルスーパーヘテロダイン方式に変更された。しかし、その第一検波には引き続きUL-6306が使用され、このため、本管は軍の要求性能を満たし、信頼に値する動作をしたと考えられる。
なお、対空射撃管制レーダーの本命であったウルツブルグD型は、準備段階で終戦となり、実戦配備に至る事は無かった。
現在当館(横浜旧軍無線通信資料館)は帝国陸海軍が高層観測に使用したラジオゾンデについての纏めを進めている。帝国陸軍は気象観測に熱心で、1932年(昭和7年)から高層気象観測用ゾンデの研究を始め、1933年(昭和8年)に観測の基本である気温、気圧、湿度を測定する各ゾンデ(3要素ゾンデ)を開発した。
これらのゾンデは各測定項目のデータを発振周波数の変化に置換する方式で、観測用ゾンデの基本構成である。因みに、海軍の3要素ゾンデの発振周波数は気圧(高度)が14-17MHz、湿度が20-23MHz、温度が24-31MHzである。
ところで、此れ等高層観測用ゾンデとは別に、当館には是非その概要を纏めてみたいゾンデが二つある。
その一つは帝国陸海軍が米国本土の攻撃を目的として、1944年(昭和19年)の11月から放球を開始した「風船爆弾」に搭載されたゾンデで、もう一つは、B-29による広島、長崎への原爆投下に際し、直前にパラシュートで降下させた観測用ラジオゾンデである。
風船爆弾のゾンデに関わる資料は殆ど無い。一方、広島、長崎上空で降下させたゾンデについては間もなくして回収され、海軍の技術者により調査が行われた。しかし、残念ながら現在まで、その資料に接した事は無い。
上記の如く誠に冴えない状況ではあるが、先ずは以下に於いて、現在判っている範囲で、原爆観測用ラジオゾンデについて概観をしてみた。
原爆観測用ゾンデ関連資料
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、米軍はB-29により広島にウラン型原子爆弾を投下し、続いて三日後の8月9日には長崎にプルトニューム型原爆を投下したが、その何れに於いても、直前に観測用ラジオゾンデ各3器をパラシュートで降下させた。
広島では観測用ゾンデの一つが回収され、これは呉海軍工廠電気部に持ち込まれ、部長であった大野茂も参加し分解調査が行われた。この時の様子は参加者の一人により水彩画で描かれ、この絵は現在広島平和記念資料館が所蔵している。
ゾンデ水彩画
https://hpmm-db.jp/list/detail/?cate=picture&search_type=detail&data_id=50006
回収されたゾンデの直径は約30cm、全長は約1.5mで、先端部分(下部)には観測用のセンサーが装置されていた。センサー部分の直径は20cm、長さが44cmで、現在この観測部は広島平和記念資料館が所蔵している。
https://hpmm-db.jp/list/detail/?cate=artifact&search_type=detail&data_id=19314
一方、長崎では3器のゾンデ全てが回収され、直ちに諫早の海軍施設で調査が行われた。この内2器は終戦後米軍に引き渡され、残り1器を長崎平和資料館が所蔵し、展示を行っている。しかし、之も内部の主要機材は米軍に返却されたとの事である。
観測ゾンデの構成
原爆観測用ゾンデは発振部、電源部、観測部により構成されていたと考えられ、現在把握できた構造は以下の様なものである。
☆発振部
長崎原爆資料館には回収されたゾンデの発振部が展示されており、その構造を知ることが出来る。装置は双五極管829Bと覚しき真空管により構成されたP.P.構成の自励式発振器で、コイルや蓄電器の容量から発振周波数は60-80MHz程度と推察される。送信出力は不明であるが、構成から10-20W程度と考えられる。
観測データーの発信方式については不明であるが、本ゾンデの観測目的は原爆が爆発した瞬間のデータ収集であり、測定項目を重複して送ることは出来ない。このため、伝送方式は当時の一般的な高層観測用ゾンデと同一の発振周波数可変方式で、一種類のデータを発信したと推察される。
☆電源部
通常の高層観測用ラジオゾンデの場合、送信出力は100-200mW程度である。一次電源には非常に小型の蓄電池が使用され、之でバイブレータ式電源装置を駆動し、発生する120V程度の交流出力を直接発振管に加圧している。
一方、原爆観測用ゾンデの送信出力はこれに比べ非常に大きく、高圧発生装置は大型の蓄電池で駆動するバイブレター式又は直流電動発電機式の何れかであったと考えられる。しかし、本ゾンデの観測時間は数分程度であったと推察され、このため、高圧乾電池方式の可能性も否定できない。
☆観測部/測定項目
本ゾンデは観測の特殊性より、測定項目は重複せず、降下させた3器のゾンデで3項目を測定した可能性が高い。
観測項目については爆圧、放射温度、放射線強度他色々と推察されるが、長崎原爆資料館は、米国より提供を受けた爆圧の測定結果と考えられるラジオゾンデの記録を所蔵している。このため、爆圧については確実であろうが、他の項目については不明である。
ところで、「ラジオゾンデの信号はグアム島の米軍基地で受信し、原爆投下の成功を確認した」とする記述をよく目にするが、これは間違いであろう。等価地球半径の関係で、光と同じ直進性を持つVHF波は2500km南方に位置し、遙かに見通し外のグアム島には到達出来ない。広島、長崎の原爆投下に際し、爆撃機は気象観測機や科学観測機を随伴した。このため、ゾンデよりのデータは此れ等支援機により受信されたと考えるのが妥当である。
なお、長崎に投下された3器のラジオゾンデには、日本の物理学者嵯峨根良吉に宛て、日本が降伏する事を進言した手紙が納められていたが、以下のwebページにはその全文が掲載されている。
https://www-peace--nagasaki-go-jp.translate.goog/abombrecords/b020105.html?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=wapp
先般Net Auction「ヤフオク!」に戦前久保田無線が製作した三球式のポータブルラジオ、「ピーアール ハンドラヂオ PR-NO.410」が出品された。
本携帯式ラジオは高額であったためか落札されず、オークションは不成立で終わった。しかし、このラジオは四極管UX-111B三本で構成され、またA電池1.5V、B電池の積層乾電池22.5Vもオリジナルで、誠に資料価値の高い物であった。
特にUX-111Bは低圧の陽極電圧で動作する空間電荷型四極管で、本式の真空管を使用した製品は誠に稀少である。
当館(横浜旧軍無線通信資料館)に関係し、空間電荷型真空管を使用した機材については、帝国陸軍が1935年(昭和10年) にUX-111Bを一本使用した有線通信用の95式電信機を開発した。95式電信機は誠に優秀で、其れまでの印字式電信機に代わり、軍通信隊用の主要電信機として戦争終了まで使用された。
また、同時期、マツダはピーナッツ管と称された小型の空間電荷型真空管Uy-14M、Uy-11Mを開発した。本管は、陸軍の94式3号甲無線機を構成した副受信機「53号C型受信機」に使用され、22.5VのB電池で軽快に動作した。
空間電荷格子真空管
三極管は負電位をもった制御格子が陰極の近くに配置される構造のため、陰極より放射された電子が付近に停滞し、空間電荷を構成し、陰極の方向に戻そうとする作用が強い。このため、増幅に必要な陽極電流を流すためには、陽極電圧を高くする必要がある。
しかし、四極管、五極管構造の真空管の第一格子に一定の正電圧を与え、第二格子を制御格子として使用すると、正電位により負電位の空間電荷が中和され、陽極電圧が10V程度でも十分な陽極電流を流すことが出来る。この様な構造の真空管を空間電荷格子真空管と云い、第一格子は空間電荷格子と呼ばれる。
陸軍「95式電信機」補足
本機は空間電荷型4極管UX-111B一本で構成される低周波発振器方式の電信機で、通信線路で結ばれた二台が対向して通信を行う。装置は低周波発振回路、対向電信機の空間電荷格子に電鍵操作で電信符号による正電圧を加圧し発振させる電鍵回路、及び加圧用乾電池(6V)により構成されている。
発振回路はUX-111Bの制御格子と陽極回路を結合させる低周波変成器及び蓄電器に依り構成され、対向の電鍵操作により、空間電荷電極に規定の正電圧が加圧されると回路は1,000Hzで発振し、陽極回路に装置された電磁式簡易スピーカより可聴電信音が発せられる。
通信距離は空間電荷格子に加圧される電圧が6Vで約200kmであるが、格子電圧が6Vと成る様に付加電池の電圧を増加させる事により、通信距離を延長させることが出来る。誘導による通信への影響を抑えれば、最大通信距離は500km以上であったと伝えられている。
95式電信機諸元
用途: 軍通信隊電信通信
通信路: 単線、片線接地構成
通信距離: 線路加圧電圧6Vで200km(電圧増強により延長可).
構成: 低周波発振方式(1,000Hz)、発振UX-111B
受聴: 電磁高声器又は受話器
電: 低圧1.5V(平角3号乾電池)、高圧22.5V(B-18号乾電池)、線路用6V(C-1号乾電池)
陸軍「53号C型受信機」補足
本機は陸軍の主要野戦機材「94式3号甲無線機」の副受信機で、通信部隊が通信所を撤収し移動中、対向通信所の緊急呼び出しを受けるため、馬上での受信が可能な携帯式受信機として開発された。
53号C型受信機は高周波増幅一段、再生検波、低周波増幅二段のオートダイン方式で、構成管はピーナッツ管と称される小型の空間電荷型真空管Uy-14M及びUy-11Mである。運用周波数は400-5,750kHzで、この帯域を差し替え式コイル5本により受信する。
高周波増幅部は五極管Uy-14Mで構成され、検波回路は四極管Uy-11Mによる再生機能付格子検波である。再生帰還量の調整は、Uy-11Mの空間電荷格子の加圧電圧可変方式である。高周波増幅部、検波部各段の同調回路は独立した構成で、同調操作は各可変式蓄電器により行うが、主同調器は検波段の同調用可変蓄電器である。
低周波増幅部はUy-11Mによる二段増幅構成で、各段は利得の向上を考慮した低周波変成器結合方式であり、出力インピーダンスは約2KΩである。
なお、53号C型受信機は高感度で安定度も良く、受信機としては非常に優れていたが、運用面での使用価値は低く、このため、1939年(昭和14年)度より不整備となった。
53号C型受信機諸元
用途: 待受け受信
周波数: 400-5,750kHz
電波形式: 電信( A1)、変調電信(A2)、電話(A3)
受信機: オートダイン方式1-V-2構成、高周波増幅UY-14M、再生検波UY-11M、低周波増幅1段、UY-11M、2段UY-11M
電 源: 乾電池B18型(22.5V)x1、平角4号(1.5V)x1
空中線: 竹製釣竿型、柱高3.6m、線条4m被覆線、地線: 2m被覆線
携 行: 肩掛式
先般、下記のMailを鎌倉在住のご婦人より頂いた。
「初めまして、先日、鎌倉の海岸で添付画像(の品)を拾いました。通信機器の部品までは予想したのですが、ある方に大帝国海軍の物だと指摘され、貴サイトに辿り着きました。・・・・・どのような部品かわかりません。教えていただけますと嬉しいです。どうぞ宜しくお願いいたします。」
この方は日頃鎌倉の海岸で浜に打ち上げられた品々を、見たり、拾ったりするビーチコーミングが趣味との事であった。極楽寺生まれの小生も、子供の頃、よくこの海岸で遊び、桜貝や摩耗した色ガラスの破片を拾っていた。
さて、送られてきた画像は海軍型水晶発振子の残骸である。錨のマークは残っているが、両面の蓋は摩耗して欠落し、当然中身はない。状態から、水晶片は長い年月を掛け、この浜に打ち上げられたと考えられる。
取り敢えず先方には、海軍型水晶発振子に関わる内外部の写真と、発振子についての簡単な説明文を送っておいた。
ところで、この水晶片は何故この浜で拾われたのであろうか。考えても意味の無い事だが、大戦末期、逗子や鎌倉、藤沢、茅ヶ崎には連合軍の上陸を想定し、防衛の準備を行うため、多くの陸海軍部隊が駐屯していた。
このため、終戦に際し、海軍関係者が重要機密であった暗号書や水晶発振子を海岸の沖に投棄し、今般その一つが見つかったと妄想してみたのだが・・・・・・・。
今般、かねてより当館(横浜旧軍無線通信資料館)の技術調査員である安齊穂積君により進められていた、海軍「試製全波受信機」の修復が完了した。
この受信機は丁度10年前、馴染みの骨董商が発見し、購入してくれた物であるが、その状態は掲示写真「試製全波受信機原状」の如く、前面パネルや同調機構、遮蔽板、周囲の覆バネル他が欠落した誠に酷いものであった。しかし、不思議な事に、何故か同調ダイアル目盛盤は付属しており、幸いにも正式な機材名と製造年月日を知る事が出来た。
さて、安齊君は先に修復を完了させた類似受信機、海軍「全波受信機」を参考に、欠品部品の全てを製作し、試製受信機の修復を行ったが、その努力は大変なもので、誠感謝に堪えない。
当館は安齊君の貢献により、誠に稀少な海軍「全波受信機」及び「試製全波受信機」の二機材を動態で所蔵する事になり、誠に幸いである。
海軍「全波受信機」
本受信機は高周波増幅1段、中間周波増幅2段、低周波増幅2段のスーパーヘテロダイン方式で、運用周波数500-22,000kHzを6バンドで受信する。しかし何故か、A1信号復調用のBFO機能は具えていない。
同調コイルはターレット構成の内蔵式であるが、切換機構の構造は、海軍の97式短受信機と同一である。
受信機本体の容積は33.5x24.5x22.5cmで、重量は15.6kgである。本受信機の電源は線條用が直流/交流100V、高圧が直流100/200Vで、電源構成は艦艇仕様である。
本「全波本受信機」は低周波増幅二段部(UZ-41P.P.構成)を除く各段が、マツダの五極管RC-4により構成されている。当館が確認した限り、RC-4を使用した機材は本受信機及び今般修復が完了した「試製全波受信機」の二機種である。
海軍「試製全波受信機」
本受信機は構成管、構造共に「全波受信機」に準拠するも、BFO機能が追加され、構成管は10本となった。このため、本体のサイズは「全波受信機」と比べ若干大きく、35x24x23.8cmである。また、線條回路の入力電圧は全波受信機の100Vとは異なり、6.3V構成である。
「試製全波受信機」の製造は1944年(昭和19年)11月で、所蔵する「全波受信機」(昭和19年4月)と比べ新しく、また、各部の構造も簡素化が進んでいる。
本受信機は「全波受信機」にBFO 機能を付加し、併せ、陸上使用を考慮し、線條電圧を6.3Vに変更し、より汎用性を高めた仕様と考えられる。
海軍「試製全波受信機」諸元
受信周波数: 500-22,000kHz(6バンド)
電波型式: 電話(A3)、変調電信(A2)
構成: スーパーヘテロダイン方式、高周波増幅1段、第1検波、中間周波増幅2段、第2検波(陽極検波)、低周波増幅1段、低周波増幅2段(UZ-41P.P.構成)、BFO機能付き、AGC機能無し、構成管RC-4九本、UZ-41二本
中間周波数: 450kHz
電源: 外部電源方式、線條電圧6.3V、高圧直流100V/200V選択式
製造: 高梨製作所
先般米国の収集家より、当板で何度か掲示を行った「謎の小型無線装置」に就いての問い合わせがあった。内容は、この方が最近入手した本無線装置が、戦後米国のCIA用に製造された特殊無線機であるのかを知りたい、と云うもので、併せ素晴らしい構成機材の写真が送られてきた。
我が国に於いて、この無線装置を構成する小型送信機SMT-1、受信機RKS-253は1950年代の中頃に、米軍ジャンクを扱う山七商店によりアマチュア無線用に改造され販売された。また、当時は確認出来なかったが、その後此れ等は交流式電源により運用する構造である事が判明した。
さて、この無線装置は「U.S. Clandestine Radio Equipment」でスパイ用無線機として紹介され、米国ではその分類での扱いとなっている。
使用部品から、本装置は日本製であることに間違いは無く、事の真偽を確認するため、米国の収集家は当館(横浜旧軍無線通信資料館)に連絡を寄こした。しかし、残念ながら当館はその使用目的について、確たる情報を持っていない。
このため、先方には本機材の素性については不明と回答した。また、併せ、当時日本国内で販売された際の、関連資料を提供した。
謎の小型無線装置補足
本装置は小型送信機SMT-1、受信機RKS-253及び交流式電源により構成されている。送信機、受信機は小型のハンドル付鉄製ケースに収められ、容積は共に210x135x165mmと非常に小型である。
構造から元来は軍仕様と考えられ、内部にはMFP塗装が施されている。使用部品や製造方法から、日本製で有る事に間違いはないが、添付の回路図に書かれた添え書きは英語である。
送信機SMT-1は水晶発振(三極管6J5)、電力増幅(ビーム管6L6)方式の電信専用機で、運用周波数が3〜7MHz、7〜15MHz(程度)の二機種が製造されたと考えられる。
受信機RKS-235はMT型電池管を使用したスーパーヘテロダイン方式で、構成は高周波増幅1段、中間周波増幅1段、低周波増幅2段、BF0付である。運用周波数は送信周波数に対応していたと考えられ、こちらも3〜7MHz、7〜15MH(程度)の二機材が製造されたはずである。送受信機は交流式電源で運用するが、入力一次電源は交流100〜200Vである。
新年あけましておめでとうございます。
本年が皆様にとり幸多き年となりますよう、心より祈念申し上げます。
2024年 元旦
横浜旧軍無線通信資料館
土居 隆
先般米国の収集家より写真と共に、帝国陸軍無線機材の電源に関わる型式確定の依頼があった。
本装置は数千ボルトを発生する高圧電源で、銘板は剥がされていたが、その構造から陸軍の航空機搭載用レーダーを構成した電源と推察された。
しかし装置は非常に小型で、また、その電力容量も小さく、本機が大きな電力を必要する哨戒探索用レーダーの電源で無いことは明らかであった。
戦中帝国陸軍は多くの機上用レーダーを研究したが、実用された装置は哨戒用の「タキ1号」、夜間戦闘機用の接敵レーダー「タキ2号」の二機材である。
当館(横浜旧軍無線通信資料館)は幸いにもタキ2号の前期型送信機及び変調機、変調機を内蔵した後期型送信機を所蔵している。早速両送信機を調べると、後期型送信機の接続コネクターの構造が、調査依頼電源のそれと、完全に一致することが判明した。
このため、当該装置は帝国陸軍の機上用接敵レーダー「タキ2号」の後期型構成電源である、との結論を得たが、期せずして本機の電源を発見する事となり、誠に幸いであった。
タキ2号は生産、配備台数が非常に少なく、当館は本機の電源を所蔵していない。この稀少な機材を米国の収集家が所蔵していた事を知り、小生は誠に驚いた。願わくば、本電源の入手をと考えるが、現在の所、先方との交渉は行っていない。
「タキ2号」補足
本機は帝国陸軍が1944年(昭和19年)の初頭に開発した夜間戦闘機用の接敵レーダーである。
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タキ2号はデシメートル波を使用した等感度測定式レーダーで、空中線装置、送信機及び受信機、波形表示を行う指示装置及び電源装置他により構成されている。タキ2号には原型の1型、大戦末期に配備が進められた2型及び、試作段階の3型があるが、その導入についてはハッキリしない。
なお、タキ2号の運用については、1944年(昭和19年)に陸軍航空工廠に於いて、二式複式戦闘機「屠龍」の胴体上面にホ5(20mm機関砲)を上向砲として装備し、併せタキ2号を搭載した機体が10機整備されたとの記録がある。また、タキ2号の前期型はフイリッピンで米軍により鹵獲され、記録と写真が残っており、前線への配備は確実である。
タキ2号2型緒元
用途: 夜間戦闘機接敵・射撃管制
測定項目: 方位角・仰角・距離
有効距離: 約5km
周波数: 375MHz
繰返周波数: 3,000Hz
パルス幅: 1.5μs
送信尖頭出力: 2kW
送信空中線: 3素子八木
受信空中線: 3素子八木4基
送信機: 発振SN-7 (P.P.)
変調方式: パルス変調、変調管UY-807A
受信機: スーパーヘテロダイン方式、高周波増幅無し、周波数混合(UN-955)、局部発振(UN-955)、中間周波増幅5段(MB-850A x5)、検波(MB-850A)、低周波増幅2段(MB-8502 x2)
中間周波段帯域幅: 1.2MHz
受信利得: 100db
信号表示: Aスコープ方式(探索・測距用1基、照準用2基、各75mm SSF-75-G)
測定方法: 等感度方式
距離精度: 0.1km
方位角精度: 1-2゜
電源: 直流回転式交流発電機、入力DC24V、出力3相100V(400Hz)
重量: 120kg
製造: 住友、約200台(1型・2型)
この度、ベルギーの収集家よりドイツ空軍の機上用マイクロ波電波探知機「FuG-350Zc」を構成した誘電体空中線を、物々交換で入手した。
本機材、特に誘電体空中線は誠に稀少で、驚くほどの高額である。このため、入手は諦め、先般その代用資料として、同一原理の誘電体空中線を装備した「ネズミ取り」探知用のレーダー、「FOX XK」を米国より入手した経緯がある。
今般入手した誘電体空中線は実際に機上で使用されたものと考えられ、その状態は不良で、また、二個一の可能性もある。しかし、これは事前に分かっていた事であり、問題はない。
何れにせよ、本空中線は当館(横浜旧軍無線通信資料館)にとつて値千金であり、驚愕の入手品である。これで長年の懸案が一つ解決し、誠に幸いである。
「FuG350Zc」
本機はドイツ空軍の夜間戦闘機が搭載したマイクロ波帯用の電波探知機で、英軍爆撃機が装備したPPI式のマイクロ波レーダー「H2S(3,000MHz帯)」を捕捉する目的で開発されたが、装置の構成としては鉱石式受信機である。
探知機は回転式の誘電体空中線装置、信号検波装置、受信波の方位を表示する波形指示器及び電源装置により構成され、各部の構造、動作は以下の様なものである。
☆誘電体空中線装置(EA350Zb)
本装置は回転式構造の誘電体空中線素子、駆動用モーター及び、波形指示器の掃引信号発生用の二相交流発電機により構成されている。
二相交流発電機は空中線と同期して回転し、発生する22Hzの交流電圧を掃引用信号として波形指示器に出力する。
空中線本体はポリエチレン誘電体を装備する1/4波長ダイポール型空中線素子2基により構成され、配列は水平二列である。また、誘電体の形状は円錐台形で、最大直径と最少径の比は約1.25である。
空中線素子は1300rpm(22回転/秒)で回転し、回転式空中線シャフトと接線の接合部は同軸構造で、接続は容量結合方式である。
高速で回転する空中線の保護用として、上部は透明の樹脂ケースにより覆われている。本空中線装置の直径は47.5cm、高さは61cmで、重量は25Kgである。
☆信号検波装置(HP350Zb)
本装置を構成する検波器(ED701)はシリコンの精製物である。信号検波装置は空中線装置の下部に取り付けられる。
☆波形指示器(SG350Zc)
本器は信号増幅回路、受信信号の方位を表示する静電偏向式ブラウン管(CRT)回路により構成されている。空中線装置から供給される90°位相が異なる二相交流電圧は、垂直、水平偏向板に加圧され、時間軸はCRTの内縁に沿い円周に表示され、空中線に同期して1秒間に22回転する。
受信信号はシリコン検波器により検波され、CRTの格子回路に加圧される。波形指示回路は空中線の回転に同期して走査されるため、信号強度に従い該当位置が輝度増強される。このため、輝度信号の位置により、受信波(敵機)の方位を知ることが出来る。しかし、距離を確定する事は出来ない。
誘電体型空中線装置使用機材
本空中線装置はドイツ空軍が大戦末期に開発したP.P.I.方式の航法・爆撃用レーダー、「Berlin」にも使用された。おそらく使用例はFuG350Zc、本機の海軍版であるFuMb23/28 及びBerlinの3機種と考えられる。
FuG350Zc( Naxos ZM4)緒元
用 途: 夜間戦闘機接敵
運用波長(周波数): 8-12cm(2,500-3,800MHz)
電波形式: 振幅変調波(A3)、パルス変調波
受信機構成: 鉱石検波、低周波増幅6段、信号波形表示
波形表示: 輝度変調
探索距離: 100km(H2s輻射機高度差2000m)、50km(高度差1000m)
主装置構成真空管: 低周波増幅RV12P2000(五極管) x6、電源整流RG12D60(双二極管)、定電圧放電管STV150/15
波形指示器構成真空管: 低周波増幅EF14(五極管)x4、ブラウン管DG712、電源高圧整流LG3(二極管)
空中線: 回転式誘電体型空中線(EA350Zb)
電源装置: 直流回転式変圧器(入力直流28V、出力交流220V)
先般、日立市在住で、当館(横浜旧軍無線通信資料館)の技術調査員である安齊穗積君宅に、修復が完了した旧軍無線機材他の引き取りに出向いた。
今回は400km弱を一人で運転し、それも軽で、日に二度の都内横断であったが、何とか無事に帰宅した。しかし、帰路「一人焼き肉」を予定した守谷SAをうかつにも通り過ぎ、また、経路を間違え、一番古く、一番走りにくい銀座線に入ってしまい大いに参った。
さて、持ち帰った旧軍機材は何れも問題があり、長年手を着けず保管していた物であるが、今般安齊君により完全なる修復及び調整が行われ、動作状態に復帰した。何れの機材の修復も、低周波変成器の作成やマイカ蓄電器の交換、欠品部品の作成等誠に大仕事であった。
修復後、現在進めている旧軍無線機材の編纂作業に関連し、各受信機の感度測定試験を行い、統一的な測定方法の確立に努めた。各機の修復作業、測定試験他、安齊君には誠にご苦労な事であった。
ところで、安齊君は先年アマチュア無線家、茅沼完治殿(JA1HVL)より当館に御寄贈頂いたアマチュア無線機器他の整備も担当してくれている。
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既に大半の作業は完了しているが、今般其れ等の内、Collinsの受信機75A1を持ち帰った。Collinsのアマチュア無線機には各種があるが、何故か小生はSSB以前の機械である75A1が好きで、今般漸く長年の夢が叶い、誠に幸いである。
早速受け入れ試験を行っているが、感度は整備後の測定試験で2μVを得ており、また、安定度、PTOの直線性も抜群である。本受信機はSSB以前の機械でありながら、SSB信号の復調は誠に容易で、音質も申し分が無い。ここ最近は、本機と他受信機との聞き比べをしている。
現在当館(横浜旧軍無線通信資料館)は戦中に於ける軍用無線機材及びレーダー等の電波兵器についての纏めを行っており、その対象は帝国陸海軍及び英・米・独の主要機材である。
対象となる殆どの機材はその基本作業を終了しているが、先週より資料不足により長期に渡り作業を中断していたRAFの早期対空警戒レーダー「Chain Home(AMES TYPE-1型装置)」の纏めを再開した。
Chain home(CH)は先の大戦に於いて、英国の存亡を掛けた戦い、バトルオブブリテンを勝利に導いた救国のレーダーシステムで、概要を知る資料は数多くある。しかし、何故かレーダー各部を概説した資料は皆無で、その構成を把握する事が誠に困難であった。
当然の事として、英米の関連公共機関、収集家、研究家に働きかけを行ったが、特段参考となる資料は入手出来ず、大いに困った。ところが、数年前、レーダー史に重点を置く「Defence Electronics History Society」なる団体の存在を知り連絡を取ると、資料の提供は有料の会員に限定されているとの事で、選択の余地はなく入会した。
その後一年を掛け、以前機関誌に掲載された関連記事を集め、漸くCHの概要を纏められる内容の資料を入手したが、一段落したせいか、集めた資料は今日まで2年間も放置をしてしまった。
Chain Home
本機は英国空軍が1937年に開発した統合的な対空早期警戒システムで、主要各レーダーサイトはAMES TYPE-1型レーダー装置により構成された。AMES TYPE-1は送信所と受信所に分かれたバイスタティック(Bistatic)構成で、両所は数百メートル離れて設置され、標的の距離、方位、仰角の3諸元を測定した。
AMES TYPE-1型の運用周波数は20-55MHz(原型)で、開発は動作の信頼性、開発時間の短縮、生産性の効率化を考慮し、当時の普及無線技術、電子部品を使用して行われ、送信機も短波放送用機材の改修型である。
また、本機の方位角・仰角の測定方式も方向探知機の動作原理を応用したもので、二組のダイポール型空中線をゴニオメーターで合成し、発生する指向特性を可変し、最小感度点により測定を行う。現在の位相合成式レーダー(Phased Array Radar)の一種である。
組立式送信管
さて、AMES TYPE-1を構成する送信機は当時の短波放送用送信機を改良使用したもので、その構成は主発振、2逓倍増幅、電力増幅方式である。
発振は水冷式双四極管SW5の両極並列使用によるハートレー発振回路である。本送信機のパルス変調は発振段で行う構成で、変調機より供給される繰返周波数25/12.5Hz、幅約20μsのパルスを発振管の第一格子及び第二格子に加圧し行っている。
周波数2逓倍及び増幅部は水冷式四極管TYPE-43のP.P.構成によるC級動作ある。電力増幅部もTYPE-43のP.P.構成のC級動作で、陽極電圧は35kV、尖頭出力は350kW(改良型700kW)である。
ところで、入手資料により、送信管TYPE-43は「組立式送信管」である事を知り、誠に驚いた。本管は消耗したフィラメント、第1格子、第2格子を取り外し交換ができる構造で、常時ポンプで真空排気を行う構成である。
また、特段の記述は無かったが、発振回路を構成する送信用双四極管SW5も、添付写真から組み立て式真空管と推察される。尤もAMES TYPE-1を構成する送信機は短波放送用送信機の転用であり、当時の英国では、組立式送信管は一般的なものであったとも考えられる。
なお、我が国に於ける組立式送信管の開発については「電子管の歴史(P-116)」(オーム社)に、「1943年に国際電気通信八保送信所で試験を始めたが、送信機の製造が遅れ、終戦までに完成しなかった」との記述がある。
AMES TYPE-1普及型緒元
用途: 対空監視
周波数: 22.7-29.7MHz(1波)
繰返周波数: 12.5/25Hz
パルス巾: 20μs
送信尖頭出力: 350kW、750kW(後期型)
送信空中線: 半波長ダイポール水平一列8段(主空中線)、同4段(副空中線)
受信機空中線: 交叉半波長ダイポール(センス空中線付)二段、半波長ダイポール反射器付二段
送信機: 発振(SW5)、2逓倍TYPE-43 、電力増幅TYPE-43 x2(P.P.構成)
変調器: 衝撃波(パルス)変調方式
受信機: 高周波増幅3段(各P.P.構成)、周波数混合(P.P.構成)・局部発振、中間周波増幅5段、検波、信号増幅(P.P.構成)
中間周波数: 2MHz
帯域幅: 50kHz、200kHz、500kHz切替式
波形表示: Aスコープ方式
測定方法: 最小感度方式(方位・仰角)
測定距離: 130Km
測角精度: ±0.5°
測高精度: ±0.5°
一次電源: 商用電源50Hz
本車輌無線機には「車輌無線機丙」(305号型通信機)及び「車輌無線機丙(2号)」(306号型通信機)の二機種が確認されている。当館(横浜旧軍無線通信資料館)は「車輌無線機丙」の主要構成機材を所蔵し、また、当館の技術調査員である安齊穗積君より「車輌無線機丙(2号)」を構成する送信機を借用し、展示を行っている。
先般、当館は陸軍車輌無線機に関わる編纂作業の大凡を完了した。しかし、306号型通信機を構成する受信機については未所蔵、未検分で、その詳細を把握しておらず、本機材に関わる作業は保留している。
「車輌無線機丙」を構成する受信機は超再生検波方式である。一方、開発の経緯により、「車輌無線機丙(2号)」の受信機はスーパーヘテロダイン方式の可能性があり、その構成を確認する必要がある。
このため、「車輌無線機丙(2号)」(306号型通信機)を構成する受信機に就いて、情報の提供を頂ければ、誠に幸いである。
「車輌無線機丙」と構成受信機
1939年(昭和14年)夏、ノモンハン事件が勃発し陸軍戦車部隊は初めて本格的な戦車戦を体験した。この戦いにより、戦車が戦うべき敵は戦車であり、戦車部隊の存在意義は対戦車戦にある事が、強く認識された。
間もなくして第二次大戦が勃発し、ドイツ機甲部隊はその緒戦でポーランドを席巻し、世界の軍事関係者を驚かせた。これらの経緯により、帝国陸軍でも機甲部隊の研究が進められ、従来の歩兵直協、陣地攻略を目的とした戦車部隊の運用形態が、戦車群による電撃的な進撃と、敵戦車群の壊滅へと転換される事になった。
戦車部隊の運用転向に伴い、戦車砲の装換や、徹甲弾の改良、新型戦車の開発等が急遽要請された。併せ、搭載無線装置についても、戦車相互間の電話通信機能に優れた機材の開発が急務となり、1941年(昭和16年)4月、第四次制式制定作業の研究項目に戦闘車輌用無線電話機が追加された。
当時、各国に於ける戦闘車輌用無線電話機の運用周波数帯は見通し内通信特性に優れ、周波数の多数分割使用が可能なVHF帯が主流となっていた。また、対戦車戦に於いては搭乗員相互の意志疎通が重要であり、車内通話装置の導入も不可避な課題であった。
このため、研究された新型車両用無線機は20-30MHzのセミVHF帯を使用した短距離用の電話主体機材で、本機は車内通話機能を備え、搭乗員4名の相互通話が可能であった。
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従来帝国陸海軍は超短波帯の受信機には超再検波方式を重用したが、本式は狭小地域内に於ける多数機の使用には適さず、当然の事としてスーパーヘテロダイン方式が考慮された。
しかし、この周波数帯域に於ける車輌用受信機の開発経験はなく、結局、研究課題として示された試作100機の内、半数を超再生方式に、他をスーパーヘテロダイン方式とし、応急整備の要請と、機能充実の要望に対処する事になった。
1942年(昭和17年)6月、試作の二機種が完成し、以後二回の改修を行い、1943年(昭和18年)2月に実用機の開発が完了した。本機は制式化作業に先行し200機が応急的に整備され、用兵側の要望を満たしたが、制式化作業の準備中に終戦となり、陸軍軍需審査会に於いて、正式に兵器化される事は無かったものと考えられる。
車輌無線機丙(305号型通信機)諸元
用途: 戦車相互間通話
通信距離: 500m
周波数:20-30MHz
電波形式: A2(変調電信)、A3(電話)
送信出力: 6W
送信機: 発振Ut-6F7(五極部)、電力増幅UY-807A、音声増幅Ut-6F7(三極部)、陽極・第二格子変調UY-807A、インターホン用低周波増幅兼較正用水晶発振Ut-6F7、較正周波数21、24、27、30MHz(原発振3MHz)
受信機: 他励式超再生方式、高周波増幅1段、超再生検波、低周波増幅2段(Ut-6F7 x3)
電源: 直流回転式変圧器、入力24V、出力400V(送受信機兼用)
空中線: 垂直型2m自動起倒式、地線車体接地